十二章 歌蓮・三
「おや、ちょっと間に合わなかったか。んー……死後二日ぐらいかな? まあでも問題なさそうだ。とりあえず場所を移すか」
夜明け前、春詠は長椅子の上で穏やかに抱き合いながら死んでいる歌蓮と氷蓮を検分する。
二人を中心に淡く発光しながら、三層重なった呪陣が違う速度でくるくるとゆっくり回っている。
春詠は二人に右手を翳すと、周りの景色が変わった。かなりの広さの地下空間で、天井は上が見えない程高い。
二人は発光する呪陣ごと地下空間の中央に置かれた。床は滑らかに磨かれた石が敷き詰められている。
二人と春詠以外、そこには何もなかった。
「さて、仕上げだ」
春詠が両手を二人に翳すと、二人の下から大きな呪陣がぶわっと空気を巻き上げ発動した。
次いで、空中から文字が淡く発光しながら流れ落ちて来た。文字は二人を隠すカーテンの様にくるりと二人を中心にして囲った。
更に春詠の背後にも、空中から文字が淡く発光しながら落ちて来た。
文字は滝の様に絶えず、何も無い空間から流れ落ちて行く。侵入者を遮るカーテンの様に。
中心に据えらた歌蓮と氷蓮はきちんと横たえられていたが、二人の身体が少しずつ透明になっていった。
「よし、完了。ここは君の世界だ。後は好きにしなよ。じゃあね」
春詠はそう告げ、姿を消した。
からだが……おもい
なにかに、とけこんで、おもくなってる……?
とける……からだが……とけてる……の……?
歌蓮ははっきりしない、ぼんやりとした状態にいた。
起きている気もするが、眠っている気もする。
はっきりしない曖昧な状態だが、それでも意識はあるので、何とか現状を把握しようとしていた。
なんだっけ、どうしたんだっけ、わたし……。
あ……ひれん、ひれんはどこ?
わたしのかわいい、いとしいひれん……!
歌蓮は起き上がろうとしたが、身体がやけに重くて動けない。
起きようと思っても何かに引っ張られている様な感じだ。
仕方がないので首だけ、左右に振ってみると右側に氷蓮が眠っていた。
よかった、ひれん、いた……!
そこで歌蓮ははっとした。
重怠く、はっきりしなかった意識が一瞬で覚醒する。
今までのこと、これからのことを全て思い出した。と、同時に自分という存在を改めて認識した。
「そうよ、私、この世界のお母さんなんだわ」
そう。
身体が重かったのは、私がこの世界と融合している途中だから。
この世界は私、私はこの世界。
ああ、感じる。
この世界の溢れ出る力強さ、若々しさ、内に溜まった吐き出し口のなかった膨大な活力。
……そう、ずっとずっと待っていてくれたのね。
いい子ね。
もう大丈夫よ。
私……母様と父様がちゃんとあなたを導いてあげる。
だから、ゆっくり焦らず成長していきましょうね、あっ……!
歌蓮は身体が震えるのを感じた。
世界が喜び、その喜びが直接歌蓮の魂に伝えのだ。
嬉しい嬉しいと。
歌蓮は自分自身を抱きしめようとしたが、身体がないことに気付く。
自分の身体は術で分解され、世界に溶け込んでいるのだ。それならば——。
自分の在りし日の身体を思い浮かべる。
それは形となり、質量のある、限りなく本物に近い分身となった。
姿は緋月の物ではなく、本当の自分の姿。
そしてぎゅっと自分で自分を抱きしめた。
自分でもあり、この世界でもある身体を——。
「うん、うん。嬉しいね。母様もあなたを感じられて、とても嬉しいわ」
歌蓮は子供を慈しむ優しい母親の顔をしていた。
暫く世界——子供と対話して一区切りつくと、傍に眠る氷蓮の横に座る。
「氷蓮」
氷蓮の形をしてはいるが、全体的に透けてる。
そっと頭を撫でるが、髪の毛の感触はない。
立体映像がある様な感じだ。
そう。
その氷蓮は歌蓮が望んだから、形を成した実体のない映像。
本当の氷蓮は歌蓮の中に存在しているのがわかる。
春詠の言った通り、氷蓮は歌蓮と一つになったのだ。
だからといって、氷蓮の自我までも一つになったわけではない。
いつかそうなるとしても、それは遠い遠い未来の話だ。
歌蓮は身体を屈め、目の前の氷蓮に口付けた。
ただ口付けただけではなく、氷蓮の魂の一部を、実体として存在する様に力を込めて吹き込んだ。
すると、透き通っていた氷蓮の身体が徐々に物質化し始め、歌蓮同様、在るものとなった。
暫くしてぱちりと氷蓮の目が開いた。
「おはよう、氷蓮」
「おはよう、歌蓮」
氷蓮は上半身を起こし、傍にいる歌蓮を抱きしめた。
歌蓮もぎゅっと氷蓮を抱きしめた。
「ねえ氷蓮、どこか違和感とかある?」
歌蓮が身体を離し、氷蓮に問う。
「問題ない。生前と同じ、いや、生前より具合が良いぐらいだ。それに、やはり歌蓮は歌蓮の姿が一番綺麗だ」
嬉しそうに氷蓮が微笑んだ。
「そう、よかった。それに私も本当に自分の姿に戻れてよかったわ。ほら、胸もちゃーんと大きいわよ? ふふ」
歌蓮は安堵した表情をしつつ、両手できゅっと胸を挟んで大きさを氷蓮に見せる。
「うっ……。そ、それは、う、うれしい、な……」
氷蓮の顔が一瞬で赤くなり、声の大きさもだんだんと小さくなっていくが、視線はしっかり歌蓮の豊かな胸に釘付けだった。
「うふふ、本当に可愛いわ、氷蓮。後でたっぷり可愛いがってあげる。だけどその前に」
歌蓮は可愛いらしく笑っていたが、すぐに顔を引き締め話出す。
「今がどういう状況か理解しているわね?」
「ああ、勿論だ。俺は歌蓮でもあるのだ」
「ふふ。じゃあちょっと外に出てみましょうか」
「ああ」
二人は抱き合ったままその場から消えた。
次の瞬間二人は外に——外の空中にいた。
そこは二人の知っている風景ではないが、似た様な風景だった。
広がる森林に所々見える湖や川。
さほど高くはないが、でこぼことした山や丘。
空は雲一つない、澄み渡った青い空。
だだ、静かで綺麗な世界だった。
二人は空中で立ち上がり、寄り添った。
「綺麗ね。でも——」
「つまらない、退屈、か?」
歌蓮はきょとんとした表情で氷蓮を見上げ、すぐに吹き出した。
「っふふ、ふふっ! その通りよ、氷蓮!」
歌蓮は氷蓮から離れ、ばっ、と両手を広げた。
「この世界はとっても綺麗! 汚れのないとてもとても綺麗な世界! でもね、そんな世界、私は望んでないの。私はね、もっともっと雑多で賑やかで面白くて楽しい毎日が欲しいの! だから氷蓮、私とこの世界のお母さんとお父さんになるわよ!」
歌蓮は楽しさではちきれんばかりの笑顔で話す。
氷蓮はその笑顔が眩しくて少し目を眇めるが、すぐに笑顔で返事をする。
「当たり前だ、歌蓮。俺は歌蓮のためにある。歌蓮のやりたいことは全部やればいい。俺は歌蓮の傍にずっといる。いや、俺はもう歌蓮でもあるんだ。歌蓮の望みは俺の望みでもあるんだ。だから歌蓮——思いっきり好きな様にやればいい。ここはお前の世界だ」
「氷蓮——。ええ、ええ。この世界は私達の世界! 二人で楽しくこの世界を育てましょう!」
二人はまた抱き合った。
歌蓮は氷蓮の胸元に軽く頭を預けた。
この綺麗で、生命力溢れる世界を眺めながら、この世界をどう創るのか、どうなるのかと想像する。
でも二人なら、どんな事でも、どんな事があってもやっていける。
これからは退屈なんてない、楽しい楽しい毎日が始まるのだ。
歌蓮と氷蓮——二人の新しい人生が。




