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四章 氷蓮の思惑・二

「彩音、起きて」

遠くで誰かが私の名前を呼んでいる。

(祥護……? お父さん……? 誰でも構わない。まだ眠い……起こさないで)

だが声はやむことなく、彩音を呼び続けている。

彩音は薄く目を開けたが、すぐまた閉じ眠りに入ろうとしたが、かなわなかった。

顔面に何やら温かいものが置かれたのだ。

「!!」

彩音は一瞬にして眠りの世界から現実世界へと引き戻された。

それは温められたタオルだった。

タオルというよりは手拭いに近い。肌触りは良いが、タオルほどふんわりと柔らかくはない。

彩音は不機嫌丸出しの顔で、のせられたタオルを掴んで握り締め、上目づかいでそれを置いた人、黒曜を睨む。

「おはよう、彩音」

何事もないように、爽やかに微笑む黒曜。

「いきなりこんなののせないでよ! びっくりするでしょ!?」

握りしめていたタオルを黒曜におもい切り投げつけた。

黒曜はそれを余裕で受け取めると、陶器でできた洗面用の器に入れた。

それを軽く濯ぎながら「だって、何度声をかけても起きてくれないから、てっきり僕に顔を拭いて欲しいのかな? と思ったんだけど」

濯ぎ終えたタオルを寝台の上で不機嫌にしている彩音にまた差しだした。

彩音は不機嫌なままタオルを受け取ると、恨みがましそうな視線を黒曜に送りながら顔を拭いた。

拭き終ったタオルを突き返すように黒曜に渡す。

黒曜はそれを受け取り、器と一緒に片付け始めた。

だが彩音は無理矢理起こされた事が物凄く不服なので、黒曜にイヤミを言い始めた。

「それにしても女の子の寝室に勝手に入って来て、無理矢理起こしたりとか、さらには寝ている人の顔の上にタオルを置いたりして。この世界の男の人にはデリカシーはないの?」

相当機嫌を損ねたなと黒曜は思ったが、悪いとは思っていない。だが、今後のこともあるのでとりあえず謝っておく。

「あー、ごめんね。だってもう昼の食事に近い時刻だしね。デリカシー? て、よく解らないけど、反省するから、ね?」

「…………」

反省の色が全くみえないので、彩音がさらにイヤミを言おうと口を開いたが、それよりも早く黒曜が言葉を発した。

「ところで、昨夜はよく眠れた?」

片付ける手は動かしたまま彩音に話しかけるが、彩音は問いかけで返す。

「よく眠れたふうにみえる?」

寝台のへりに腰掛け、足をぶらりぶらりとさせながら返事をする。黒曜はあらためて観察するが、顔は疲労の色が残り、身体もまだ怠そうだ。

昨日のことを思い返せば、疲れなどそう簡単に回復しないだろう。

「まあそうだよね。でもこの後陛下と謁見だから。支度が終わったら呼んで」

「ん……、わかった」

彩音は黒曜の方を見ず、ぶらりと遊ばせている足元を見ながら気のない返事をする。

彩音は氷蓮と話しをするのが嫌だった。

あの人と話していると、何だか変な気持ちになる。哀しいような、嬉しいような、苦しいような……。

そんな感情が混ざりあった気持ち。

何故そんな気持ちになるのかわからない。

考えられるとしたらただ一つ。

私が『氷月』という人だったからなのだろうか……?

でもそんな記憶は欠片もない。

いや――、あった。彩音は指を軽く顎にあて、それを思い出していた。

あの十字路で、この世界に引き込まれたとき。

頭の中に映った、涙を流した少女とその腕に抱いた黒い子猫。

景色はぼんやりとしか思い出せないが、王宮のどこかだろうという確信はある。

あの闇に沈む建物はここのもの以外に思いあたらない。

と言う事は、やっぱり私は『氷月』なのだろうか……?

そうでなければ、ほんの少しだけでもそれらしい記憶が甦るはずはない。

だけど、だけど何かがひっかかる。

自分を『氷月』だと思えない何かが……。

彩音が回りのこともわからない程思考しているとき、突然肩を掴まれた。びっくりして振り向くと、一瞬にして破顔した。

「愛華!」

昨日王宮で別れた愛華がそこにいた。

「どうかされましたか、彩音様?」

心配気な表情で、愛華は彩音の顔をのぞく。

「え……。どうして?」

「いえ、何度声をかけても、返事もなくぼうっとされたままだったので……」

彩音は首を振り、急いで笑顔をつくった。

「ううん、何でもない。まだ少し眠いだけ。もう大丈夫だから」

「そうですか? それならよいのですけど……」

愛華はまだ少し心配気に彩音の顔をみる。

「ねぇ、どうして今、愛華がここにいるの? 王宮にいなくてもいいの?」

話題を自分のことからそらす目的もあったが知りたいことでもあったそれを愛華に問う。

「はい。陛下から彩音様のお世話をするよう仰せつかりましたので、急ぎこちらへ参じました。朔夜では彩音様のお世話は無理みたいなので……」

と、少し困った顔で溜息をついた。

彩音は『朔夜』の名前を聞くだけでも露骨に嫌そうな表情が顔に出る。

「あいつに世話をされるぐらいなら自分で全部やるわよ! 子供じゃないんだし」

それをみた愛華がやっぱり……といった表情で苦笑する。

「朔夜も根は悪くないのですが、陛下に関わることとなると、どうしても加減がきかなくなるんです。その度に苦労するのが私や愛砂あいさなのですが……」

「加減……?」

その言葉に彩音の頬がひきつった。

「うん、うん。それはもうほんっっとに、『加減』て言葉を知らないような最低な扱いだったわ!」

彩音はその時のことを思い出したらしく、朔夜からされた数々の態度を怒りながら話す。

愛華は相槌を打ちながら半分は適当に聞き流しつつ、テキパキと彩音の身支度を整えていく。

すっかり支度が整うと、愛華は彩音を氷蓮の元へと案内するべくそのまま彩音に付き従う。

彩音は愛華と部屋を出る時、黒曜の姿が消えていることに気づいた。

「あれ、黒曜は?」

「彩音様が朔夜のお話をしている時に出て行きましたわ。王宮から呼び出しがありましたので、王宮に戻りました。後は私に任せると」

愛華がくすりと微笑しながら言う。

彩音はしまった……というような表情を浮かべながら愛華を見た。

「まだ色々訊きたいことがあったんだけどな……」

「黒曜となら後でいくらでもお話ができます。今はまず陛下に謁見する方が先ですわ」

そう彩音を促すと、愛華は彩音の手を取り部屋を後にした。

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