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五章 偽り・一

「姉様!」

忙しく立ち回る愛砂あいさの前に姉の愛華あいかが現れた。

「頑張ってるみたいね」

ふふっ、と愛華は柔らかく微笑む。

「頑張ってる、どころじゃないわよ」

愛砂は眉間に皺をよせ、はぁ、と大きく溜息をつく。

「まったく、何で私がこんな苦労をしなきゃならないんだか。本来ならこれはこの神殿の副祭司を務める姉様の仕事のはず。こんな専門外の仕事より、やらなきゃいけない政務は山積みなのに……」

愛砂は目の前の姉に愚痴る。

愛華はそんな妹の愚痴を微笑み一つでやんわり受け流す。

「大丈夫。陛下から頂いたご指示通りに術式を整えればいいだけだし。だからといって誰に頼める仕事ではないわ。あなただからこそ、陛下は信頼して任せたのよ」

ね? だから頑張ってという意味もこめて、またにこりと微笑む。

「そんなこと、姉様に言われなくっても充分わかってるわよ」

愛砂は照れ隠しも兼ねて、くるっと姉に背を向け儀式場を見回す。

ここは王宮内にある神殿の儀式場。

王宮内にあるだけあって、この神殿や場を使えるのは王族関係者のみ。

それ以外の者は許可がない限り一切の立ち入りを禁止されている。だからこの場にいる者は、愛砂と愛華、神殿の祭司二人だけだ。

愛砂の言う通り、儀式関連の仕事は本来神殿の仕事であり、祭司長もしくは副祭司である愛華が準備をするものだ。

だが今は、愛華は彩音の世話係として彩音の側から離れることが出来ない。祭司長は急な視察のため不在。

では他に適任はというところで、愛砂が選ばれ、氷蓮直々に儀式の準備をするよう言われたのだ。

姉ほどではないにしても、愛砂にも術士としての実力はそれなりにある。

それが今回の仕事が回ってきた経緯だ。

崇拝する皇帝陛下直々の命だ。

この仕事は、どの仕事よりも完璧に仕上げなければと気負う。

故に、姉にそんなことなど言われなくとも自分が一番よく理解している。

術の内容は、静欒の結界を強化するものだと氷蓮は言った。


元々、愛砂は朔夜の補佐官だった。

朔夜の立場は筆頭将軍、というより軍部の最高責任者だ。にもかかわらず、実務的には宰相も兼ねている。

いかに朔夜が有能だとしても、流石に軍部の最高責任者と宰相の兼任となれば仕事量は膨大だ。一人でこなせる仕事量には限界がある。

そのため、愛砂が朔夜の政務的な部分をカバーするべく補佐官として就いたのだ。

だが、氷蓮が臥せたことにより、朔夜は氷蓮の世話係と護衛に集中することになり、政務の一切は氷蓮の影である黒曜が行うことになった。

黒曜一人で政務をこなすにはまだ難しい部分もあるだろうということで、当面は愛砂が黒曜の補佐官として就くことになった。

愛砂としては突然得体の知れない男の補佐に就くなど不服でしかないが、上司である朔夜の命令では逆らうことは出来ない。

黒曜は氷蓮が臥せがちになってきた頃、氷蓮が直々に連れて来た男だ。

姿形は驚く程氷蓮そっくりだった。

会話さえしなければ、まず誰も別人だとは気づかないだろう。

仕事に関していえば、書類関係のものはそつなくこなす。不十分なところがあれば、そこは愛砂がカバーすればいい。そのための補佐官だ。

問題は性格だ。

姿形はそっくりでも、中身はまったくの別物だった。

まず、黒曜はとても気まぐれだった。自分の嫌いなことや気が向かないことはやらないか逃げる。

特に謁見などがそうだ。

自分が嫌いな相手とあれば、いつの間にか居なくなっていて見つからない。結果すっぽかしになり、その後始末をするのはいつも愛砂だ。

愛砂からすれば好き嫌いで仕事を投げ出すなど言語道断。重職にありながら、無責任な行動と振る舞い。到底許せるものではない。

だがそれ以上に手に負えないのが、無情な振る舞いだ。

重職にあれば、一個人としては非情、残酷ととられるような指示や判断もある。だがこの世界全体から見て、それが最善とあれば心は痛むがそれもやむなしとし、かわりにその分他の事で人々に尽くそうと思い、行動することにしている。

だが、黒曜は違う。気に入らない者がいたとすれば、簡単に殺せばいいと言う。

そしてそれを愉しそうに言い、何のためらいもなく実際に殺害しようとしたが、朔夜に阻止された。後始末は朔夜と氷蓮が行った。

氷蓮は相手に暗示をかけ、黒曜に殺害されかけたことを忘れるよう記憶を操作した。

愛砂もその現場に居たが、突然の事で何の対応も出来なかった。

その事で自分の無能さを責めた。気に病む事はないと朔夜に慰められたが、やはり悔しかった。

それから愛砂は、絶対に黒曜から目を離さない事にした。仕事を滞りなく進めるためにも、そして二度とあのような醜態を氷蓮や朔夜に晒さないためにも。

黒曜は氷月に執心のようなので、氷月を監視していれば黒曜の行動もよくわかる。氷月がここに来てからというもの、黒曜はほとんど氷月の側から離れないからだ。

黒曜の様子を探る意味も含めて、愛砂は愛華に氷月のことを訊いた。

「そういう姉様こそ氷月様の世話はどうしたの。放っといていいの?」

「彩音様のこと?」

「彩音? 氷月様ではなく?」

愛砂が眉間に皺を入れたまま、軽く首を後に向ける。

「氷月様ではあるけれど、そのご本人が彩音と呼んでくれと仰っているの。だからそうお呼びしているのよ。それに今は潔斎の準備のために、黒曜があれこれ世話を焼いているわ」

「ふ-ん。まあどうでもいいわ、呼び名なんて」

予想通り、黒曜は氷月の側にいた。後で捕まえに行かなければ。

愛華は妹の気のない返事に苦笑した。これ以上居ても、仕事の邪魔になるだろう。

「じゃあね、愛砂」

愛砂は術の構築に集中してしまったのか、愛華の声は聞こえていないようだ。愛華は気にせず、愛砂に背を向け王宮へと向かった。

しかし、数歩したところで歩を止め、元来た道を振り返る。

(何かしら。かすかに感じるこの違和感……いえ、不快感……と言うのかしら……?)

振り返り、術式の展開・構築状況を確認してみた。だが、これといって不審な点は見当たらない。

(過敏になりすぎているのかしら……)

何と言ってもこの世界を守るための儀式を行うのだ。神経が過敏になってもおかしくはない。

と、そのとき。遠くのほうで自分を呼ぶ侍女の声が聞こえた。おそらく彩音の潔斎の準備の事だろう。

(また後で見に来ればいいわ)

今はそれよりも彩音の世話をしなければ。

愛華は広場に背を向け、今度こそ王宮の方へと向かった。

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