七章 商人・五
「どっちから先にやる?」
遊焔が二人に訊く。
「俺からやろう」
皓緋がそう返事をする。
「んじゃ、はい」
そう言って遊焔は切れ味のよさそうなナイフを皓緋に差し出した。
それで指先でも切って血を寄越せという事だろう。
「いや、いい。ヒオ」
皓緋は遊焔の差し出したナイフは受け取らず、側にいる陽織からナイフを受け取り、左の人差し指に刃をあて、すっと軽く引く。
引いた後にはじんわりと紅い線が浮き出る。
遊焔が小さな器を皓緋の指の下に差し出し、皓緋は指を下に向け、血をポタリと器に垂らす。
「ご協力どーも」
遊焔はその器を燥焔に渡す。
燥焔は受け取ると机の上に用意した呪文の描かれた円盤の中央に置き、何言か呟くと小皿の血が蠢き、球体になる。
紅い真珠のようだ。
球体になった血はすっと浮かび、燥焔は円から小皿を取る。
宙に浮いた紅い真珠は、燥焔がまた何言か呟くときらきらと強い光を放って輝き出した。
「へぇ、あんた凄い力があるね」
「ああ、ホント。これなら大体の術は使えるし耐えられそうだな」
双子が感嘆の声を出した。
遊焔は、あ、と何事か思い出し、燥焔に問うてみる。
「な、この前創ったアレ、使えるかな?」
「あぁ、あれか。いけそうだな。でも今回の依頼では使えないだろう?」
「えー。せっかく使えそうなヤツに当たったのに」
「それなら別口で売り込むとか……」
「あ、それもありか。流石ソウ!」
内容は聞き取れないが、ぼそぼそと会話しながら、時折、意味深な視線を皓緋に向けてくる。
(絶対にろくな話じゃなさそう)
彩音は心の中でそう思い、ちらりと隣にいる皓緋を見る。
皓緋も彩音と同じ様に思っているらしく、眉間にシワが寄っている。
会話のターゲットが皓緋であろうことは、何となく予想がつく。
これ以上、会話がエスカレートしないためにも皓緋は二人に声をかけ、自己防衛を行う。
「おい。次は彩音の番だろう」
二人ははっとしたように皓緋の方を振り向く。
今の作業を忘れる程、盛り上がっていたようだ。
「ごめんごめん! つい白熱しちゃって。お待たせ。あ、でもあんたの中にもう一人いるんだよね」
「うん。でもどういう状態かはわからなくて……」
「そっか。ま、もう一人は置いといて。先にあんたのやろうか。んじゃ、皓緋と同じように器に血頂戴」
「うん……」
彩音は皓緋からナイフを受け取ったが、持ったまま動かない。
「どしたの? 早く頂戴」
「うん……」
彩音は遊焔に急かされ、ナイフを左手人差し指にあてた所で止まる。
(うう……、やっぱり、ちょっと怖いかも……)
自分で自分の指を切ることに抵抗があった。しかもナイフで。こんなにずっしりと重く、いかにも凶器ですと言わんばかりのナイフで、ほんの少しとはいえ、血が出る傷をつけるのだ。痛いし怖い。
不可抗力で切ってしまった場合なら仕方ないが、痛いことをわかっていながらその行為をするのはかなり躊躇う。
(でもこれも祥護を助けるためなんだから躊躇っちゃだめ!)
彩音はそう自分に言いきかせ、呼吸を整えナイフを握り直す。
(よしっ!)
人差し指にナイフをあてた時「待て」と、彩音のナイフを握る手をそっと握りこみ、その動きを止める者がいた。
「皓緋……。何?」
彩音は邪魔をした皓緋を見上げる。
口調は咎めるようだが、その瞳は今にも泣きそうで、直ぐにも涙が滲みそうだ。
皓緋はくすっと小さく笑うと、その瞳を見つめ、幼い子供をあやすように優しく「大丈夫だ」と言い、額に軽くキスをすると、彩音からナイフを奪う。
「え?」
きょとんとする彩音を左腕で自分の方を向かせ、そのまま抱き込むと、皓緋は双子に話しかける。
「おい、情報は血からじゃないと駄目なのか」
おやおや~と二人を見ていた双子が返事をする。
「駄目。血が一番の情報源」
「ユウ、これ」
燥焔が何かに気づいた様で、遊焔にガラスのような素材で出来た平たい器を渡す。
「あ、そういうことか。ほい、これ塗るから手出して」
「え、え!?」
彩音は皓緋の腕の中でおろおろとする。
皓緋は彩音の左手を掴み、遊焔の方に差し出す。
遊焔は器からジェル状の薬を右手人差し指に掬うと、彩音の左の掌の下の方に塗り始めた。
「ひゃっ!?」
今度はジェルのひんやりとした温度に、彩音は驚く。
「え、何!? 何してるの!?」
掌に何かを塗られているのはわかるが、何で塗られるのかがわからない。
気になるので振り向こうと首を動かそうとしたら、皓緋が右手で首を動かせない様にがっちりと固定する。
「ちょっと、皓緋! 何してるのよ!?」
彩音は抗議した。
さあやるぞ、と決心したところで邪魔をされたかと思えば有無を言わさず抱き込まれ、しまいには左の掌に何かを塗られている。
しかも彩音自身は何も見えない状態なので、何をされるのか気が気ではない。
確か血を一滴程取るだけの作業が、何故こんなややこしいことになっているのか。
またも皓緋の予想しない行動に振り回され、いらっとしだした彩音だが、そんな彩音を見て皓緋はくくっと可笑しそうに笑う。
「何よ、何なのよ一体!」
彩音が怒って声を荒げる。
「だってお前、血、取るのが怖かったんだろ?」
「え!?」
彩音はさらに怒ろうと思って口を開いたが、怒りの言葉は出せずに固まった。
そのかわり、視線で何故わかったの!? と語っていた。
「はははっ! お前、あれだけ躊躇ってあんな表情してれば誰でもわかるぞ」
皓緋が可笑しくてたまらないと大笑いする。
彩音は一瞬にして顔が赤く染まった。
はっとして、拘束の緩んだ首を動かし、皓緋の後、彩音からは正面に立っている愛華と陽織の方を見ると、二人とも苦笑しながら彩音を見ていた。
それを見てさらに恥ずかしさで顔を赤くしながら「ど、どんな表情してたの……?」と、彩音は恐る恐る訊ねる。
「どんなと言われてもな。今にも泣きそうな目で怖がって……、ああ、あれだ。初めて鶏を絞めて捌く子供と同じだったな。あいつらも怖いけどやらないと親に怒られたり、生きていけないことがわかってはいるんだが、やっぱり最初は怖いから泣きながらやるんだよな。ああ、ヒオ、お前も随分と泣いてたな」
その時を思い出したのか、皓緋が陽織を見ながら馬鹿にしたように笑う。
「なっ! 違っ、あれは絞めるのが怖かったんじゃなくて、後で脅す三人のせいで泣いたんだ!」
陽織はいきなり自分の暴露話になり、慌てて弁解する。
「何だ、俺達が泣かしたっていうのか?」
「そうだよ! 春兄は笑顔で優しく見守ってる感じだけど、実は笑顔で脅してるし、朱艶兄は手順が違う、手つきが悪いだの怒りながら指導してくるし、特に」
陽織は一旦言葉を切り、きっと皓緋を睨んでまた話し出す。
「皓緋が一番たちが悪かった!」
「ほーう」
「優しく教えてくれるフリして、俺を騙して! そのせいですごい返り血を浴びて、しばらくトラウマになって鶏肉食べられなかったんだからな!」
「そうかそうか。それはよかったなぁ」
と、会話が続くが、そんなことよりも今は血を取る方が第一ではないのか。
彩音は気を取り直し、皓緋のシャツの裾を軽く引っ張る。
「何だ、彩音」
「何だじゃないでしょ? 今は私の血を取らなきゃいけないんでしょ」
咎めるような目で彩音は皓緋を見上げる。
「そんなこと、もうとっくに終わってるぞ」
「ええっ、嘘!? だって……」
彩音は皓緋を押しのけ、自分の左手を見る。
「あ……」
あのジェルの様なものを塗られた場所をよく見ると、ほんの少し、ナイフで切られたような傷があった。
でも痛くなかった。
いくら皓緋達の会話とかに気をとられていても気づくはずだと彩音は思った。
皓緋が嘘をついているかも知れない、そう思って彩音は正面の愛華と陽織に「本当なの?」と確認すると、二人とも頷く。
続いて背後の遊焔と燥焔にも確認する。
「うん。もうとっくに」
燥焔が彩音の血が玉になった状態のものを見せた。
「そして、あんたは術を使える素養はゼロ」
しかも検査も終わっていた。
「いつの間に……」
彩音は呆然とした。
「あんた達がじゃれあっている時に」
さくっと遊焔が切り込んだ。
「じゃれあって……!」
ないとは言えないのかも……と思わざるを得ない節もあり、そこはスルーすることにする。
「でも痛くなかったけど……」
単に自分が鈍いからか、話の方に気をとられていて気づかなかっただけなのかはわからないが。
「そうだろうね。あんたの手に塗った薬、アレ、痛覚だけを麻痺させるから」
「え!? じゃあ、あれって麻酔?」
「んー、まあそんな感じ。塗った後、触られて押された感触はあっただろ?」
彩音はその時のことを思い出す。
「あ、確かに。薬を塗ったところを何か押し付けられた。でも痛くなかったから指で押されただけかと……」
彩音が病院でされる麻酔は、打たれた部分一体が痺れて感覚がなくなるもの。
だが、薬を塗られた時は普通に感覚があったし、今も痺れているとかそういう感覚はなく、ちょっとつけられた傷を押せば痛みもある
「そ。その押し付けられたのがコレ」
遊焔が作業台に置いたナイフを取り、空中に放り上げ、器用にくるくると回す。
それは二つ折りのナイフではない。
剥き出しの刃で手を切らないだろうかと、見ているこちらがハラハラとするが、飽きたのか、ぱしっと柄の部分を掴むとまた作業台に置いた。
「ま、そんなわけであんたの検査も終わり。あとはあんたの中にいるもう一人の方だけど」
遊焔は「さて、どうしようかな」と呟きながら彩音を見る。
緋月は彩音の中で眠っているらしいが、起こし方は彩音にはわからない。
ただ何となく、自分の心の深い所にいて、眠っているようだなという感じぐらいだ。
「どうする、ソウ?」
「そうだな……」
彩音は二人にじっと、それこそ心の奥底まで見ようとするように凝視される。
そうすること、数分。
二人は視線を彩音から外し、話し合いを始めたが、距離があるので声は届かない。
「強引に起こすしかないか」
「だな。まあ見た感じ、力なさそう」
「そうだな。だが、一応調べないとな」
「じゃ、俺やるわ」
話が終わったのか、二人がこちらにやって来た。
「じゃ、今からこの子の中にいる人、起こすから」
そう言って、遊焔が彩音の前に立ち「ほい」と、小瓶を彩音に渡す。
彩音は小瓶を受け取ると、視線を遊焔に移す。
「それ飲んで。別に変な薬じゃないから安心してよ」
瓶は掌に収まる大きさで、中身は無色透明の液体が入っている。
ぱっと見、水のようだ。
「飲むとどうなるんだ」
皓緋が遊焔に訊くが、答えたのは燥焔の方。
「中で寝てる人を起こしやすくする。いわゆる、気付け薬。味はしないよ。あと飲んだら、あんたの方はすぐに意識なくすから気をつけて」
「で、落ちたら俺が術をかけて中の人を起こす。OK?」
「なるほど。その術を使ったことによる彩音と緋月への影響は?」
「ないよ。強いて言えば、少し眠さが残るぐらい」
「そうか。ならやってくれ。彩音もいいな」
皓緋にそう訊かれ、こくりと頷き了承の返事をする。
彩音は瓶を開け、匂いを嗅いでみるが、特に何も匂わない。
(味もしないって言ってたから、本当に水みたいなものなのかな?)
確認した所で薬を飲もうと口元まで瓶を持って来た時、先程言われたことを思い出し、止まる。
「皓緋、椅子が欲しいんだけど……」
飲んだら即意識がなくなるのなら、椅子に座って飲んだ方が安全だ。
「何だ、気づいたのか」
皓緋はつまらなさそうな表情で答える。
「何、その不満げな顔は」
「俺がお前をちゃんと抱き留めて怪我などさせない。だから椅子は必要ない」
彩音は深い溜息をつくと、陽織達の方を向き「椅子、お願いします」と言った。
用意して貰った椅子に座り、今度こそ薬を飲もうと口元に瓶を近づける。
その時、彩音は右隣にいる皓緋にちらりと視線を向ける。
まだ若干不満げな表情をしているが、無視して薬を一息に飲む。
(あ、水だこれ)
そう思ったのを最後に、彩音はスイッチを切るようにぷっつりと意識を失った。




