六章 逢いたい人・八
「狂わされるのも、たまには良いものだな。思わぬ幸運が訪れる」
そう言って、祥護の身体の状態を確認する様に腕を伸ばしたり、手を握ったり開いたりする。
皓緋達の事など眼中にないかのようだ。
「…………」
皓緋は今どう行動すべきかを考えていた。
氷蓮は新しい身体を手に入れた。厳密には違うのかも知れないが、現状はそうだ。しかもその身体には、氷月の力があるという。
初めは気づかなかったが、氷蓮がその身体に入った事で気づいた。今、あの身体からは確かに二人分の王族の力を感じる。氷蓮と氷月、二人分の力――。
となれば、このまま氷蓮と戦うのは極めて不利。相手の力もわからず、しかもここは氷蓮の支配する世界。地の利はあちらにある。歌蓮から聞いて現在のこの世界の事は大体把握しているが、命のかかった戦いでは、どんな小さなミスでも命を落とすきっかけになりかねない。
(ここらが潮時か)
皓緋はそう判断し、氷蓮の様子に気を配りながら、じりじりと後退し始めたそのとき、氷蓮と皓緋の間にいる氷月の元に愛華がかけ寄り、両肩をしっかりと摑んで声をかける。
「氷月様、しっかりしてください! あなたは一人ではありません。私がお側にいます。さあ、何なりと仰って下さい」
その声で自我を取り戻したのか、氷月がゆっくりと、泣き腫らした顔を愛華の方へ向ける。
「私……、私……、どうやってこの子に謝れば……」
愛華の声に反応はしたものの、まだパニック状態だ。
「大丈夫です、氷月様。私がずっと側にいますから……。さあ、呼吸を整えて……、そう、次は涙を止めて下さい」
愛華は優しく、だがしっかりと氷月を抱きしめ、背中を優しくさする。
「……ありがとう、愛華。今は私がしっかりしなければいけないのよね……。でも……」
言葉につまり、また涙ぐむ。
「大丈夫です。私は氷月様の側にいます。ずっと味方です。だから……今から私の言う通りにして下さいね?」
え? という顔で愛華を見返そうとしたとき、ぎゅっと愛華に引き寄せられた。
「顔はまだ伏せたままにして下さい。氷蓮様に気づかれてしまいます」
愛華が優しく宥めつつ、そっと氷月の耳元で囁く。
氷月はまだ自分自身がどうすればいいのかわからない。
いや、本当はわかっている。わかっているからこそ出来ない。
だから今はわからないふりをして、愛華の言葉に同意し、小さく首を縦に振る。
その方が楽だから……。
「ありがとうございます。ではこのままゆっくりと私と一緒に立ち上がって下さい。そうしたらすぐに皓緋様の方へ行ってください。あなたの力になってくれるのは皓緋様だから。わかりますよね?」
確かに今、自分を助けてくれるのは皓緋だろう。皓緋は娘である私――『緋月』を迎えに来たのだ。ただ、今の自分が皓緋の役に立つのかはわからないが。少なくとも氷蓮の元へ行くよりは、まだ身の保障はあると思う。だがそれは建前で、本音は氷蓮の元へ行きたくないだけだ。自分が辛くて辛くて、逃げたいだけだ。だから今は皓緋の元へ行く。
愛華は氷月の身体を宥めるように優しくたたくと、それを合図として、ゆっくりと氷月と一緒に立ち上がる。
「愛華。氷月をこちらへ」
氷蓮が氷月へ手を差し出す。
「来なさい、氷月」
「残念ながらその願いは叶いませんわ、陛下」
そう言うと同時に、氷月は皓緋の方へ走り出した。
愛華は氷蓮に向けて呪陣を作り、放つ。
呪陣は青白い業火となり、氷蓮を飲み込もうとうねりをあげて走る。
氷蓮は一瞬驚きの表情をしたが、すぐに呪陣を展開し、愛華の攻撃を迎え撃つ。
呪陣が業火を受け止め、恨めしげな音をだして消え散った。
愛華は術を放つと同時に氷月を庇うようにして、皓緋の方へ走る。
「どういうことだ、愛華」
氷蓮は冷たい表情で裏切った部下へ問いかける。
「どうもこうもありません。ご覧の通りです。私は氷月様の味方ですから。氷月様のお気持ち通りに動くのです。今は私の独断ですが、これが最善だと思いますので」
愛華は嫣然とする。
「そうか。愛華、お前は優秀な臣下だったのに残念だ。では今からお前は反逆者だ。わかったな、朔夜、愛砂」
「……はい」
朔夜は愛華を一瞥した後、そう答えた。
「待ってください、陛下!」
愛砂が氷蓮の側に来、その足元に跪く。
「私が姉を説得します! ですから一度だけ、一度だけお慈悲を頂けますよう、お願い申し上げます……!」
愛砂が必死に氷蓮に懇願する。
氷蓮は朔夜の方にも視線を送る。
口に出してはいないが、その目は愛砂と同じ気持ちのようだ。
「仕方がない。一度だけ赦そう、愛砂」
「ありがとうございます!」
愛砂は心の底からの感謝の気持ちを氷蓮に伝えると立ち上がり、愛華の方へ向きなおす。
「姉様、何故……!? 何故突然私達を裏切って、敵の味方をするの!? 今、自分がしてることの重大さがわかっているの!? 大恩ある陛下に対してしていいことだと思っているの!?」
愛砂は一気にまくし立てた。
そんな妹の態度を見ても姉はにこりと微笑するだけで、罪悪感といったような類の表情は窺えない。
「ごめんなさいね、愛砂。私、陛下を、いえ、この世界を捨てることに何の未練もないの」
愛華は微笑を崩さず話し続ける。
「でもそうね。理由ぐらいは話したほうがいいわね。何も知らないままじゃ可愛そうよね」
そう言うと、愛華は思い出すように語り出した。




