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六章 逢いたい人・三

「冷てっ! え、水!? 何で!?」

祥護は水に濡れ、強く打ちつけた尻をさすりながら立ち上がり、まわりを見た。そして驚きと喜びが混じった表情である人を見る。

「彩音……!?」

そう。祥護の目の前には、なす術もなく消えた双子の姉がいたのだ。祥護は一目散に姉に走り寄り、がっ、と肩を掴む。

「彩音! 無事だったんだな!? どこか怪我とかしてないか!?」

祥護はぎゅっと肩を掴んだまま、頭の先からつま先まで何度も見る。怪我などがないことがわかるとほっとした表情になる。そしてあらためて、あの日、目の前で消えてしまった自分の片割れを見る。

「彩音……」

祥護が彩音の手をとろうとしたとき、彩音は一歩後ろへ下がった。その行動を訝しみ「彩……」と名を呼ぼうとしたとき、祥護は違和感を感じた。

いつもならこんなとき、そう、たとえば迷子になってやっと祥護に逢えたとき。彩音は迷わず自分の腕に縋ってくるか、抱きついてくる。何か怖いことなどあったときも同様だ。

人目など憚らずにそうしてくるので、よく恥ずかしい思いをしている。

言葉はなく、ただ縋って抱きついてくる。どこにもいかないで、行ってはいやだ、というように。だが今目の前にいる彩音は近寄るどころか離れて行く。

いつもと何かが違う……、そう感じた祥護は試してみることにした。

ちょうどよく、左の掌を軽く擦りむいていた。いつもの彩音なら、この程度の怪我でも大騒ぎする。水で洗わなきゃ、次は消毒だのと。ああ、絆創膏も貼らなきゃと。

その時の様子を思い出したのか、祥護は苦笑した。

もしこれで騒がなかったら……。その時はどうするのか自分自身でもわからなかいが、とにかく今はこの違和感を確かめたかった。

祥護が軽く顔を顰め「つっ……!」と、言って左手首を押さえる。その様子に氷月も思わず声をかける。

「どうかしたの……?」

少し近寄り、祥護の左手を見る。

「あぁ、ここに落ちたとき、掌擦りむいたみたいでさ。ほら」

言いながら、祥護は彩音に左の掌を見せた。大した怪我ではないが、皮が剥け、若干血が滲んでいるので見ると痛々しく感じる。

氷月は少し痛そうな表情をすると、胸元からハンカチらしき白い布を取り出し、取り乱すことなく傷口にあて、優しく血を拭った。

(違う……)

その仕種や態度をみて祥護は確信した。姿はどうみても彩音だが、中身だけが違う。証拠などはないが、そこは血を分け、生まれる前から一緒にいた者の直感。

彩音じゃない。

「これで大丈夫だと思うけど、あとでちゃんと手当てしてもらってね」

手当てを終えた氷月が顔を上げた。

(違う……! 『手当をしてもらってね』何てこと、彩音は絶対に言わない!)

この程度の傷なら絶対に自分で手当てをしないと彩音は気がすまない。誰かに任せるなんて事は余程の事がない限り、ありえない。

「まだ痛む?」

じっと、手当てされた手を見たまま動かない祥護を、氷月がどうしたのかと思い、控え目だが声をかけて訊いてみる。

「あ? ああ、ありがとう」

祥護は気を戻し、礼を言うとあらためて彩音に話しかける。

「彩音……。いや、あんた彩音じゃないよな。姿は彩音だけど中身が……心? 魂? ていうのかな、が、別人……に感じる。彩音らしくない。仮に性格が変わってしまったとしても本人なら何らかの面影っていうか『らしさ』の欠片ぐらいはわかるはずなんだ。けど今の彩音からは俺の知っている彩音『らしさ』の欠片も感じ取れない」

氷月は一瞬ぎくりとした表情をしたが「何を言ってるの? 私は彩音よ」と返事をした。

「ああ、あんたは俺の知ってる彩音だ。身体はな。もう一度訊く。あんたは何者? 誤魔化さなくていいよ。あんたが彩音じゃないのはわかるんだ。何となくというか……これは理屈じゃなくて勘だけど、生まれる前から一緒にいた双子の片割れだからわかる勘……みたいな」

「…………」

氷月は誤魔化そうと思った。氷蓮は祥護を使って確信を得ようとしている。それにのって話しを進めれば氷蓮の思うつぼ。

だが祥護は目の前の姉は姉でないと確信している。適当に誤魔化してみても、それは墓穴になるだけだ。もう自分の存在は隠しきれないだろう。真実を話すことで事態がどうなるかはわからないが、氷月は全てを話す決心をし、祥護の顔を正面からしっかりと見る。

「私は氷月と申します。貴方の言う通り、貴方の姉君の彩音ではありません」

その言葉を聴いた祥護はやっぱりか……という表情をした。氷蓮は思惑通りと言わんばかりに薄く笑む。

他の者達は驚きの表情で氷月達を見る。あの彩音という少女は、本当に氷月であったのだと。

氷月は祥護を見た後、少し目を伏せ、話し始めた。

「まず、何から話せばよいのか……。祥護さん、訊きたいことはありますか?」

「彩音は今どうなってる?」

祥護は迷いなくそう返す。

「無事です。今は気を失って……眠っている状態です」

「そっか」

祥護は心底ほっとした表情をし、少し肩の力も抜けた。

「次は私の質問に答えてもらおうか、氷月」

タイミングを見計らったように、するりと氷蓮が会話に入る。

氷月は最後の抵抗として、しばらく氷蓮を睨み、口を噤んでいたが「氷月」と氷蓮が名を呼ぶと嫌々ながらに口を開く。

「……何を知りたいのでしょうか、氷蓮」

重い口調で返事をする。

「お前がいなくなった後からのこと、全て」

氷月はやはりか……という表情をし、一呼吸おいてから話しだす。

「あの後……、私は次元の狭間に落ちました。そこは暗く、上もなく下もない。もちろん左右もない。ただただ、暗い空間を漂っていました。そのまま朽ち果てるために」

「だがお前はここにいる。少なくとも魂は朽ち果てることなく。何故だ?」

氷蓮が引っかかるところはそこだった。

次元の狭間に落ちれば、そこから出ることはかなり難しい。次元の壁を破る強靭な精神力と肉体がなければ脱出する可能性すら見つけられない。当時の氷月にはそんな心も身体もなかった。だから氷月を捜すときも狭間の空間を気が遠くなるほどに捜していた。それがもしやと思い、狭間とつながっている空間をしらみつぶしに捜してみれば見つかるとは。誤算だった。だからどうして異世界に行けたのか知りたかった。

「……狭間を彷徨っていた私の前に一人の男性が現れ、声をかけてきたのです。信じられないことに」

氷蓮が驚いた表情をしたが、すぐになるほどと納得した表情になる。

(第三者か……。だがそんなところにいる男とは……)

「その男性は私に何故こんなところで彷徨っているのか問うてきました。私が理由を話すと、男性は話を持ちかけてきました。私が望むなら、こんな狭間ではなく異世界を彷徨わせてやる、と。私はしばらく考えてその話を承諾することにしました。男性にお願いすると、それを叶えるためにはある条件が必要だと言われました」

「条件とは?」

「それに見合うだけの対価。その対価として私は自らの身体を差し出しました。そして、彩音達の住む世界へ行ったのです」

「なるほど……。しかしその男は一体何者だ? 狭間で行動できる者など……」

「私も詳しくは知りませんが、男性は自分のことを商人だと言っていました」

「商人、か」

氷蓮は少し考えるような表情をした。

氷月は構わず続きを話し始める。

「魂……、精神体だけになった私は、ふらふらとあてもなく、その世界を彷徨っていました。とその時、とても悲痛な叫びが私に届きました。まだ……この世にいない、小さな小さな生命体の声にならない声。それがあまりにも哀しいから私は返事をしました。その子はとても嬉しかったようで、喜びの感情が伝わってきたと同時に助けを求めてきました。その子は自分の片割れを助けてくれと懇願してきました。母親がお腹を打ったと同時に、片割れが急に元気がなくなって、今まで聴こえていた音がだんだん小さくなって聴こえなくなってきた、だからこの子を助けて、と。私にも確かに徐々に音が……生命力が失われていくのがわかりました。このまま放置しておけばおそらく数分程で死ぬのではと。だけど私には助けてあげたくてもその術がない。そのとき商人さんのことを思い出し、あの商人さんが助けてくれるかも、と」

氷月は一呼吸おくと、祥護の方を見、そして言う。

「貴方達が私を呼び止めたのよ」

「えっ!?」

祥護が驚く。一体どういうことなのか。いきなり異世界に連れてこられたかと思えば、姉の身体には別の人の魂が入っていて。その上、自分達が氷月を呼び止め、助けを求めただと!?

祥護は突飛すぎる話と現象に、もう現状を処理出来なくなってきた。

「覚えてはいないでしょうね、産まれる前のことですもの」

氷月が苦笑する。そしてそのまま話を続ける。

「商人さんは私がこちらの世界に来るだけならこの対価、私の身体は多すぎると言いました。だからその分は次の時に繰り越すと言ったので、私はこの子を助けられると思い商人さんを呼びました。商人さんはすぐに来てくれて、この子を助けて欲しいとお願いし、助けてもらいました」

「それは、どっちが……死にかけていたんだ……?」

祥護が問う。

「貴方よ、祥護さん」

氷月が迷いなく告げる。

「俺……は、死にかけてたのか……!?」

氷月がこくりと頷いた。

「見知らぬ誰かに彩音は必死に助けを求めていました。あの叫びを聞いてしまったら、そのまま無視することなど私には出来ませんでした」

祥護は驚きで呆然としながらも、目の前にいる自分の姉を見た。彩音であって彩音ではない。わかっていながらも彩音を呼ばずにはいられなかった。

「彩音……!」

祥護は右手で顔を覆った。

氷月はそんな祥護の姿を見て、心が痛かった。

今、どれだけこの子は彩音に逢いたいだろう、抱きしめたいだろうかと思うと心が痛くて辛かった。

だが、今はまだ駄目だ。自分勝手ではあるけれど、私の因縁に決着をつけ終わるまでは。

氷月はその痛みから意識をそらし話を元に戻す。

「貴方を助けた代償として、私は彩音に彩音の中で眠らせてくれと言いました。本当はそんなことを願わなくてもよかった。でも……、私が助けた貴方達がどう生きるのか気になってしまった。見届けたい、いいえ、まだ生きたいと思ってしまったことが間違いだったのかもしれない。あの時そう願わなければ、今ここで貴方達姉弟を私の因縁に巻き込むことなどなかったのだから……」

氷月は目を伏せた。

「だけど私は、彩音が生きているうちは目覚めるつもりなどまったくありませんでした。彩音の生が終わった時、私も一緒に朽ちるつもりでしたから……。それを……」

氷月は氷蓮に睨む様な視線を向けた。

「無理矢理私を引きずりだした人がいた」

当の氷蓮は涼しい表情のまま、氷月の話を聞いている。

「そのせいで、全てが狂ってしまった」

氷月は悲しみと悔しさが混じったような声で言った。

「祥護さん、私が……彩音があちらからいなくなってから変わったことはなかった……?」

祥護はまだショックから立ち直っていなかったが、話をふられ、はっと気を取り戻す。

「え……、あ、あ……。そうだ、皆が彩音の事を忘れていた。忘れているというより、存在自体なくなっていたんだ! 母さんも父さんも友達も、みんな彩音のことは覚えていなかった。俺しか、俺だけしかっ……!」

祥護は手を強く握りしめ、声を震わせて言った。握りしめた拳からは先程の傷から血が滲んでいた。布ごしの傷を抉るほど、強く握りしめたのだろう。

「やはり……」

氷月は俯いた。

「祥護さん、彩音の存在が消えたのは私のせいです」

「え……?」

祥護はぽかんとした表情をした。

「氷蓮が彩音の存在を消してしまったのです」

「なっ……!?」

理解するのに数瞬の間があいたが、理解するとすぐさま氷蓮の方を向く。

名指しされた本人は何も言わず、静かに氷月を見つめているだけ。

「本来、私はこちらの者。その私が向こうの人の肉体に入った状態で覚醒すれば、その人の存在は消去されてしまうのです。ですが、それは完全にその人の全てを掌握した場合。私が一瞬覚醒した程度ではそんなことはありえません。……人為的にしない限りは」

「そんな……」

「氷蓮は私をこちらの世界に引きずり戻したその一瞬に、術を展開して彩音の存在を……」

氷月はきり、と悔しげに唇を噛む。

「じゃあ……、帰っても彩音のことを覚えているやつは誰もいないのか? 俺以外……」

氷月は痛ましい表情を浮かべて、こくりと頷いた。

「そんな……。じゃあ俺達の世界に戻っても、彩音はどうやって暮らせばいいんだよっ!」

祥護は叫び、項垂れた。

「そうか。そんな術を使い、今また召喚術も使ったんだ。今が一番の狙い時だなぁ、氷蓮?」

今ここにいる誰でもない者の声が会話に割って入る。

「皓緋か!」

朔夜が声の主をいち早く察し、氷蓮の前に出、素早く剣を抜き構える。

声の主、皓緋が暗い闇の中から姿を現し、氷蓮達の近くへと歩を進める。

「久しぶり、でもないか。氷蓮」

皓緋は腕を組み、不遜な表情で氷蓮に話しかけた。

「そうだな。この世界に遊興に来れるほど、お前は暇があるのだな。まったく迷惑なことだ」

言葉の通り、迷惑といった表情を浮かべる氷蓮。

「別に暇な訳じゃない。俺には留守を任せられる奴らがいるからな。それに遊びも王の仕事というやつだ」

「そうか。だが我が世界に遊びに来るなら、正式な申請をするのが礼儀。客人をもてなすにはそれなりの準備が必要だろう」

「お心づかいには感謝するが、俺はそういう堅苦しいのが嫌いでね。それに正式に申請したら入る許可などしないだろう、氷蓮」

「おや、よく理解している。ならば、今のお前は邪魔以外の何者でもないことも理解しているはずだな」

「さあ? そんなこと、俺には関係ない。俺はしたいようにするだけ。むしろ今邪魔なのはお前だろう、氷蓮。最愛の娘、氷月との対面に部外者は必要ない!」

皓緋が声も高らかに氷蓮に言い放つ。

氷蓮の表情がすうっと消え、そして激しく不快だという表情に変わり、忌々しげな視線を皓緋へ向ける。

「お前の娘だと……? ふざけたことを言うな! 氷月は断じてお前の娘などではない!」

「へぇ? じゃあお前は、氷月の父親が誰か知っているのか? 歌蓮は何か言い残したか?」

「そのようなこと、お前に言う必要はない!」

「まって!」

一触即発。この調子で会話が続けば、口だけではなく手も出てまわりに甚大な被害が出かねない空気の中、二人の会話に氷月が割り込んだ。

「皓緋様……。あなたが私の父様……なのですか?」

氷月は恐る恐る訊く。

「ああ、本当だ」

「戯言を言うな!」

「そういうお前こそ、何故俺が父親だと否定できる? 否定できる証拠でもあるというのか? 俺は氷月の父親であるという証拠……、根拠はあるがな」

「何だと…?」

氷蓮が探るような視線で皓緋を睨みつける。

「ああ、俺にはそれが証明できる。だがお前は俺が氷月の父親ではないと証明できる何かがあるのか?」

氷蓮は少しの間を置き、慎重な面持ちで「……ある」と短く答えた。

「では、それをきかせてもらおうか」

「いいだろう」

「ちょっ……、ちょっと待てよ! お前らだけで勝手に話しを進めて! 彩音のことはどうなるんだ! 何の理由かわからないが、お前らの勝手で彩音をこんな世界に引っ張りこんで、挙げ句は氷月の父親は誰か? だって!? そんなことはどうでもいい! お前らはさっさと彩音と俺を元の世界に戻せばいいんだ! お前らの厄介ごとに俺達を巻きこむな!」

今度は祥護が氷蓮達の会話に割って入る。

今まで自分達に関わる話をしていたはずなのに、突然の闖入者によって自分達には関わりのない話になり、勝手に進められていく。そんな状況に我慢など出来るはずがない。

皓緋がふむ、という表情をして祥護に言う。

「確かにそうだな。お前が氷月の器の少女の家族というなら、話しを知る権利ぐらいはあるな。氷月もよく聞け。氷蓮に嘘を吹き込まれているかも知れないからな」

「何だと! 氷蓮様がそのようなことするはずがない!」

尊敬してやまない主人を侮辱され、朔夜が吠える。

「はっ! いい飼い犬のようだな」

「貴様っ!」

朔夜が剣の柄を握る手に力を込める。

「朔夜」

今にも切りかかりそうな朔夜を氷蓮が制止する。

朔夜は黙って怒気を静めたが、その視線に宿る怒りは静まる気配はない。

皓緋はそんな朔夜を軽く鼻で嗤うと氷蓮や氷月、祥護に向かって話を始めた。

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