六章 逢いたい人・七
「さて。緋月が俺の娘だと証明された今、もうこんなところに用はない。来い、緋月。お前の居場所はここじゃない」
皓緋は氷月の手を取る。
「父様……」
氷月は戸惑い、動揺しながらも皓緋に逆らうことはしなかった。
「ちょっと待てよ!」
祥護が氷月の空いている腕を掴む。
「あんた達が何をしようと何処に行こうと俺には関係ない。だけどこの身体は彩音だ。俺の大事な姉貴だ。誰にも渡さない!」
祥護が氷月の腕を掴みつつ、皓緋を強く睨む。
皓緋はやれやれといった感じで祥護を見る。
「それは俺も困る。少なくとも緋月の身体が戻るまではこの身体は必要だ。お前はどうしたい、緋月?」
「私は……」
氷月は皓緋と祥護に挟まれ、心が惑う。
「私、は……」
「氷月、お前は何処にも行かせない。お前は私のものだ……!」
そういうや否や、朔夜の持つ剣を奪い、どこにこんな力が残っていたのかという程の速さで、氷月の背後から剣を氷月の心臓めがけて突き出す。
これには皓緋も想定していなかったらしく、対応が間に合わない。まさか刃を向けるとは。
「ちっ! 死にぞこないのくせに!」
そのとき。
「彩音!」
祥護が彩音を背後から抱きしめ庇う。
「何!?」
今度は氷蓮が予想外のことに対応が間に合わない。刃の勢いを止めることは出来ず、祥護を突き刺す。
「うっ……!」
祥護がくぐもった悲鳴をあげる。
「祥護さん!」
氷月が振り向き崩れ落ちる祥護の身体を抱きとめるが、いきなり祥護の全体重を支えられずよろめいたところを皓緋がさらに支える。
氷蓮は剣を引き抜き、皓緋との間合いを取る。
「愚かな真似を……。残念だがもう間もなくこの者は死ぬ。刃は心臓に達したからな」
剣に着いた血を振り払い、冷たく言い放つ。そこに罪悪感といったような感情は見えなかった。
「祥護さん!」
氷月がその場に座り、祥護を抱き起こす。
「しっかり、しっかりしてください!」
氷月は必死に祥護に呼びかける。その瞳から溢れる涙が祥護にも流れ落ち、祥護の頰を濡らす。
「彩音……無事……か……?」
「はい……。どこにも怪我などしていません」
祥護をギュッと抱きしめながら、掠れた声で答える。自分はここにいるよ、と。
「そ……か……。よかっ……た」
祥護が力無く笑う。
「も……、お前の傍、に……、いられないけど……泣くな……よ……?」
もう話す力もないのだろう。声が小さくなり、だんだん聞き取れなくなってきた。
「だめ、だめ……! 死んではだめです……! だめっ!! お願い、父様! 傷を、血を止めて……!!」
氷月の取り乱し様と切羽詰まる叫びを聞き、何とかしてやりたいのはやまやまだが、心臓へ刺傷の上、その剣も引き抜かれ大量の出血に塗れた身体。死はもう祥護を包み始めていた。
「もう手遅れだ。傷は塞げても魂は……」
「傷が塞がれば魂はまだ身体に留めておけます! お願いします! 今の私には祥護さんに何もしてあげられない……!」
皓緋は無駄なことはしたくなかったが、氷月があまりにも必死で懇願するため、仕方なしといった体で、溜息交じりで応えた。
「わかった。傷口は塞いでやる。だが、魂まで留められるかわからんぞ」
「構いません! それは私が……」
「お前がそんなにお人よしだとは思わなかったぞ、皓緋。今、お前を殺れる。そう思うと、この上なく気分がいい」
勿論、こんな好機を見逃す氷蓮ではない。愉しげに笑いながら、間合いを一歩ずつ縮める。
「ちっ!」
皓緋が舌打ちする。
今、治療の手を止めれば祥護は確実に死ぬ。いやもうすでに死んでいるも同然。身体から魂が離れかけようとしているのがわかる。今すぐにでも攻撃に転じたい。自分は見知らぬ子供のことより、自分に必要な子供さえ無事であればいいのだから。
本当ならアイツは呼びたくなかったが仕方ない。今の自分達を守るにはアイツを戦わせるしかない。
「陽お……」
待機させている陽織の名前を呼ぼうとしたとき、氷月が抱きかかえていた祥護をそっと横たわらせ、皓緋と祥護を守るようにして氷蓮の前に立つ。
「そんなことはさせない、氷蓮」
「氷月。私の邪魔をするなら容赦はしない」
氷蓮はためらいなく剣を構える。
「やっぱり……。私を憎んでいたのね。殺したいほどに」
氷蓮の冷酷さにびくりと身体が怯えても、氷月は努めて冷静に氷蓮に問いかける。
「ああ、その通りだ」
今さらかという口ぶりで返事をする。
「お前が私の歌蓮を殺したのだ。憎まない方がおかしいだろう?」
わかっていてもその言葉を聞くのは辛いのか、氷月の顔が一瞬泣きそうに歪んだが、それを堪え、言葉を絞り出す。
「……幼い頃から氷蓮は私ではなく、私の中に残る母様の面影をみているのは感じていた……。それでも、いつかきっと私を見てくれると信じてた。そのために、色々と努力もして来たつもりだった。氷蓮に好いて欲しかったから……」
「心外だな、氷月。私はお前を愛しくも思っていたよ。お前は私にとって必要な子だ。だから、お前の望む通り接していたではないか」
「そう、ね……。でも上辺だけ。今は無理でもいつか心から接してくれると願っていた。……あの日までは」
「そう。あの日、お前は愚かにも身を投げた。おかげで私の予定は狂わされ、怒りと苛立ちの日々だった」
その日々を思い出したのか、剣を握り直し、氷蓮の表情も歪む。
「だが、それも悪くなかったようだ。今度こそ、私の役にたってもらう」
氷蓮は心底ぞっとする様な笑みを浮かべ、その表情、いや、身体から、狂気というのが相応しい気が発していた。そして視線が氷月を通り越し、その後の祥護に行く。皓緋でもなく、祥護に。その視線に氷月がはっとし、一気に顔が青ざめる。
「まさか氷蓮……」
「氷月。私の勝ちだ」
言うや、一気に間合いをつめ、氷月を突き飛ばし祥護の前に立つ。
「礼を言うぞ、皓緋。その子供の身体を治してくれて」
「何だと!?」
氷蓮が皓緋に剣を向けた。
「皓緋!」
どこから現れたのか陽織が背後から抱きかかえるようにして、祥護から引き剥がす。
「陽織」
「まったく何やってんだよ! もうすぐであいつに殺され……」
出てきた陽織が氷蓮の方に視線を移すと、その後の言葉が継げれなかった。誰もが想像しなかった光景があったからだ。いや、氷月以外は想像しなかった光景。それは、氷蓮が持った剣で自分自身の心臓を貫いたからだ。そしてその剣を引き抜き、横たわる祥護の心臓に刺す。剣にもたれ、刺したまま呪文を唱え始めた。時折、苦しそうに血を吐きながらも呪文を唱え終わると、二人の身体が淡いオレンジ色の光りに包まれる。
「やめてぇー!!」
氷月の切り裂くような悲鳴が響く。
「氷蓮様!」
朔夜がありったけの声で主を呼ぶ。
だが、氷蓮は返事をしない。その身体は祥護に覆い被さるようにくずおれた。
「氷蓮様!」
朔夜が氷蓮の側に駆け寄り、仰向けにして抱きかかえる。
顔からは血の気が失せ、白かった。生気のない顔。それでも朔夜は氷蓮の名を繰り返し呼び続ける。
氷月はそんな朔夜の声で少し正気を取り戻した。
戻ると同時に朔夜から氷蓮を奪いとろうとする。
「何をするっ!」
朔夜は氷月から主人を守る。
「渡して! その身体を私に!」
「何を言っている! お前などに氷蓮様を渡すものか!」
朔夜は自分の腕の中にさらに抱え込むようにして、氷蓮を守る。
だがそれでも氷月は必死に食らい付き、あきらめない。
「渡して! でないと……」
この様子に違和感を覚えた皓緋が、朔夜から氷蓮の身体を奪おうと朔夜に近づこうとしたとき。
「朔夜。私の身体は誰にも渡すな」
声がした。
話すことのできないはずの人から、その人が絶対に言うはずのない言葉が。
「あ、あ……、間に合わなかった……」
氷月だけは現状を理解し、泣きくずれた。
朔夜は呆然としながらも、そのまま氷蓮の身体を守る。
愛華と愛砂もただ呆然とする。信じられない光景を目の当たりにしたから。
皓緋と陽織は驚きつつも、次の手を打つために現状把握をしようと現実を受け止める。
「残念だったな、氷月。この身体は私が貰う。お前の力とともに……な」
祥護がゆっくりと身体を起こし、その場に立ち上がる。剣で貫かれたはずの心臓も、貫かれた痕など見当たらない。傷口は完全に塞がり、治っていた。それは氷蓮の身体も同様だった。
「どうりでお前から何の力も感じなかったはずだ。力はすべてこの子供に渡していたとは……」
そう言って祥護……、いや、祥護の身体に入った『誰か』が祥護の身体を抱きしめるようにして両腕を撫でる。
口元には恍惚の笑みを浮かべて。
「ああ……。やはり若い身体はいい。生命力に満ち溢れている。このような充足感はどれくらい前のことだったか……」
『誰か』は祥護の身体を堪能する。
氷月はまだくずおれたまま、悔しさで肩を震わせ涙を流していた。
氷蓮の行動を止められなかった自分自身の無力さと、彩音への申し訳なさで。
「一体……どういうことなんだ……?」
朔夜が主の身体を抱きながら呆然と呟く。
祥護ではない『誰か』が朔夜の問いに答えた。
「心配をかけたな、朔夜。姿は変わったが、私は氷蓮だ」
『誰か』は、氷蓮だった。
祥護――、いや、氷蓮は座って氷蓮の身体を守っている朔夜の側へ行き、優しく頭を撫でる。
いいつけを守った子供を褒めるように。
撫でられているうちに朔夜の目から涙が流れた。
氷蓮がそれに気づくと、しゃがみ、朔夜の涙をそっと拭う。
「あの時、お前はもう泣かないと私に言ったのに。そんな姿のお前を見ていると、あの頃の小さな朔夜のままだと思うよ」
しようがない子だ、と言いながらまた朔夜の頭を撫で始めようとしたが、その手を朔夜がやんわりと掴んで止めた。
「あなたは私の氷蓮様です。姿形は変わっても、今私と話しをしているあなたは確かに氷蓮様です」
朔夜は掴んだ氷蓮の腕をいったん離し、今度はその手を恭しく握りなおした。
「ありがとう、朔夜。お前ならわかってくれると信じていた」
氷蓮は微笑んだ。祥護の顔で。
『祥護』ならすることのない、作り物のような柔らかい表情で。
そこにはもう、祥護の姿をした別人が立っているだけだった。




