災厄の系譜
砕け散った窓ガラスをかき集め、ちりとりですくい上げた。春とはいえ、地上から離れたこの部屋に吹き込んでくる風は冷たい。
生活感があった宿直室は、局地的なハリケーンでも起こったように荒れ果てていた。
窓から投げ込まれたのは小型爆弾だったらしく、それらしい破片がいくつも砕けた窓ガラスとともに見つかった。眼前で爆発したのだが、とっさに机の裏に隠れたため、不幸中の幸いか私は怪我一つない。しかし思いの外、丈夫だった机は見るも無惨な姿となってしまった。
小さな本棚に置いていた愛読書達や当直日記に至っては見る影もない。
日記は複写を義務づけられているため、三冊ほどストックがあるが、私物である本はそういうわけにはいかない。何冊か持ち出しておけば良かった。
もちろんそんな暇はあるはずもなく、私が辛うじて机の上から持ち出したのは、問題の手紙だった。差出人のないこの手紙に、先ほどの爆破理由が書いている可能性が高い。
私がホウキを片手にぼんやりと考えていると、ドアが何の予告もなく開いた。
まだ片づけていないガラスを踏み散らかして、堂々と入室してきたのは、
「パセリーニ伯?!」
美の女神の化身と謳われるヴァレリアル・センテ・パセリーニ・アルマナ。フランチェスカの姫君が、その細い手で壁を伝いながら、それでも、まるで私が見えているかのようにこちらを見据えた。
「大尉。何者かに爆破されたと聞いたけど?」
彼女は文官会議に出席しているはずだ。
「ここは危険です。お部屋へお戻りください」
彼女の玉のお肌に傷でもできようものなら、半殺しにされかねない。
しかし、彼女は壁から手を離した。床を確かめるように踏み、歩きだそうとする。
私は仕方なく、ホウキを八つ裂きになった机に立てかけ、彼女の手を取った。
「とにかくこちらへ」
パセリーニ伯の手を取り、執務室へと誘導する。部屋へ入ると、姫君は不機嫌に見上げてきた。彼女は世間で思われているよりも背が高い。フランチェスカの姫として崇められている彼女のイメージは小柄らしいが、実際の彼女の身長は、私の肩ほどもある。私の身長が、軍の中でも高い方だったことを考えると、平均的な女性の身長を五センチ以上上回っていると考えられる。
「怪我はしていないのね?」
私は彼女の手を努めて恭しく離し、彼女には見えない一礼をした。
「はい。机の陰に隠れたため、怪我一つございません」
「ちっ」
およそ姫らしくない舌打ちをすると、彼女は壁伝いに歩いていた先ほどとはうってかわって颯爽と執務室奥の机へついた。彼女は、見知った場所ならば杖も補助もなく颯爽と歩くことができる。その範囲は、議会城のほとんどに及ぶため、フランチェスカの戦姫が盲目であることは一部の人間しか知らない。それほど威風堂々と彼女は暗闇に足を踏み出せるのだ。
「怪我の一つもしていれば、私が公的に動いて犯人をいぶり出すのに」
私が無傷のことより、犯人を自分の手で捜し出せないことがご不興らしい。
「裏でこそこそ動いて捕らえるのは性に合わないのよ」
前述を撤回しよう。私が愚かだった。
「伯のお手を煩わせることはありません。部下の者にお任せ下さい」
一応、進言してみたが、姫君は聞いていないご様子だった。
「前は怪我をしたから、公的機関を使って捕まえられたのになぁ」
不穏当な呟きを、私の耳は聞き逃さなかった。
「以前、と申しますと?」
彼女は少し、押し黙る。だが、すぐにその紅唇を開いた。
「大尉の前に執務室付きだった人のことよ。一年前、同じように宿直室が爆破されたの」
聞いていない。私が執務室付きに赴任したのは、三ヶ月前のことだ。
「前の人は大怪我をしてしまったものだから、私も動きやすかったわ」
さっぱりと言ってくれる。姫が私の内情を知るべくなく、彼女は深く溜息をついた。
「毎日デスク・ワークで疲れてるのに」
犯人探しで体を動かしたいと、ご要望らしい。しかし、
「あの、そういったお話は一度も……」
「当然よ。アナタのお兄さまにもお話していないわ」
私は自分の悪運を想った。
セパリーニ伯は私を眺めて、宝石のような瞳を細めた。
「話を聞いていたら、この仕事になんか就かなかった?」
「わかりません」
私は迷うことなく答えた。
四ヶ月前、私は警備部ではなく、治安部にいたが、前々から私を嫌っていた上司に逆らってしまったために部を追い出されてしまったのだ。士官の位はあっても仕事が無ければ食べていけない。露頭に迷ってしまった私を救ってくれたのが、一番上とすぐ上の兄だった。二人の兄はそれぞれ、文官、武官の職についており、私と二、三歳しか違わないが将来を嘱望された秀才揃いである。文武両道、容姿端麗、という形容詞がついて回る二人は人望も厚く、まるで絵に描いたようなエリートだ。私のような愚弟にも常に氣をかけてくれ、今回も警備部の執務室付きという立派な栄誉職をあてがってくれた。
執務室付きという職は、日々、悶々と過ごしていた私には渡りに船の話だった。いくら、不穏な噂があったとしても、すすんで飛びついていたかもしれない。
「それに、兄にこれ以上の迷惑はかけられませんので」
「お兄さま達には頭が上がらないのね」
兄達よりも若いはずのフランチェスカの戦姫は華やかに微笑む。
「では、アナタのお兄さま達に泥を投げつけないように、私と二人で犯人を捜しに行けるわね」
「……は?」
今、なんと言われたのだろうか。
「アナタに仇なす敵は即ち、私の敵であり、アナタのお兄さま方の敵よ。早々に退治しなくてはね」
戦姫はこの上もなく美しい笑顔で、猛々しい言葉を放つ。
私にはもう一人頭の上がらない人物がいる。
そのことを実感しつつ、私は静かに口をつぐんだ。




