九章 すれ違う想い・八
「皓緋、こちらの準備は終わったぞ」
「あとはソイツの魂をこいつに入れるだけ」
遊焔は二つならんだ寝台の一つに腰掛け、顎でもう一つの寝台を指した。
そこには彩音と同じぐらいの年格好の少女が横たわっていた。
彩音と皓緋は研究室にいた。
皓緋が迎えに行った後、彩音は皓緋に連れられて研究室に来た。
どういう用で連れてこられたのかは知らないままだ。
途中何度か訊こうと思ったが、皓緋の顔を見ると、先程のやりとりを思いだし、恥ずかしくなって訊けず、結局一言も話さないままここまで来てしまったからだ。
皓緋も話しかけてはこなかったので戸惑った。普段なら、煩いぐらいに話しかけてくるのに、今は彩音の右手を引きながら、彩音の少し前を歩いていた。そのため、皓緋の顔も見えなかったのでどんな表情をしているのかもわからずで余計に声をかけられなかった。
だが、皓緋の背中は穏やかな感じをしていたような気がしたので、彩音はとりあえず安堵した。
「これがそうか」
皓緋は少女の側へ行き、全身を検分するように見る。
少女は十四、五歳ぐらいの外見で、シンプルなデザインの白いワンピースを着ていた。
晒された手足を見ても、人形とわかるような特徴もない。
見た目だけなら、人間と間違ってもおかしくない。
「精巧だな」
「まあね」
遊焔が台に座ったまま得意気に答える。
「魂が入っていない以外は普通の人間と変わりないよ」
「血液に代わる物も流れているし、食事も出来る。勿論、食べなくても問題ない」
燥焔が符や薬品の準備をしながら言う。
「人形だから、か」
「そういうこと」
遊焔が寝台からひょいと降りる。
「じゃあさっさと始めよっか」
言って、皓緋を見、それから彩音へと視線を移す。
「私?」
皓緋の後に立っていた彩音が、遊焔の視線に気付く。
「そ。ほら、ここに座って」
遊焔が今まで自分が座っていた寝台をぽんぽんと軽く叩く。
「え……と」
彩音はその場から動かず、不安げに皓緋の背中を見る。
何も聞いていない上、寝台の上には人形と呼ばれる少女が横たわっているし、三人の会話を聞いていてもよくわからない。そんな現状で呼ばれたら、不安になりすぐには動きたくない。
そんな彩音の心情を察しているのかいないのかはわからないが、皓緋は彩音の方を向くと「来い、彩音」と呼んだ。
見上げた皓緋の表情はいたって普通だった。険しいわけでも、笑っているわけでもない。何か重要な事をするような感じにも見えなかったので、とりあえず、皓緋の側へと行く。
「今からお前の中にある緋月の魂をそこの人形に移す」
来るのを躊躇った彩音を安心させるように、今から行うことを説明した。
「えっ!?」
彩音は驚き、皓緋と双子を交互に見る。
「緋月も自由に出来る身体がないと不便だからな」
確かにその通りだ。いずれ緋月本人の身体を取り戻すにしても、自分で自由に出来る身体があったほうが便利だと、彩音も皓緋の言うことに納得した。
「そうだね。私と一緒だと不便だよね、きっと」
彩音は言われた通り、寝台の縁に腰掛けた。
「次はこれ飲んで」
燥焔が薬の入った硝子のコップを彩音に渡す。以前飲んだものと同じものだろうか。水らしいものがコップの中で揺れた。
「これ飲んだら、また前みたいにすぐ意識なくなるの?」
「なくならない。この前飲んだ薬水とは違う」
「あ、でも無味無臭、水っぽい薬ってのは前と同じ」
燥焔と遊焔が交互に答える。
「そうなんだ」
ふうん、という表情をしたあと、彩音はぐいっと飲み干した。
燥焔が空になったコップを受け取ると、遊焔が「はい、次はここに立って」と、少女の頭の方に呼ぶ。
言われるまま、彩音は少女の頭の方に来た。
少女は整った顔立ちをしていたが、生気は全く感じない。人形と言われなければ、美しい屍体と見間違えてもおかしくはない。
「じゃ、この人形にキスして」
「うん、って、え!? キス!?」
「そ。人形なんだから問題ないでしょ」
遊焔はたいしたことないからさあ早くと促すが、彩音は狼狽した。
人形とはいえ、こうも精巧なものだと多少抵抗はあるし、おまけにまわりには三人も見物人がいる。
「う……、まあ、そう、なんだけどね……」
「早くしないと薬水の効果が無くなる」
燥焔も遊焔に続いて追い立てる。
どうしようと焦り、ちらりと皓緋の方を見ると、皓緋はどうした? という表情をしただけで彩音の心中はわかっていないようだ。
それならばこちらが恥ずかしがっているほうが余程恥ずかしいのかも知れない。
彩音は気持ちを落ち着け、少女の顔を覗きこむと、遊焔が何か思い出したかの様に付け加える。
「あ、キスっていうか、人工呼吸ね。唇を合わせるだけじゃなく、息を吹き込んで」
(何だ、それなら最初からそう言えばいいのに)
心中で文句を言いいながら彩音は「わかった」と返事をする。
彩音は横たわる人形に口づけ、息を入れた。
「え?」
息を入れた瞬間、彩音の身体から何かが抜け出たような感覚に襲われ、かくりと膝が折れた。
「どうした、彩音!」
皓緋が素早く彩音に近寄り、彩音の右腕を掴んで崩折れないように支える。
「あ……」
「どこか痛むのか?」
皓緋は彩音を寝台の縁に座らせると、頬や頭を触り、異常がないかを確かめる。
「だ、大丈夫! 痛いとかじゃないから!」
彩音は慌てて自分に触れる皓緋の手を掴んで皓緋に押しやる。
「アレだろ。身体から何か出てった感じだろ」
遊焔が言う。
「そうそう! 口からこう、何かするっと出で行ったような感じ」
「その抜けた『何か』があんたの中にいたやつの魂だ」
「えっ!?」
彩音は驚いた顔で遊焔を見、続いて魂が入ったらしい人形を見る。
だが人形はぴくりとも動かない。
皓緋も人形に近付き見るが、口づける前とは変わらないように見える。
「定着にはもう少し時間がかかる。けど少し頬に赤みが差しているだろう」
「ソウの言う通り。んで、これの所有者は皓緋なんで、はい、これ」
遊焔が皓緋に赤いハート形の宝石のような物を渡した。
「わっ! 可愛い~」
彩音は皓緋の左の掌を覗きこむ。
そのきらきらと光る綺麗なハートの石は、女の子なら手にとって眺めたくなるような物だ。
「何でこんな形なんだ」
皓緋は眉を眇め、嫌そうな顔だ。
「うちの姫のリクエスト。元々はただの玉だったけど、ハートやら星やら可愛い形にすると喜んでね」
「そう。それが可愛くてな」
遊焔、燥焔とも顔を緩ませながら話す。
「元の形に戻せないのか?」
「出来るよ」
「なら戻してくれ」
「ははっ! まあ男が持つには可愛すぎるよね」
遊焔は皓緋からハート形の石を受け取るとそのまま握りこんだ。
数秒後、開いた掌には赤くて丸い石があった。
「ハート形の方が可愛かったのに」
遊焔の掌を見て、ぽそりと彩音が洩らす。
「女の子だね~」
くくっと遊焔は笑い、玉になった石を皓緋に渡す。
「ただの鍵に可愛さなんて必要ない」
皓緋は受け取った玉をパンツの右ポケットに無造作に突っこみながら答える。
「あ、使い方は前に教えた通りだよ。覚えてる?」
遊焔が視線を玉の入ったポケットに移して確認する。
「ああ。問題ない」
「ん、もうすぐ起きるよ」
人形の様子を見ていた燥焔が皓緋達に声をかけた。
四人が人形の回りを囲み、様子を見守る。
人形はぴくぴくと指を震わせ、目ももうすぐで開きそうな感じだ。
「あ、目が開いた!」
四人が見守る中、人形の瞼がゆっくりと開く。
開ききると、上下左右に眼球を動かし、辺りの様子を見ているようだ。
「起こすよ」
遊焔が人形を抱き起こし、「君の名前は?」と、燥焔が問いかける。
「私は、緋月、です」
人形はゆっくりと、澄んだ声でそう答えた。




