六章 逢いたい人・六
「商人さん……」
氷月が心の中で商人に来てくれるよう、ただひたすら呼びかけ続けて数分が過ぎたとき。
突然、氷月の前の空間がぐにゃりと歪んだ。
その場にいた者はすぐに身構え、皓緋と氷蓮は氷月の側に行こうとしたが、それを氷月が制した。
「大丈夫です。商人さんです」
そう言うと同時に歪んだ空間から男が一人現れた。
「ご利用どうもアリガトウゴザイマース!」
テンション高くそう挨拶すると、男は氷月の前に立った。
「アンタか。随分と早いお呼びで」
ニヤリと氷月を見下ろしながら男が言う。
「事情が変わったの」
氷月は男を見上げながら返す。
「ていうか……こいつが商人……?」
祥護がぽかんと口を開ける。
「そーだけど。何か文句あんのか、ガキ」
「や、文句はないけど……」
祥護は男の迫力に少し怯んで一歩後ずさる。その男は祥護が持っている商人というイメージからは、かけはなれていた。
男の身長はとても高く、おそらく190㎝はあるだろうその高身長に加え、肩までかかるやや暗めの栗色の髪と精悍な容姿。身体も鍛えられてはいるが筋肉質な感じではない。衣装もラフなものだった。基本は彩音達と同じ様な衣装――、洋服みたいで、民族風な感じの模様で織られたストールを纏っていた。
そして、どこか危うい色気を感じる男だった。
「で。用件は? こーみえても俺、暇じゃねぇんだ」
前髪をかきあげダルそうな感じで言う。その声に促された氷月が話す。
「私の身体を少しの間、借りられませんか? 今、どうしても必要なのです」
「ふーん。そりゃ構わねぇけど対価次第。ソコは商売だからなぁ」
「承知しています。私の払える全てで」
男は氷月を上から下まで探る様に観察する。
「残念ながら無理だな。今のあんたで、あんたの言う商談に対する対価は持ってナイ」
「そんな……」
氷月が落胆する。
「おい、商人」
「あぁ?」
「対価は俺が払う。だから俺と取り引きしろ」
皓緋が商人に交渉する。
商人は皓緋の前に行き、答えた。
「構わないぜぇ。見合った支払いさえしてもらえればな」
「では俺の依頼はこうだ。氷月の父親が誰か調べろ」
「いいぜ。だがそれだと高くつくぜ? 察するところこのメンツの誰かがこいつの父親か、ってとこだろ?」
男が氷月を顎で指し、周りを見やってニヤリと品のない笑みを浮かべる。
「ご名答」
「はっ! そんなこたすぐわかるわな」
馬鹿にするなという表情で皓緋を睨む。
「で? 出来るのか、出来ないのか?」
「そんなことは朝メシ前だ。すぐに出来る、が。さっき言った通りこいつの父親が誰かと言う商談なら高いぜ。ゼロから探せってことだからな。が、ある程度の候補者の中から探すってぇなら少しは安いぜ? どうする?」
「そうだな……」
「私はこの中からで構わない」
氷蓮が口を挟んだ。
皓緋は意外に思ったらしい。
「お前がそんなことを言うとはな。ま、お前がそう言うなら俺は構わん」
「氷月の父親は私だ。この事実は変わらない。第三者からの確認があるならそれは紛れも無い事実となる」
「お言葉ですが、氷蓮様」
黙っていられなくなったのか、朔夜が割って入る。
「何だ、朔夜」
「この男が嘘をつくかも知れません。得体の知れない男の言う事など信用出来ません」
朔夜は商人に疑惑と不信の目を向けたまま進言する。
「あぁ? それは聞き捨てならねーなぁ、兄チャン。この仕事は信用第一なんだよ。そんなことしたら俺が仕事してけねぇんだよ」
男がすっと間合いをつめて朔夜の目の前に移動する。
「!!」
朔夜は驚きの表情を浮かべすぐに後へ飛びのき間合いを取る。
「お前……」
男はニヤニヤと嘲る様に朔夜を見下し、朔夜は屈辱の表情を浮かべ剣に手をかける。
「やめろ、朔夜」
氷蓮が制する。
「この男は商人だ。ただの商人……というわけではなさそうだが、仕事はきちんと遂行すると私は感じる」
そうだろう? という表情もつけて商人の方を見やる。
朔夜は屈辱おさまらぬままだが、主の言うことには逆らえない。
「…………」
無言のまま剣から手を離し、下がる。
「じゃあ商談はお前かあの男、どっちがこいつの父親か、ってことがわかればいいんだな?」
「ああ」
「リョーカイ」
男がまた皓緋の前に移動する。
「次はお前にその対価が支払えるかどうかだな」
男は皓緋の顔に向けて右の手の平をかざす。
「しばらくそのままでいろよ」
男は目を閉じ、手の平に神経を集中させる。
しばらく時が過ぎ男が呟く。
「……すな。紅い、砂……」
その言葉を聞いたとたん、皓緋の眉がぴくりと動く。
と、同時に男は皓緋の眼前から手を降ろす。
「対価、決まったぜ。紅い砂だ」
皓緋は警戒しつつ、じっと探るように男を見る。
「払うのか、払わないのかどっちだ?」
男は皓緋の視線など意に会さず、にやにやしながら皓緋に問う。
「払おう。量はどれぐらいだ?」
「俺の片手で掬える程度」
そう言って、皓緋の前に右手を出す。
「払うが今ここでは無理だ」
「わかってる。だから手、どっちか出しな。変なことはしねぇから安心しな」
皓緋は左手を差し出した。
「オッケ」
男は皓緋の手の甲に右手をかざす。
すると一瞬熱を感じたかと思うと、熱を感じた場所に印が刻まれていた。
「これは……」
皓緋が印を付けられた左手を目の高さに持ち上げた。そこには、薔薇をモチーフにしたようなエンブレムが付けられていた。
「俺の目印。カッコイイだろ? 対価後払いの奴には必ず入れてる。これがあればどこにいようとも俺はそいつをみつけられる。どこにいようとも、な」
男がニヤリと笑う。
「別に害はないぜ。俺が対価取りに行くまでついてるだけで。対価は頃合いを見て俺が取りに行く。が、そっちの準備が整えば、印に向かって俺を呼べばすぐに取りに行くぜ」
「わかった」
「さて、じゃあとっとと仕事済ませるか。まずは……、あー、コウヒ、だっけ?」
「ああ」
「俺の手の平の上に、一滴血をよこしな」
「わかった」
使うか? と、商人がナイフを差し出したが、皓緋は断った。
皓緋は指を噛み、言われた通りに商人の手の平の上に血を一滴垂らす。
不思議なことに男の手の平に血は落ちず、空中で血が止まる。まるでそこに見えない器があるように。そしてその血を中心にほの蒼く光る魔法陣らしきものが現れると、血は丸い宝石のように固まった。
「次はお前」
そう言って氷蓮にも同じことをするように促す。
氷蓮は朔夜の剣で指先に傷をつけ、皓緋と同じ様に商人の手の平の上に血を一滴垂らす。
「よっしゃ。準備オッケイ。次はお前の身体のトコにこいつらの血を送る」
そう言うと、今まで男の手にあった血がフッと消えた。
「さて、次は結果を確認できるようこっちとつなぐ……と」
言いつつ目の前の何もない空間をすっと水平に撫でる。
「すげぇ!」
祥護は男の一連の動作に興奮した。
男の撫でた空間に、ガラスとおぼしきケースに入った少女の映像が現れたからだ。
「よし、感度良好だな。お前らこの映像見えるよな?」
商人は操作をしながらその場にいる者に確認をする。
「ええ……。あなたに渡した私の身体だわ……」
「ああ、緋月が映っているな」
「あの時、別れた時の氷月だ」
「オーケィ。次は判別だ」
氷月の胸の辺りに二人の血を固めた玉が現れた。
「じゃ、始めるぞ」
商人はこの場にいる者全員を見回す。
皓緋が「始めてくれ」と促す。
「わかった」
男が映像越しに玉に手の平をかざし、理解できない言葉を紡ぐ。
すると片方の血の玉だけが明るく光りだした。もう片方は何の変化もない。
「わかったぜ、どっちが父親か」
今までも張りつめていた空気が、さらに張りつめる。
「父親は」
と商人が言葉を切る。
「こいつだ」
指差したその先には、皓緋がいた。
同時にそこにいた者一同、皓緋を見る。
氷蓮以外は。
「これで完全に俺が緋月の父親だと立証されたわけだ」
皓緋が勝ち誇ったように言う。
「貴方が……?」
「そうだ、緋月。遅くなったが迎えにきた。俺と一緒に来い」
「父、様……」
氷月が恐る恐る手を皓緋に伸ばしかけたとき、沈黙していた氷蓮が地の底から響くような、低く、怒りをはらんだ声で口を開く。
「どういうことだ……。何故お前が父親なんだ? 皓緋!」
その声に一同がびっくりして声の主の方を向く。あの氷蓮がこんなに声を荒らげ、感情を露わにするとは。
「嫉妬か? 見苦しいぞ」
「黙れ! 私はどういうことかと訊いているんだ! 答えろ、皓緋!」
「答えろ、と言われてもな。言っただろう? 歌蓮が進んで協力してくれた、と」
氷蓮は納得しないという視線で強く睨む。
「おや、この答えじゃ満足しないか。ではこう答えてやろう。歌蓮の性格はお前の方がよく知っているだろう? あいつは退屈が嫌いで、いつも自分が楽しめる『何か』を探していた。俺の話にあいつは楽しい玩具を見つけたと言わんばかりに、目を輝かせて聞いていたよ。勿論、お前達がそういう関係だと歌蓮から聞いて知っていた。だからこれも賭けだった。……どちらの子が産まれるのか、な」
ああそうだ、と皓緋が思い出したように話を続ける。
「歌蓮はこうも言っていた。『どちらの子かやきもきしている俺と、自分の子だと信じて疑わない氷蓮。でも、自分の子だと信じていた氷蓮が、産まれた子が実は他人の子だったと知った時。そして、氷蓮の子が産まれて落胆する俺。結果を知って、どんな表情や行動を二人はするのか。妊娠なんてつまらないが、そんな楽しみがあるなら耐えられる。子の誕生が待ち遠しい』とな。」
「歌蓮っ……!」
今まで、おそらく誰も聞いたことがないであろう怒りを込めた氷蓮の声。
「どうやら話しは済んだようで?」
商人が割って入る。
「ああ」
「じゃ、俺はこれで。忙しいんでな」
じゃあな、と言って去ろうとした商人を皓緋が呼び止めた。
「お前の名は?」
「ああ、まだ名乗ってなかったか。爛熯だ」
名乗り、じゃあなと言って今度こそ来た時と同じように、爛熯は空間を歪ませてその中に消えた。




