一章 日常・二
「ただーいまー」
美貴と別れ、家に着いた彩音を玄関で迎えたのは双子の弟、祥護だった。
双子といっても二卵性なのであまり似ていないところもある。
「うっせーなー。たまにはもう少し静かに帰って来れねーのかよ、彩音」
不機嫌そうな顔で玄関の所に立っている。
しかもパジャマ姿である。まさに寝起きといった感じで気怠そうだ。
「そんなの知らないわよ。大体、こんな時間まで寝てる方が悪いのよ」
ちら、と、弟の背後に見えるリビングの時計を見ると、午後の二時少し前を指している。
彩音はそんな不機嫌な弟には構わず、階段にカバンを置き、洗面所へと向かう。
「しょーがねーだろ。寝たの、朝方なんだから」
階段に座り、眠い目をこする。手を洗いながら彩音が答える。
「それこそこっちだって関係ないよ。私は祥護と違ってテスト受けて帰って来たんだから」
「なんだよ、俺だってテスト受けたぜ? ま、俺はもう終わってテスト休みだけどな」
彩音と祥護は高校が違うので、テスト時期も多少ずれる。
彩音が手を拭いて祥護の所へ戻って来ると、洗ったばかりのひんやりとした手で、まだぼーっとしている弟の両頬を軽く挟む。
「冷てっ!」
祥護がびっくりして彩音の手を払うと、彩音がにやりと少し意地の悪い笑みを浮かべながら言った。
「弟のくせに生意気な口きくからよ」
「ふざけんな。産まれたのがたった数分しか違わねーやつを姉だなんて思えないし、双子に姉も弟もねーよ!」
祥護は「弟だから」「男だから」と言われて差別されることを嫌う。そのことによって理不尽なことを強いられたことが多かったからだ。
「男だから」は、まあ仕方がないかなと思うところは多々あるのでそれほど気にしてはいない。
体力面などでは確かに男だから助けたり代わるべきだろうと思うことはよくあるからだ。
だが、「弟だから」ですませられることは許せない。その言葉で理不尽な思いを積み重ねられれば反抗心もよく育つ。
彩音も「姉だから」ということで理不尽な思いはしているので、そういうことは軽い嫌がらせで言うぐらいだ。
祥護もそのことは理解しているので本気で彩音にくってかかることはない。
「……?」
いつもなら何か言い返してくるのだが、何も言い返して来ない。
彩音は祥護に対してだけ負けず嫌いのため、こういう他愛ない言い合いでも負けるのを嫌う。
そのため、祥護が正しかろうが悪かろうがほぼ必ず祥護が引く。そうしないと彩音がうるさいからだ。
そう思って、言い返してくるであろう彩音に対して身構えていた祥護だが、相手が反応してこなかったので拍子抜けした。
そんな祥護の予想に反して、彩音はにこりと微笑んだ。
「今日の夕食のメニューは、いろんなきのこをたっぷりまぜたきのこ御飯とグリーンサラダ、マグロのお刺身、あとはあさりと三つ葉をいれたお吸い物でいかがかしら?」
そのメニューの内容を聞いたとたん、祥護の顔から一瞬にして血の気がひいた。
祥護にとって嫌い・苦手のメニューばかりだからだ。特に刺身は食べられないものだった。
反対に彩音の表情はますます明るくなっていき、そんな祥護を見下ろしながら、にこやかに彩音が言う。
「まー、そんなに泣くほどうれしいのね~♪ 今日は頑張って作るからねー。祥・護・の・た・め・に」
最後の言葉には、嫌なくらいに皮肉がこもっていた。
「う……」
言葉も出ない渋面の弟を見下ろし、にやにやと笑う姉。非常に対照的である。
「じゃ、夕飯楽しみにしててね」
追い討ちの一言を投げ、キッチンに行こうとした彩音の腕を祥護が掴んだ。
彩音は掴まれた意味は重々わかっているので、余裕の笑みで祥護のほうを振り返る。
「なに? これから材料のチェックするんだけど」
「俺が悪かった……。だから、それだけは……」
「えー、何か悪いことしたの~? でも、大丈夫。気にしてないから~♪」
みえみえのわざとらしさで返事をし、腕を振りほどこうとしたが、祥護は離さないというようにさらに力を込めて掴む。
「頼む、頼むからそれだけはやめてくれ……!」
勝ち誇った笑みを浮かべ、彩音は「じゃあ、『お姉様、ごめんなさい。二度と逆らいません』って言ったらやめてあげる」と、言った。
「なっ……! ふざけんな! んなこと言うわけねーだろ!」
しまったという表情になり、祥護は掴んでいた腕を離して口元を覆った。
「ふ~ん。ま、別に、無理に言えとは言わないよ~?」
俄然、優勢な彩音。
祥護は全ての抵抗を諦めたようにがくりと頭を落とし、ぼそぼそと下を向いたまま何か言い始めた。
それを見て、彩音が完全勝利の笑みを浮かべた。
彩音が腰を屈め、耳を祥護の口元まで近付ける。
「何? 聴こえないよ」
「お、お姉様……、ごめんなさ、い……。二度と……」
「ん、なーに? 二度との次は?」
「に、二度と……」
「二度と?」
「二度と逆らってやる!」
階段から立ち上がり、正面から彩音の顔を見据えて祥護が言い放った。キレたようだ。
彩音はそんな弟のキレっぷりを一瞬びっくりしたが落ち着いて受け止め、とりあえず、追い詰めるだけ追い詰めようとすることにした。
「ふーん。やっぱりそういう態度をとるんだ? ま、別にいいけどー?」
「~~!」
祥護は言葉にするとまた墓穴をほる事になるのでぐっと言葉を飲み込んで、意地悪をする姉を睨み付けている。その姿があまりにも可愛い。
十七歳にもなる少年をつかまえて「可愛い」という言葉は不似合いかもしれないが、怒って、拗ねて、逆らいたいけど逆らえない。
そんな感情がないまぜになった祥護の表情は可愛らしい。もっとも、本人はそんな表情をしているとは思っていないのだが。
そんな弟の可愛さをみれただけでも今回の反抗はチャラにしてもいいかなと思い、彩音はそろそろ引くことにした。
「じゃあ買い物、私の荷物持ちしてね。それなら今晩はポテトサラダにしてあげる。あとは、そうねえ……」
「え……?」
祥護がきょとんとする。何だかよくわからないが、とりあえず姉の機嫌がなおり、夕飯の確保が無事出来そうな雰囲気だ。
「ほら、なにやってんの。さっさと支度! そーじゃないと……」
続きの言葉など聞かなくてもわかる。今晩の食事の為だ。
「わかったよ!」
祥護はいやいやながらも重い腰をあげ、まずは洗面所へと向かった。
彩音はその背中を見送ると、キッチンの方へと消えた。