七章 決意
「さ、着いたよ」
陽織が皆に言う。
彩音は皓緋の胸に埋めていた顔を外に向けると、それと同時に皓緋の腕の拘束も解けた。
彩音はちらりと皓緋の顔を見るとすぐに顔を背けた。
恥ずかしくて顔がまともに見られない。
パニックになっていたとはいえ、思い返せば恥ずかしいことばかり。
人前であんなに泣き喚き、しかもそれは皓緋の腕の中。
でも仕方がない。
大事な大事な弟が、自分の目の前であんな目に合えば、心が壊れそうになるのは当然だ。
もし……もし、自分が助けに行く前に祥護が……。その先は考えたくないが、どうしても考えてしまう。
思考が良くない方へと傾きかけたとき、いきなり肩を掴まれ彩音はびっくりする。
「きゃぁ!」
振り向くと皓緋と視線があった。
「おい、行くぞ」
「え?」
まだドキドキとする胸をさすりながら問う。
「どこに?」
「俺達の城だ」
言うと、皓緋はすたすたと歩きだす。
「ま、待ってよ!」
急いで後をついて行こうとしたが「大丈夫、ちゃんと案内するからゆっくりでいいよ」と、背後にいた陽織が明るく笑って言う。
「私もいますからご安心ください、彩音様」
愛華が優しく手を握って微笑む。
彩音はその温もりにほっとした。一人ではないと身体でも感じられたからだ。
「あれでも王様だからね。留守してたことが気になるんだよ」
陽織が歩きながら二人に話す。
それからぽつぽつと話しながら歩いていると、彩音がぽそり呟いた。
「なんかここ、随分暑い……」
空を見ると、雲ひとつない晴天。彩音は辺りをきょろきょろと見回す。
そういえば着いた場所は何もなかった。いや正確には乾いた岩山があったがそれだけだ。草木は一本も、雑草の類すらも生えていなかった。
暑く、乾いた風が吹き抜ける。
「それに埃っぽい」
けほんと軽く彩音が咳こむ。
「大丈夫ですか、彩音様?」
愛華が心配して顔を覗き込む。
「ん、平気」
そう返事をしたが、愛華の方がとても辛そうだ。
彩音は立ち止まり、愛華の様子をよく見ようとする。
「どうかされましたか、彩音様」
愛華は心配そうに彩音の顔を覗き込む。
「愛華、顔が赤いよ。それに肌も真っ赤。これって……」
日焼けだ。しかもかなり酷い。
「何で……、あっ!」
愛華は今まで太陽のない静欒に住んでいたのだ。それが、産まれて初めて陽の光を浴びたのだ。日焼けを負っても不思議はない。下手をすれば、もっと酷くなる。
彩音がおろおろし出した時、陽織が着ていた薄手の上着を脱ぎ、愛華にばさりと被せた。
「気づけなくてごめん。そうだよね、君は初めて陽の光を浴びたんだよね」
「お手を煩わせて申し訳ございません……」
愛華は心底申し訳なさそうに、二人に詫びる。
「気にしないで愛華。具合が悪くなるのは当然だよ!」
「そうだよ、逆にこっちこそごめん。城までまだ距離があるから、もうしばらく我慢してもらわないといけないけど、具合が悪くなったらすぐに言って」
「ありがとうございます」
愛華はこれ以上心配をかけないように軽く笑む。彩音と陽織も何も言わず、二人で愛華を風から守るように歩く。
それに気づいた愛華はまた「ありがとうございます」と礼を言った。
「どういたしまして」と二人で返事をする。
しばらく歩くが、回りは荒れた岩山とざらざらとした瓦礫のようなものしかなく、更に風に乗って砂まで身体に纏わりついてきた。
ぱたぱたと砂や埃を払いながら歩く彩音に気づいた陽織が声をかける。
「あー、大丈夫? 砂埃、酷いでしょ」
「ちょっとね。でも、すごい岩山だね」
「そう? こんなの見慣れているから何とも思わないけど」
陽織が軽く岩壁を叩く。叩いた所が崩れ、ボロリと岩の欠片が落ちる。
「そうなんだ」
陽織にとっては珍しい物ではなくても、彩音には十分珍しい物だった。
ごく普通の女子高生が、こんな乾燥した地の岩山の間を歩くことなど、そうそうある事ではない。しかも異世界の岩山など。
そんな風にきょろきょろしながら歩いていたが、だんだんと道幅が広くなり、開けた場所に出た。
そこで見た景色に彩音と愛華、二人は驚きで目を見開いた。
「えっ……!?」
そこはただ、茶色の景色が広がるだけだった。
照り付ける太陽と草一本生えていない不毛の岩山と砂。
彩音の知っている場所で例えるなら、アフリカの砂漠。あれが近いだろう。
「驚いた? これが俺達の住む世界」
愛華の隣に立つ陽織が言う。
「でも……、ここだけでしょ? こんな砂漠なのは。他の所は……」
まさかこの世界全部が砂漠だらけな訳はない。
そうでしょう? という視線で彩音は陽織を見上げたが、陽織は静かに首を振った。
「この世界は荒れ地しかないんだ。どこまでいってもこの景色が続くだけ」
「嘘……」
彩音がそう言うと「現実だ」彩音達の少し先、切り立った崖の縁に立つ男が答えた。
「皓緋!」
陽織が小走りで皓緋のところへ行く。彩音達も陽織に続く。
「やっ……!」
次の瞬間、彩音は息を飲み、隣に立つ皓緋のシャツの裾を咄嗟に掴んだ。
崖の下を見たのだ。
そこには生命を感じるものは本当に何も無かった。
乾いた大地に、荒れ狂い舞う砂塵。
崖の下には河川らしきものが辛うじて見えるが、流れているのは水ではなく砂だった。
ごうごうとうねりをあげ流れる砂の河。
どこをみても草の一本すらも見当たらない。
呆然とする彩音に皓緋が話す。
「これが俺達の世界だ。世界が二つに別けられてから数千年。この世界は昼しかない世界となった。氷蓮達の世界が夜しかない世界のように」
彩音は皓緋を見上げる。
皓緋は崖からの景色を眺めたまま、話を続ける。
「昼しかない世界がどれだけ過酷かわかるか? 一日中照り付ける太陽、その陽射しによる熱、枯れる作物……。あげればきりがないが、一番の苦しみは安らぎが来ないということだ」
「夜……」
彩音がぽつりと呟く。
「そうだ。夜だ。夜が来なくても眠ることはできる。だが今まで当たり前にあった夜がない。戸や布をどれだけ重ねて闇を作ってもそれは本当の闇じゃない、偽りの闇。本物の闇はいつまで待っても来ない。その事実が日が経つにつれ、皆の精神を蝕んでいった。だがその中でも王の弟……、この世界では王になるか……とその側近達は壊れないでいよう、壊れても立ち直ろう、と。そんな素振りは民には決して見せまいと必死だったそうだ」
皓緋が彩音に顔を向ける。
「この世界にはもう死しか残されていない。何の罪もない民が昔のやつらのとばっちりで苦しむ理由は何一つない。俺は探したよ、皆が生きていけるような道を。だがどれも対症療法しかない。それじゃだめだ。俺達の先の……ずっと未来まで安心して生きられるようにしなければ。ならばもう道は一つしかない。この世界を元に、在りし日の姿に戻すしかない」
皓緋の目は真剣だった。力強く、迷いのない視線を感じる。
「そのためにはお前達の力が必要だ。だから手伝え、彩音、緋月」
彩音が呆れた表情をする。
(手伝ってくれじゃなく、手伝え、か)
「さすが王様と言うべきか……。でもいいよ。協力するけどそのかわり」
「弟か」
「ん」
彩音は頷く。
「私にできることなんて何もないかも知れないし、正直世界なんてどうでもいい。私は祥護さえ取り戻せればいい。どんなことをしても……!」
皓緋のシャツを掴む彩音の手に力がこもり、シャツにさらに皺が寄る。
「その気持ちだけでいい」
皓緋がぽんと彩音の頭に手を置く。
「緋月の方はどうだ?」
彩音が目を瞑り、緋月の意識を探してみる。
「うーん……、よくわからない。いるのかいないのか……」
「そうか。ま、当分出て来ないみたいなことも言ってたしな。お前の気持ちだけ確認出来ればいい」
「あれでいいの……?」
こんな大事な話の確認があんな簡単なものでいいのだろうか? と、彩音が少し考え込むような表情をしていると、皓緋が「ガキは笑ってりゃ良いんだよ」と言い彩音の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「きゃ! やめてよ! 髪の毛がぐちゃぐちゃになる!」
「ははっ!」
彩音が皓緋の手を退けようとして頭に両手を伸ばすと、皓緋がすっと彩音の背後に行き、両肩を掴む。
「皓緋?」
今度は何をされるのかと思い、彩音は振り返ろうとしたがそれより早く「正面を見ろ、彩音」と言われてしまったので振り向かず正面を見る。
言われるまま正面を見ると、そこは荒涼で殺伐とした景色で、生物の気配など何も感じられず、死をとても近くに感じる世界があった。
「これが俺達のいる世界だ。彩音や愛華のいた世界とは違う。生よりも死が近い世界。これを昼と夜がある本来の世界に戻す。だが、それがどんなことになるかわからない。もしかしたら今より悪くなるかもしれない。別れて数千年も経つんだ。皆、今の環境に良くも悪くも適応している。だからこそ、当たり前の世界を知っているお前が必要だ。俺達にはわからないことを知っているお前が」
「皓緋……」
彩音は皓緋の顔を見る。
真剣な顔。この答えに行きつくまでにどれだけ迷い、考えたのだろうか……と思う。
「うん。私でできることがあれば何でもやるよ」
「ああ、頼む」
彩音はもう一度正面をみる。
そう。私は何でもやる。
祥護を取り戻すためならどんなことでもする。善悪何て知らない。考えない。
私は自分に誓う。祥護を取戻し、自分たちの住む世界へ絶対に帰ると。
雲一つない空を見上げ、この空の下にはいない弟へ話しかけるように言う。
「祥護、必ず迎えに行くからね」
ここから彩音達の、本当の戦いの幕が開けた瞬間だった。




