七章 商人・六
彩音が意識を失いがくりと全身の力が抜けるのを確認すると、うなだれた彩音の頭を仰向かせ、額に右手をのせると聞いたことのない言語を遊焔が唱え始めた。呪文らしき言葉を唱え終わると、額から手を離す。
「どうなんだ?」
皓緋が遊焔に訊く。
「術は成功。けど、この人、よっぽど起きたくないのか結構抵抗された」
「抵抗?」
「そ。この術って、魂をがっつり掴んで揺さぶりかけて起こす、ってやつだから。で、そいつの魂掴んだらすげぇ嫌がってさー。ま、もちろんちゃーんと叩き起こしたけどな、ほら」
指を彩音に向けると、仰向かせた頭がゆっくりと下がり、正面の位置で止まると目がゆっくりと開く。
彩音の目が開き、辺りを確認するように見回す。
虚ろな視線が、皓緋を認識すると彩音の口が動く。
「父様……?」
彩音――、緋月はまだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりとしている。
皓緋は跪き、目線を緋月に合わせて名を呼ぶ。
「緋月」
名を呼ばれたことで意識がはっきりしてきたのか、緋月の表情がだんだんとしっかりとしてきた。
「父様」
今度はしっかりとした口調で緋月は皓緋を呼んだ。
「ああ、そうだ」
皓緋は優しく微笑むと「元気だったか?」と緋月に話しかける。
「はい」
「そうか」
「父様達もお元気そうで何よりです」
緋月は一旦言葉を切り、姿勢を正して皓緋に言う。
「私を呼んだ理由をお聞かせ願えますか、父様」
「そうだな。そのためにお前を起こしたのだからな」
皓緋は緋月が眠ってから今までの経緯を話した。
聞き終えると、緋月は少し俯きしばらく沈黙した。
今までのこと、これからのことを考えているのだろう。
しばらくすると考えがまとまったのか、顔を上げて皓緋を呼んだ。
「父様、まずは私がまだ術を使えるかどうか調べて下さい。今後のことはそれからお話しましょう」
「そうだな。おい」
皓緋は振り向き、遊焔を呼ぶ。
「はーいよ」
遊焔は準備した道具を持って二人の所へ来た。
遊焔の手にはガラスのような透き通った、それほど底の深くない器があった。
中には水のような液体が入っていた。
遊焔はその器を緋月の口元近くに持っていく。
「ほい。中の水に息を吹きかけて」
緋月はいきなり器を口元近くまで近づけられてびっくりしたが、意図がわかったことで納得した。
言われた通り、息を吹きかけた。
遊焔はそれを確認すると、器を下の方に移動させた。
「次はこの器に指を入れて。あ、指先少し入れる程度でいいよ」
「はい」
緋月は言われた通り、右手の指先を水の中に入れた。
「あ、もういいよ」
数秒浸した後、遊焔の声で水から指先を出す。
遊焔はその器を持って燥焔の所へ戻ると作業台に置き、燥焔はガラス瓶に入ってた薬を器に一滴垂らす。
すると水が薄いピンク色に変わった。
「ふーん。やっぱ魂だけだからね。その身体であんたが術をつかうのは無理。ただ、魂の状態ならちょっとは使えるかな。でも使えば完全に消滅するよ」
「消滅?」
皓緋が聞き返す。
「ああ。完全な死、完全な無。転生なんて絶対出来ないからね」
「…………」
緋月は黙ったまま、膝に置いた両手をきゅっと握った。
「そうか」
「こっちの、彩音だっけ? に術は無理だね。あんたが入ってる状態でも無理」
遊焔はそう言ってまた弄び始めたナイフを緋月に向ける。
緋月はいきなりナイフを向けられたのでびくりと身を竦ませた。
「おい」
皓緋が怯えた緋月を見て遊焔に鋭い視線を向ける。
「あ、ゴメンゴメン。つい、ね」
遊焔は言葉では謝っても、少しも悪いとは思っていない態度だ。
「結論を言えば、術士は俺だけか」
「そ」
遊焔が答える。
「…………」
それを聞くと皓緋は黙って考え始めた。
その様子を見た燥焔がはっと何事か思いついた様で「ユウ」と、遊焔を呼ぶ。
「何? ソウ」
燥焔はぼそぼそと遊焔に話しかける。
その話しをうんうんと聞いていた遊焔の顔が徐々に面白いものを見つけて早く遊びたくてたまらない、そんな表情になっていく。
皓緋はそんな二人のことはもう眼中になどなく、今後のことについて考えていたが「皓緋」と陽織が呼び、はっとする。
「考えてる所悪いけど、用が済んだなら一度上に戻らないか? 春兄達にも紹介したいし……」
そう言って、椅子に座る緋月に視線を向ける。
「そうだな」
確かに今ここでするべきことは終えた。ならば陽織の言う通り執務室に戻った方がいいだろう。
「帰るぞ」
皓緋は立ち上がり、双子以外の全員に言う。
「ちょっと待った!」
それを遊焔が引き止めた。
「何だ」
「皓緋にちょっと話があるんだけど」
「わかった」
「あ、他の人達は出てっていいよ」
あからさまに邪魔という表情で、早く出てけというオーラを出す。
「皓緋」
陽織は指示をくれと呼びかけた。
「お前達は先に行ってろ。話が終わり次第俺もすぐに戻る」
「わかった」
陽織は頷くと「行こう」と愛華達を帰るよう促すが、緋月は椅子から立とうとしない。
「どうした緋月?」
皓緋は優しく名を呼ぶ。
「父様……」
緋月は心細いのか、不安と怯えの混じった瞳で縋るように皓緋を見上げる。
「大丈夫だ。すぐに戻る」
皓緋は安心させようと、緋月の肩に軽く右手を置いた。
「そうですよ、緋月様。しばらくぶりにお会い出来たのですから、私の話相手をしていただけませんか」
愛華が緋月の足元に跪き、穏やかに微笑みながら緋月の手を取り、優しく握る。
「愛華……。そうね……、心配をかけてごめんなさい」
緋月はようやく立ち上がり、軽く頭を下げ皓緋に詫びる。
「ご心配をおかけして申し訳ございません、父様。先に戻ってお待ちしていますね」
言葉ではそう言ってもやはり不安なのか、その表情はまだ硬い。
皓緋は安心させるように優しく微笑むと「愛華」と呼ぶ。
もう連れていけと、視線で命令する。
「はい」
愛華は返事をすると立ち上がり、緋月の手を引きながら出入口で待つ陽織の方へと歩き出す。
緋月は途中何度か皓緋の方を振り返りながらも、二人と共に研究室を後にした。




