六章 逢いたい人・九
「歌蓮様……、氷月様の母君様は私達家族の恩人なの。私も母様から聞いただけだけど、お祖母様が歌蓮様に助けていただいたそうなの。お祖父様が亡くなり家族を養うため、お祖母様は働きに出なければならなかった。幸運にもお祖母様は王宮で働けることになったけど、慣れない仕事でお祖母様は粗相をしてしまった。普通なら解雇されるほどの。でもそれをまだ子供……いえ少女かしら? それぐらいの年齢の歌蓮様に助けて頂いたと母様は言ってたわ。おかげで私達は路頭に迷わずにすんだと。そんな話を神殿から家に帰った時、いきなり母様にされたの。突然そんなことを聞かされてどうしようかと思ったわ。だって、歌蓮様とそのお子様の氷月様もすでに亡くなられていたし」
愛華はそのときのことを思い出したのか、眉間に皺が寄っていた。
「だけど母様がそんなことを話し出した理由はすぐにわかった。母様には残された時間がもう無かったから……。その話を聞いた一ヶ月後、母様は亡くなった。その後、私はすぐに神殿に戻ろうかと思ったけど、母様の話を思い出したの。恩人だと言われた歌蓮様や氷月様はどんな方だったのだろうと。そう思ったら気になって仕方なくて、王宮付きの侍女になったの。神殿の仕事なんて、祭事の時ぐらいしか無いようなものだし。そして私なりに歌蓮様と氷月様のことを調べ、気もすんだので侍女の仕事を辞そうかと考えていたら、氷月様だという少女が現れた。これはどういうことかと思ったわ。そしてまさか、こんな秘密があったなんて!」
愛華はとても楽しそうな表情で、目を輝かせていた。
そして、愛砂の目をしっかりと見、再度伝える。
「だから今、お祖母様が受けた恩を私が氷月様に返すとき。私は氷月様について行く。そういうことで、この世界ともあなた達ともお別れ」
愛砂は目を見開き、爪が食い込むほどに強く拳を握る。
肩も怒りと悲しみで震えている。
姉への怒りもあるが、自分が何も知らなかったことに。
自分が忙しくも楽しい日々を送っていた時に、姉はそんなことを考えていたのか。
母様は何故、自分には歌蓮様の事を教えてくれなかったのか。
姉様も何故、自分には教えてくれなかったのか。
自分は話す必要性もない程、どうでもいい存在だったのだろうか。
怒りと寂しさと口惜しさで、頭が熱くぼーっとする。
そんな愛砂の肩に、朔夜はそっと手を置く。
愛砂がその手の主の方へ顔を向ける。
「朔夜……」
朔夜は愛砂を安心させるように、無理をして少しの笑顔をつくる。
そして愛華の方を見、言う。
「考えは変わらないか?」
「ええ。私はいつでも自分に正直なのよ」
「あのとき、からな……。昔のままならこんな馬鹿なことはしなかっただろうに」
「私は感謝してるわ。おかげで自制なんてしなくてもいいということがよくわかったもの」
お互い見つめあったまま、しばしの間沈黙が支配する。
最初に言葉を発したのは朔夜だった。
「では、もう何も言うまい。お前は俺達と……、氷蓮様の敵だ。反逆者として捕らえる」
「あら、殺さないの?」
愛華は楽しそうに笑う。
「氷蓮様が望めばそうしよう。お前が決めることではない」
朔夜が愛砂から離れ剣を愛華に向けようとしたとき、愛砂がその腕にしがみつく。
「やめて、朔夜! もっとちゃんと姉様を説得して! 朔夜は姉様の婚約者でしょ!?」
婚約者、その言葉でほんの一瞬だが朔夜の動きが止まる。
だがすぐに愛砂の腕をほどき前へ出る。
「婚約者だった、だ。それに妹であるお前の言葉も届かないなら、愛華を改心させられる訳などないだろう」
「っ……!」
愛砂の声が震えた。
だがそれでもあきらめず、朔夜の腕にしがみつき、姉への攻撃をやめさせようとする。
「朔夜、やめて! 姉様も考えなおして! 姉様は世界には未練がないと言ったけど人には!? 私や朔夜には未練はないの!?」
愛砂が必死に姉を説得する。
だがそんな妹を尻目に、姉はにべもなく言う。
「ないわ」
「そんな……」
そこへ成り行きを見守っていた氷蓮が割り込む。
「どうやら愛華の意思は固いようだ。これ以上の話し合いは無駄だ。朔夜、その反逆者を捕らえよ。いろいろと訊きたいことがあるからまだ殺すな。死なない程度の攻撃は構わない」
にこりと、この場にはそぐわない爽やかな笑顔で命令する。
「御意」
「朔夜!!」
朔夜は愛砂を強引に後ろへ下がらせ、かつての婚約者――、愛華に剣を向ける。
「お願い申し上げます! 朔夜を止めてください! 必ず、必ず姉を説得してみせますので……!」
愛砂は主である氷蓮の足元に跪き、必死に愛華を助けてくれるよう懇願する。
氷蓮はそんな愛砂を見下ろし「言ったはずだ。赦すのは一度だけだと」と告げる。
愛砂はぐっと息を飲み、俯き涙を流す。
わかってはいた。
この主は絶対に言ったことは違えないと。
それでももしかしたらという、それこそ蜘蛛の糸にもすがるような思いで懇願してみたが、やはり愛砂の願いは届かなかった。
「さ、今は退きましょう、皓緋様。こんなところに長居は無用です」
愛華が背後にいる氷月と皓緋に進言する。
皓緋はまたも予想外のことに驚いたが、すぐに現状での最適な選択をする。
「たいした女だな、お前」
「愛華、と呼んでください。お役に立ちますわ」
「よし、愛華。ひとまず退くぞ」
言って朔夜達と距離を取りつつ後退しようとしたが「待って!」と、氷月が阻む。
「氷月様!?」
「待って……。今退いても氷蓮に捕まるわ。皓緋……父様……達だけなら逃げられるかも知れない。でも私が一緒だと必ず捕まる……」
「どういうことだ?」
「氷蓮は私の力を手に入れた。それはすなわち私の半分を持っているということ。少し術を応用すればすぐに居場所はわかります。加えて、今の氷蓮は祥護さんの身体まで手に入れている。そして私のこの身体は彩音のもの。双子の縁も利用して確実に見つけだすことでしょう」
「だからお前を置いていけと?」
氷月は首を横に振る。
「違います。祥護さんに……時間を作ってもらいます」
「あのガキは死んだんじゃないのか?」
「いいえ。死んではいません」
氷月はキッパリと言い切る。
「あの時氷蓮が使った術は『魂違え(たまたがえ)』という術です。『魂違え』は、自分と相手の魂を入れかえるものです。祥護さんに私の力があると気づいて行ったのでしょう」
「では今、陛下の身体にはあの少年の魂が入っているということですね、氷月様?」
「はい。ただ、氷蓮の身体はとても弱っています。それに祥護さんも刺されたときのショックが大きいと思います。だから氷蓮の身体で行動することはできないでしょうが、氷蓮の意識をそらすぐらいはできるはず」
「お前がやるのか?」
「いいえ、私ではありません。彩音です」
「彩音様が!?」
「彩音でなければ祥護さんを覚醒させることはできません。それに……、彩音は今までの一部始終を見ています」
「お前が見せたんだろう」
氷月は辛く苦しげに眼を伏せる。
「……彩音に身体を返したら、私はしばらく表に出れません。だから後のことは愛華、お願い。彩音を守ってあげて」
「はい、必ず」
氷月の手をぎゅっと握り約束する。
「……父様。まだ貴方が私の父様だという実感はありません。でも誰が父親かわかったことは本当に嬉しい。もっとお話をしたいけれど、今はこの子を、彩音や愛華をおね……が……」
言い終わらぬ内に氷月の身体から力が抜け、倒れそうになるが、皓緋がしっかりと抱えこむ。
数瞬後、彩音が目を覚ました。
覚ますや否や、祥護の元へ行こうとするが、その身体はしっかりと皓緋の腕で抱え込まれている。
「祥護!! 聴こえる!? 私よ、彩音よ!!」
彩音が皓緋の腕の中でもがきながらありったけの声を出し、祥護に呼びかける。
「ほう。氷月は眠ったか……? この状況でおちるとは酷なことを」
氷蓮が祥護の身体で呟く。
それを見た彩音の目が見開く。
「返して!! それは祥護の身体!! あんたなんかの身体じゃない!!」
彩音が怒りを露わに叫ぶ。
「状況まで理解しているのか。我が姪はなんて残酷なことを」
氷蓮は芝居がかった言い回しで、顔を少し俯け痛ましい表情をする。
「やめて!! あんたなんか最低よ!! 自分勝手のために周りの人に迷惑かけて!! それが王様? 冗談じゃない!! そんな最低最悪な人が偉い人なんかなわけない!! 返して、返してよ、祥護を返せっ……!!」
彩音は喉が枯れるほど激しく叫び、その怒りを、悲しみを氷蓮にぶつける。
それは抑える皓緋も手にあまる程の暴れようだった。
皓緋の腕には彩音の爪が食い込み、白いシャツにうっすらと血が滲むほどだ。
痛みで皓緋は眉を顰めたが、どんなに彩音が暴れても腕を離さない。
「ホント、最低な王様だよな。無関係なガキを泣かせて自分は何とも思わない」
皓緋も、氷蓮を挑発するように悪口をつく。
さらに愛華も続く。
「やはりこんな世界、捨てて正解。上に立つお方がこんな性格では先が知れます」
それに反応したのが朔夜。
「お前達、氷蓮様への侮辱は許さん」
剣を構え、攻撃を開始するが愛華の術で弾かれる。
「馬鹿ね、朔夜。私がいるんだからあなたの負けよ」
「ほざけ」
愛華は彩音と皓緋を庇いながら朔夜に応戦する。
「私は周りがどうなろうと構わん。目的を達成するためにある程度の犠牲は必要だ」
氷蓮は大局を成すためには犠牲など当たり前と言わんばかりの態度だ。
「じゃあ私も言ってあげるわ。あんたの目的は全部潰してやる!! あんたは何にも手にすることが出来ずに死ぬのよ!! 私の祥護をこんな目にあわせたんだ、これぐらいですむと思うなぁっ!!」
彩音はもう感情の制御ができなかった。
思ったことがすべて言葉になる。
「不快だな」
氷蓮が顔を歪ませる。
「何の力も持たない小娘が私に刃向かうとは。不愉快極まりない」
言うや手を掲げ呪文を呟いた様だが、何も起こらない。
それどころか頭を抱え、膝をつく。
「つっ……!」
主の異変を察した朔夜が戦線を離脱しようとするが、愛華に邪魔をされ動けない。
「馬鹿ね、私が逃がす訳ないでしょう! ほら、よそ見している暇なんてあるのかしら!?」
愛華はここぞとばかりに、畳み掛けるように攻撃をする。術を展開し、朔夜の行く手を阻む。
朔夜は氷蓮に気をとられ、反撃のチャンスを掴めないまま防戦一方となる。
「くっ……! 氷蓮様!」
「おのれ……! おとなしく眠っていればいいものをっ……」
さらに心臓のあたりも痛むのか、氷蓮が右手で胸のあたりを強く掴む。
「冗談じゃ、ない……。自分の身体が、彩音を傷つけるなんて……!」
「え……」
声がした。
氷蓮の声、だ。
本当の、氷蓮の声。
声の方に視線を向けると、横たわっていた氷蓮の身体が動いていた。
指先が、今の場所を確認するように、石畳を震えながら撫でる。
そしてゆっくりと身体を横向きにし、腕に力を込め、起き上がろうとしている。
そう。今、氷蓮の身体に入っている魂は――。
「祥護!!」




