八章 黒曜・四
音の正体は一位と黒曜だった。
だんだんとこちらに近づくにつれ、黒曜の喚き散らす声も大きくなる。
「離せっ! 離せよっ! この人形がっ!」
だが一位は聞こえていないのか無視して黒曜を引きずって行く。
黒曜は後手に両腕を白い縄で拘束され、両足も白い縄で拘束されており完全に使えない状態だ。
その黒曜の襟首を掴み、荷物と同じ扱いで、ずるずると引きずって連れて来る。
氷蓮の近くまで来ても黒曜は諦めず、芋虫さながら、じたばたと暴れ続けている。
「主、連れて来ました」
一位はそう言うと、黒曜を氷蓮の前にゴミを棄てるように放り出した。
「痛てっ!」
氷蓮の足元に放り棄てられた黒曜は怨みの目で一位を睨むが、反対側からはそれよりも強烈な憎悪の視線を感じ、そちらに顔を向ける。
視線の主はわかっていたが、黒曜は白々しく視線の主に話しかけた。
「誰が睨んでくるのかと思ったら朔夜かぁ。ていうか生きてたんだ。もうとっくに惨めで不様に死んだと思ってたんだけど。あ、そっか。陛下に助けてもらったんだ! よかったね~」
ころころと子犬の様に無邪気で楽しそうに黒曜は笑う。
だが、その瞳がすっと細まり蔑みの色を帯びる。
「で・も。よく生きて平然として、恥をかかせた主の前に姿をさらせるよね。僕だったらとてもじゃないけどそんな厚顔無知なことは出来ないや。さっすが、静欒一の大将軍」
そしてまた黒曜は笑い出した。
今度は、悪意に満ちた嗤いで。
仰向けに横たわり、自分を侮辱し嘲笑う黒曜を朔夜は見下ろしていた。
朔夜は怒りと羞恥で頭が真っ白になった。
言われたことが全て直視したくない現実で葬ってしまいたい出来事だからだ。
黒曜を殺せば多少は溜飲も下がるだろう。
今、この状態の黒曜なら確実に殺せるが、殺せたとしても何の抵抗も出来ない者を殺した恥知らずな男に成り下がる。
それも許せない。
だから今は耐えるしかない。
それがどれほど殺したい相手でも。
朔夜は手が白くなる程、鞘を強く握り耐え抜く。
氷蓮は朔夜をちらりと見ると目の前に転がる黒曜に視線を向ける。
「一位、それを立たせろ」
「はい」
一位は氷蓮の命令通り黒曜を立たせ、腕の縄の部分を握り、逃げないように捕まえておく。
氷蓮はじっと黒曜を眺める。
「ふ。随分な様だな」
氷蓮が軽く口端をあげて微笑する。
「お蔭様でね!」
黒曜はふんっ! とふて腐れて顔を氷蓮からそらす。
「ああ、でも何処かの誰かさんよりは殺り甲斐があって、沢山楽しめたよ」
黒曜は気の済むまで遊んで満足した子供のように無邪気に笑みながら話す。
だが、その笑顔とは反対に身体はボロボロだった。
結っていた髪の毛も今は解け、艶やかな黒髪が流れ、乱れている。
衣装のあちこちは鋭い刃物で切られたかのようにすっぱりと裂かれ、そこから覗く肌にもすっぱりと赤い線が出来、血が流れていた。
傷自体は深いものではないようで、血はもう止まっているようだ。
一位も同様だ。
顔にはいくつかの切られたような線。
衣装も裂かれたり焦げたりしており、黒曜以上にボロボロだ。
だが不思議なことに、血はどこにもついていなかった。
顔の傷も、浅かったとしても多少なりとも赤みがかったり、腫れていたりしていてもおかしくはない。
特に、鳩尾辺りの焼け焦げた衣装からのぞく肌はおかしい。
衣装を焦がす程のものならば、当然肌、身体にもダメージがあるはずなのに、そこから覗く肌は、火傷のような跡も抉られたような跡も何もない白い肌なのだ。
どう考えてもおかしい。人ではないからだろうか。
「でもさー、式って感情ないから面白くないんだよね。しぶといから殺りがいはあるけど、いたぶりがいはない。そこがつまんないところだよねー」
はぁ、と息をつき、つまんなさそうな表情をする。
「式なのだから仕方あるまい」
「そーなんだけどさぁ」
そこだけは納得出来ないとまだ不服げな表情だ。
「そんなことはどうでもいい。それより気は済んだか」
「そこそこはね」
「そうか。ではお前はしばらく離宮にいろ」
「え?」
黒曜は驚いた。
氷蓮の命を無視してこれだけ暴れたのだ。
どんな罰を受けるのかと考えていたのに「離宮にいろ」とは拍子抜けだ。
「お前がどういう存在なのか、まだまだ理解させる必要があるようだからな」
ああ、という表情を黒曜はした。
「そーいうこと。別にいいけどね」
次は側に控える朔夜に向かって氷蓮が話を続ける。
「そういうことだ。明日より私がここで政務を行う。お前が補佐をしろ、朔夜」
「氷蓮様!?」
今度は朔夜が驚きの声を上げた。
「姿を見せなければ問題ないし、幻術もかけておく。万が一見られても問題ない」
「ですが……」
朔夜は渋る。
「体調のこともございます。私と愛砂で政務を行いますので、氷蓮様はまだ離宮でご静養下さい」
「問題ない。それに私を離宮に閉じ込めるのなら、黒曜とずっと一緒だぞ」
「っ……!」
朔夜はさらに渋い表情になる。
氷蓮にはまだ休んでもらいたいが、あの黒曜と一緒というのは我慢ならない。
であれば、答えは一つしかない。
諦めの溜息を一つつくと、朔夜は重い口を開いた。
「わかりました。ですが、絶対に自室からは出ないで下さい。お願いいたします」
「わかっている」
話が済んだところで黒曜が騒ぎ出した。
「ねー、話済んだんだからもうこれ解いてよ、陛下」
黒曜が早く解けと兎のようにぴょんぴょん跳ねて暴れ出す。
「はぁ……。仕方ない、足の縄だけ解いてやれ、一位」
氷蓮が呆れ果てた声で一位に指示を出す。
「承知しました、主」
一位は少し屈んで、黒曜の足を縛っている縄に触れた。
すると、縄は勝手に結び目が解けどさりと黒曜の足元に落ちた。
「ちぇっ、足だけか」
不服を隠さず黒曜がぼやく。
「ま、いーや。もう離宮に行こうよ、陛下。僕もう疲れたから早く休みたい」
ほんの数十分前までは朔夜や一位と生死を賭ける戦いをしていたのかと疑いたくなる程、今は緊張感の欠片もなくだらだらうだうだとしている。
そんな黒曜を見ると、朔夜はますます自分が許せないし怒りが募る。
だからといって、排除しようとしても勝てないということを自覚してしまったから今は何も出来ない。
ただ、目の前から黒曜が去るのを待つしかない。
「っ……!!」
朔夜はぎり、と奥歯を強く噛みしめ今という時間を耐える。
氷蓮は朔夜の方をちらりと見、一位に指示を出す。
「一位、黒曜を連れて先に離宮に行け。私もすぐに行く」
「承知しました」
返事をすると、一位は黒曜を戒める縄を引っ張り、黒曜を自分の方に引き寄せると左肩に担いで窓から出て行った。
「やれやれ、ようやく静かになったか」
氷蓮は疲れが出たのか深い溜息を一つついた。
「申し訳ございません」
朔夜は跪き、深々と頭を下げ、あらためて詫びた。
「もうよい。私は離宮に行くが、朝には戻る。お前はここで休め。供は必要無い」
「……かしこまりました」
氷蓮の供が出来ないのは悔しいが、どんなに強がっても離宮まで行く体力はないので、素直に返事をする。
そんな朔夜を一瞥すると、氷蓮は怠そうに立ち上がり、一位達と同じように窓から出て行った。
朔夜は氷蓮を見送ると、荒れた室内を眺めた。
「まずは片付けからか、っ……」
ぐらりと視界が揺れ、倒れそうになる。
壁に手をつき、倒れることはなかったがまだ焦点は定まらない。
無理もない。先程死にかけたばかりなのだから。
(身体が怠い……)
朔夜はそのまま座り込み、壁に背を預けて身体を休める。
(何て最低な一日だ)
朔夜は今日一日を振り返った。こんなに屈辱にまみれた日など消し去ってしまいたい。
だけどそんなことなど出来はしない。ならばその屈辱を味合わせてくれた奴を、同じような目に合わせた後、必ず葬ろう。
(だけど……今は……)
朔夜もう意識を保てなかった。
そしてそのまま深い眠りへと落ちていった。




