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姫君の日常  作者: ふとん
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祈りの呟き

 一点の曇りもない夜空には、地上をあざ笑う三日月が浮かんでいる。

 嘲笑の幻聴が聞こえてくるほど、静かな領地に広大な敷地を持つ邸宅がある。豪勢な門の遠くに淡く光を放つ屋敷はあった。周辺からのライトを白い壁が反射して闇夜に浮かび上がっているのだ。玄関先の階段や柱には、夜目には詳しく確認できないほど細かい装飾が施してあり、大昔の城を思わせた。年代こそ経っていないようだが、遠目に見れば城に見えないこともない。

 緩やかに迎え入れられて、化粧階段のついた玄関先で車を降りるとまず建物の大きさに驚かされる。ここが別宅だというのだから、本宅はどれほどの規模になるのか、私は何となく心配になった。


「維持費が大変でしょうね……」


 思わずつぶやいてしまってから、慌てて口を閉じる。だが、隣で同じように屋敷を眺めていた誰よりも美しい上司は聞き逃してはくれなかった。

「維持費なんてものは賭けて勝負するものよ。貴族は贅沢な暮らしぶりじゃないといけないの」

 フランチェスカの中でも五指に入るお金持ちが言うと様になるものだ。彼女の実家であるヴァレリアル家も相当の資産貴族だが、ヴァレリアル・センテ・パセリーニ・アルマナ伯自身も典型的なお金持ちである。


「建物はどう?」


 私が簡潔に屋敷の様子を伝えると、女王様は居丈高に嘲笑した。


「悪趣味ね」


 マルセーリ卿の苦労はいつも報われないようである。

 確かに、ここまでくると金を使わない方が恥だとでも言うようだ。私のようなシガナイ軍人がついて行けるような世界ではない。

 私たちが乗ってきた車はすでに駐車エリアに移動し、次の来客が化粧階段を上りつつあった。


「さ、行くわよ」


 姫君は当たり前のように、絹の手袋に包まれたたおやかな手を私に差し出した。

 幾ら彼女が女王様だからといって、盲目のままでは階段も上れない。

 私も、貧乏ではあるが一応、貴族の子供に生まれた身なのでこういった従者の仕事をこなしたことはないが、それでも仕事の内だと諦める方が長生きできるだろう。

 私は慎重にパセリーニ伯の手を取った。私がゆっくりと階段に足を運び、それに続いて彼女が段に足を掛けていく。


「お客はざっと五百人ぐらいね」


 パセリーニ伯は、目の光を失った代わりに、気配を感じる能力が非常に優れている。十歩先の人間を、見知った人間ならば足音などですぐに見分けることができるのである。この邸宅のような広い場所に人間が密集していると、部屋に入る前から人数を言い当てる。これは、文官の議会詰めで培った才能なのだろう。


「犯人をいぶりだすには、ちょうどいい人数だわ」


「……もう止めましょう。治安課に任せておられれば宜しいでしょう」


 姫君はまだ、宿直室を爆破した犯人を捜す気でいるらしい。


 いや、ちょっと待て。


「パセリーニ伯。もしかして、もう犯人を見つけておられるのですか?」


 彼女は柳眉を大きく跳ね上げた。


「さっきから言ってるでしょ。聞いてなかったの?」


「いえ。その……」


 パセリーニ伯が犯人の目星をつけてここへ来たのならば、術中八苦、相手は貴族だ。誤認などしては大事になる。


「大丈夫よ」


 女王様は得心したように、鷹揚にうなずいた。


「アナタにも犯人を殴らせてあげるわ」


 そういう問題ではない。

 化粧階段をようやく上り終え、さながら敵国の城に潜入するスパイの気分で使用人が開いてくれたドア先に、私は姫君、といっても戦姫を導き入れた。

 屋敷の中から、壮年の執事が顔を出し、恭しく礼をした。


「ようこそおいでくださりました。ヴァレリアル・センテ・パセリーニ・アルマナ様」


 文官である彼女は、プライベートでも伯という号をつけて呼ぶのが通例だが、あくまでヴァレリアル家の長女と接したい時だけ、敬称になる。敬称の場合、対等以上の付き合いだ、という証だ。大昔は決闘を申し込む時にも使われたらしいが、今はもっぱら婚約の申し込みに使われている。


「お招きいただき、ありがとうございます」


 別に猫をかぶっているわけではないのだが、姫君は艶やかに微笑んだ。


「そちらの従者の方もようこそ。ささやかではありますが別室にて夜会を催しておりますので、ご参加ください」


 従者、とは私のことである。私は一応、礼を述べて執事が指し示してくれた部屋へと足を向けかけた。が、ぐいと腕を引かれて立ち止まる。

 私の腕に繊手を絡ませたのは、言うまでもなく女王様である。


「ごめんなさい。私はサポートが無ければ、右も左もわかりませんの。それに、見知らぬ方に手を引いていただくのは不安ですわ」


 これは演技である。手を引かなくても、広い会場ならば彼女は一人で歩くことができる。だが、右も左もわからないというのは本当なので、すべて嘘というわけではないが。


「左様でございますか。まことに失礼したしました」


 執事はあっさりと折れ、私は女王様に腕をとられたまま彼女を見やる。

 彼女は目を細めると、明らかに嘲るように紅唇の端を上げた。

 私は、普段は信じない神様にこのまま何も起こらないよう祈ってみる。だが、何となく、頭の端からそれは無理だよと神様に告げられた気がして私はただ、ため息をついた。

 

 

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