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九章 すれ違う想い・三

「緋月様! 緋月様! どうされましたか!? 目を開けて下さい! 緋月様!」

愛華は緋月の正面に回り、意識のない緋月に必死に呼びかけている。

だが緋月はぴくりとも反応しない。揺さぶられてもされるがままだ。

皓緋はそんな二人を見ても取り乱すこともなく、ただ冷ややかに一瞥すると、春詠に話しかけた。

「何をした、春詠」

その言葉に驚きの表情で愛華が振り向き二人を見る。

「薬を飲ませただけだよ。お前が彩音彩音と騒ぐからね」

春詠は椅子に深く凭れ、くつろいだ様子でしれっとして言った。

悪いことをしたなどとは露ほども思っていない態度だ。

皓緋はまた不愉快になる。

図星とは言え、皆の前で暴露されると腹が立つ。

「勝手なことをするな。緋月も彩音も俺のものだ。手出しは許さない」

「だが緋月への話はすんだのだろう。であれば、緋月が起きている必要はない。違うかい、皓緋?」

春詠は穏やかに微笑みながらそう問いかける。

「だとしても、それを決めるのは俺だ。余計な真似はするな」

皓緋は見ただけで凍りついて動けなくなるような程、すっと冷える様な氷の視線で春詠を見下ろす。

春詠はそんな皓緋の視線に怯える様子などなく、逆に満足そうな笑顔で受けとめる。

二人はしばらくそのまま互いを見ていたが「緋月様!?」と、愛華の声でその状態は破られた。

「どうした!?」

愛華は左側、緋月の頭の方にずれ、皓緋は緋月の正面に回る。

「今、緋月様が呼びかけに反応したみたいで」

皓緋は緋月を抱き起こすと「彩音! 彩音!」と名を呼んだ。

『緋月』ではなく『彩音』と。

今はまだ『緋月』だ。

春詠の話は嘘かも知れない。

二人共が大事ならどちらの名前も呼ぶはず。

それなのに、皓緋の口から咄嗟に出た名前は『彩音』だけ。

その様子を春詠はじっと観察していた。

「兄さん」

そんな春詠に朱艶は声をかける。

「見たかい、朱艶」

春詠は皓緋達から視線は外さず後に控える朱艶に返す。

「はい」

「あの子のあんなに取り乱す姿は初めて見たかもねぇ」

春詠は感嘆していた。

「そうですね」

朱艶も同様だった。

近しい者や両親が亡くなった時でさえ、動揺などしていなかった。

「皓緋にとって、あの子はとても大事なんだねぇ」

朱艶はその声を聞いて、すっと胃の辺りが冷えた。

話し方はやはり穏やかなのに、聞こえる言葉は限りなく恐ろしく感じる。

何も恐ろしい事など言っていないのに。


声に反応するように右手の指先がぴくりと動く。

皓緋は右手で彩音の右手をぎゅっと握り「彩音、彩音!」と呼びかける。

「……」

彩音の口が開き、動いた。

「彩音!」

続いて瞼もぴくぴくと震える。

皓緋は立ちあがり、緋月を抱きかかえると椅子に座り、また名を呼ぶ。

「彩音! 彩音!」

「ぅ……」

声が煩いのか緋月は顔をしかめた。

皓緋は緋月の身体を揺らし、今までより大きな声で名を呼んだ。

「目を開けろ! 彩音!」

その声が届いたのか、緋月の目がばっと開いた。

「彩音! 俺だ、わかるか?」

緋月は二度ほど瞬きをしたあと「皓緋でしょ」と言った。

「ああ、そうだ。彩音……」

皓緋は右手で優しく彩音の頬を撫でた。

目を覚ましたのは『彩音』だった。

彩音はまだ意識がはっきりしないのかぼんやりとしている。

「まだ眠いのか? ん……?」

皓緋が頬を撫でながら、囁くように彩音に問う。

その表情はとても穏やかで甘い。

親が子を心配するというよりは、恋人を心配するような表情だ。

「ん……」

彩音は怠そうに短く返事をした。

「そうか。ならもう少し寝ろ」

彩音はその言葉が合図かのように、また瞼を閉じ、規則的な寝息をたて始めた。

皓緋はその様子をしばらく見ていたが、彩音を抱え直すと立ちあがる。

「俺は部屋に戻る」

「ああ。後は私達がやっておくよ」

そう告げた皓緋を春詠は微笑みながら見送った。


二人を見送った後、愛華が春詠にくってかかって来た。

「春詠様、これはどういうことですか!?」

確かに春詠が言った通り、彩音が戻って来た。

だが、そのやり方が気に入らない。

「緋月を眠らせ、彩音を起こした。それだけだよ」

事もなげに春詠は答える。

「緋月様を眠らせるのは構いません。本来は彩音様のお身体ですから。ですが何故一言、緋月様にお声をかけて下さらなかったのですか!?」

そう。皆、何故緋月の意思を無視するのか。

愛華はそこに納得がいかないのだ。

「愛華さん」

朱艶が春詠に口答えするなと威圧的な視線を投げる。

だが春詠は「構わないよ」と朱艶に言う。

「緋月の意思などいらないよ。あれは私達の可愛い娘だ。あれを誰よりも大事に思い、幸せへと導けるのは私達だ。だから、緋月は私達の言う通りにすればいい」

春詠は愛華にそう答えると、にこりと微笑んだ。

部外者は口を出すな、という高圧的な微笑みと共に。

愛華は腹が立った。

自分は緋月の侍女でしかない。

その自分が緋月の親族、つまり王族に口答えするなどあってはならないこと。

そんなことはよくわかっている。

だが、自分の主がこんな不当な扱いをされたのに、黙っていることなど出来るはずもない。

「可愛い娘であればこそ、娘の話を聞き、一緒に考え、その中で良い方へ導くのが親の役目ではないでしょうか!」

愛華は毅然とした態度で、春詠に挑む。

「そういう方針もあるだろうね。だが、うちは違う」

春詠は言い切る。

「それに、緋月はこちらの世界とあちらの世界を結ぶ礎となる娘。それ以外の存在価値などない。故に、必要以上に構うことなどない。愛華さんには不服かも知れないがね」

「なっ……!」

愛華はぞくりとした

春詠は優しい笑顔で、無情とも言える話をする。

何故この人はこんなに暖かで優しい笑顔を浮かべながら、こんな非道い話を出来るのだろう。

娘同然というのなら、もっと感情的になってもいいはずなのに。

怖い。

愛華の心をその感情が支配した。

二人を見ていた朱艶は、これ以上反論が出来ないだろう愛華を一瞥すると「兄さん」と、声をかける。

「ああ、そうだね」

朱艶の意図を察した春詠は立ち上がる。

そして何事もなかったかのように愛華に話しかける。

「愛華さん、彩音ちゃんはしばらく皓緋が面倒みるから、その分私達の仕事を手伝ってくれるかな」

愛華ははっとすると「……はい」と返事をした。

「ありがとう。じゃあまた後で」

春詠は嬉しそうに微笑し、朱艶と共に部屋を後にした。

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