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姫君の日常  作者: ふとん
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哀れな犯人に告ぐ

 薄闇の中、ぼんやりと目を開けながら、私は記憶の余韻に苦笑した。

 姫君との腐れ縁も長い。思い出といえるほど蓄えがあるようである。夢で反芻する記憶たちは、どうも私に苦笑いさせる。


「お目覚めですか。サー」


「ええ。よく眠れましたよ。この椅子は寝心地が良くてね」


 身じろぎすると手に馴染みつつある手錠が鳴った。私は、堅い木の椅子にくくりつけられたまま、一夜を明かしたのである。機関銃を持った覆面二人に挟まれた格好で、私は顔を上げた。


「それは良かった」


 私のあからさまな嫌味に、慇懃無礼に応じてくれたのは飾り羽のついたやたら派手な衣装以外はこれといって特徴のない男である。ただ、炯炯とした目だけが、私を燻るように睨んでいた。


「―――…それで、私をここに閉じ込めて、どういうおつもりですか。マルセーリ・ダリーニダ卿」


 そう。私をこの薄暗い部屋に押し込めているのは、パセリーニ伯にこっぴどく求婚を蹴られた大根役者、マルセーリ卿である。覆面たちに連れられて辿り着いたのは、郊外の森にある小さな別荘だった。その一室に、私は捕えられたネズミの如く監禁されている。実のところ誰の指図でこのようなことになったのか、私自身以外のことで心あたりがありすぎてわからなかったのだが、ようやく正体を知ることができたようだ。

 伊達男よろしくマルセーリ卿は口の端を上げた。


「このあいだの夜会ではどうも。まさか姫の付き人が爵位持ちだとは知らなくてね。失礼した」


 思えば、このマルセーリ卿も私と同じ男爵なのだ。文官と治安課勤務では給料の違いこそ大きいが、爵位だけで言えば対等である。


「いいえ。慣れております」


 これだから貴族は苦手なのだ。貴族と庶民の違いはあれど、基本的人権は同一のものである。しかし、貴族という生き物は、どうしても爵位や家柄にこだわるのだ。私は貴族の家庭とは思えないほど温かい家庭環境で育ったためか、爵位にこだわる貴族社会というものが肌にあわないようである。


「ではもうしばらくこのままで居てくれるかな。君……」


 マルセーリ卿は私に尋ねるように、言葉を濁した。そういえば私がマルセーリ卿に自ら名乗った覚えはないし、彼も覚える気がないのだろう。


「というと?」


 私もマルセーリ卿に名乗る気になれず、話を促すことにした。


「君には、議会城にテロを予告した犯人になってもらうからさ」


 頭のネジを何処かに二、三本忘れてきたのだろうか。私はさすがに心配になってマルセール卿を無言で見遣った。


「君のような凡人にはわからないだろうがね。あんな城、落とそうと思えばいつでも落ちるんだよ。……僕の手にかかればね」


と、凡人が見れば寒気を覚えるような笑みをマルセーリ卿は漏らす。議会城フランチェスカは有史に残る要塞である。数多の戦乱を勝ち抜き、今なお威風を誇る名城と言ってもいい。史実、歴史に名を残す幾人もの軍略家がフランチェスカをして「さわらぬ神にたたりなし」と言わしめた。つまりそういう、現存する最高の城をマルセーリ卿は一両日中にも落とせるというのである。大きく出るにも、これではあまりに現実味がない夢物語である。


「あの城の根幹には、何があると思う?」


マルセーリ卿は私と少し会話をしてくれるようだ。私は、何も言わずに首を振る。それに満足したのか、彼は鷹揚に頷いた。


「金、権力、家柄……すべてまがい物に過ぎない。もっと、暗くて深い、闇の中にある歴史だよ」


「……歴史?」


「フランチェスカが王政を脱したのは、貴族に王が追われたから。それは庶民だって知っている。だけど、王が実はまだ議会城の中に生きているとしたら、百三十五年経った今でも大事だと思わないかい?」


 王が、生きている。

 確かに大事件だ。


「しかも、未だに、議会を取り仕切っているのは、王だとしたら? こう説明すれば、君にも答えが見えてくるんじゃないかな」


 その王を殺そうというのだ。今も昔も王政で成り立っているとすれば、王を倒せば、城は落ちたことになる。

 理論上は。


「―――……ああ、そうか……」


「わかったかい?」


 私の推測が正しければ、


「マルセーリ卿、貴方は、貴族ではありませんね?」


「…………は?」


 今度はマルセーリ卿が目を丸くした。しかし、私はこの推理が正しいという確信を得た。


「正確に言うと、貴方は、貴族として生まれたのではない。どういう理由かは知りませんが、ここ数年で、議会に入られた」


「……無礼じゃないか……何を根拠に……」


 マルセーリ卿の声がひきつる。私は、仕方なく拙い憶測を披露することにした。


「王が生きていることは、貴族しか知らないのですよ」


 逆にいえば、貴族であれば、誰でも知っていることなのだ。

 議会城を明け渡した時点で王政は終わった。だが、王がその先にどうなったのか。王家一族も、議会の中に組み込まれたのである。その上で、議会政治が始まったのだ。王家は議会に参加することで、王家ではなくなった。一般の歴史では、公表されていない。それが、わずかに残る貴族と民の差だった。


「その歴史を否定するために、三十年前、ある騎士が旗揚げしたのです。王家を抹殺するために民や貴族で大きな組織を立ち上げて」


 それでも、ウォルタ卿は負けてしまった。王政よりも強固な議会には勝てなかったのである。

 マルセーリ卿は大口を開けたまま動かない。

 茫然とする彼を見ていると、気の毒になってくるが、彼が知らないのはそれだけではない。


「―――……もう、いいですか。伯」


 そして、私は、手錠を外した。両脇では、覆面たちが正体を隠していたマスクを外す衣擦れがする。


「ご苦労だったわね。大尉」


 明瞭快濶な声が響いた。朝の日差しを受けて、ますます輝くばかりだろう。

 私は返事の代わりに椅子から立ち上がり、傍らに悠然とお立ちになっている声の主に席を譲った。差し出した私の手をグローブの手がたおやかに受け、粗末な椅子に腰掛ける姿はさながら、女王のようである。


「戦姫………」


 うめいたマルセーリ卿の言葉はそのまま向けられた人物を体言している。極上の絹糸のような髪を無造作に結い上げ、野戦服を着込んだ姿はまるで戦場で兵士を鼓舞する女神のようでもある。


「私は無駄が嫌いなの。挨拶はいらないわ」


 議会城の戦姫、パセリーニ伯は血の気の引くような冷気を含んだ笑顔を湛えて高く足を組んだ。光を通さないはずの紫水晶の瞳に今、一瞥されれば花も凍りつきそうだ。

 私は伯の後ろに控えていたが、まともに寒気を受けたマルセーリ卿は文字通り凍りついた。気の毒になって心の中で手をあわせる。


「あまり時間はありませんので、手早くご説明を」


 生真面目に言ったのは、ウォルタ卿である。禿髪壮年の好々爺に機関銃は似合わないが、彼の持つ手は慣れたものである。彼は、伯の計らいで懲役を切り上げてきたのだ。

 いわゆる、脱獄である。

 あまり、聞きたくはなかったのだが、昨夜たっぷりと聞かされた手段はこうである。私が少年院へ出かける日を狙い、ウォルタ卿は面会に来た伯と共に面会室を出て、私の乗った車に先回りする。かねてからリークしていたマルセーリ卿の私の誘拐計画に乗っ取ってここまで事を運んできたのである。


「お久しぶりね。リーニ」


 女王様はマルセーリ卿に向かってそう言うと、いつか見た蛇蝎を蔑むような光を眼光に宿した。


「マルセーリなんて、三十貴族の名前を名乗っているから気がつかなかったわ。あなただったなんてね」


 言葉とは裏腹に、伯の言葉は厳しい。マルセーリ卿は顔を歪めて、押し黙る。


「いつぞやは随分とお世話になったわね。私の小鳥さん」


 聞いていない。

 私は思わずマルセーリ卿は見つめる。小鳥、とはパセリーニ伯の昔の恋人を指す。伯は彼とともに一年も姿を消したのだ。

 まさか、と思ったが、伯に否定の色はない。


「懐かしいわ。あの一年の日々が。貴方にしつこく追いまわされた日々がね」


「………え?」


 声をあげてしまい、私は口に手をあてる。見逃してくれるものと思ったが、伯は私に向き直ってしまった。


「私も若かったのね。ずいぶんと隙があったようで、治安課に居たこの男に追い掛け回されたのよ」


 確かに伯は若かった。治安課で初めて私と会った頃はまだ十五、六歳だったのだ。


「覚えてる? 私が貴方に相談した暗殺事件。庭で襲ってきた暴漢と家で襲ってきた暗殺者は同一人物ではなかったわね」


 のちに捕えた暗殺者の自供によると、彼が依頼されたのは夜、伯の命を密かに獲ることであって、白昼堂々襲うような真似はしていなかったのである。当時はそのまま有耶無耶になって事件は一応の解決を見たのであるが、


「庭に忍びこんだり、犬をけしかけたり、色々してくれたのよ。この男はね。私は義母の手前、あまり煩わしい真似ができなかったから一年間、一人であちこちを転々としながら逃げ回ったの。―――あの時は、死ぬより恐ろしい目に遭わせたのに、よくも私の前に姿を見せていたわね」


 戦姫は射殺すような目をマルセーリ卿に向けて口の端を上げる。


「そ、それは……!」


 恐怖が蘇ったのか、睨まれた反動か、マルセーリ卿は弾かれるように顔を上げた。


「貴族に養子入りが決まって、あなたと同じ貴族になって……それで、あなたのことが心配で……」


「関係ないわね」


 伯は手に持っていた機関銃を膝に乗せると、白い顎に指を這わせた。


「同じ貴族ですって? 笑わせてくださるわね。初めてじゃなくて? 私を愉快にさせるなんて」


 憐れな王子は声にならないまま蒼白になった。


「それに免じて、貴方の命だけは残しておいて差し上げるわ」


 今や漂白されたように青ざめたマルセーリ卿を肴に、伯は微笑むと愉しげに告げる。


「歴史のレクチャーは大尉から受けましたわね? 三十年前のことも。ここに居られるのが、ジャン・ウォルタ卿。三十年前の事件の発起人でいらっしゃるの」


 ウォルタ卿は薄く笑む。それは、鋭利な剣のように氷を含んでいる。


「私の一存でおいでいただいたのだけれど……どういうことか貴方にもおわかりになるでしょう?」


 それは私も聞いていない。

マルセーリ卿と同じように私も伯の言葉の裏を探る。それは、つまり、


「マルセーリ卿。貴方のお名前で議会城に脅迫文を送っておきましたのよ」


 私もマルセーリ卿と同じ、氷のむしろに放り込まれてしまったようだ。

 その時、私と同じく吹雪の只中に居た相棒が気を失ってしまった。


「そろそろ、私の父が事態の全容を知る頃でしょうから、今日中にはここも軍に押さえられてしまいますわね」


 憧れの人には切り捨てられ、挙句にテロの主謀者として後には電気椅子が待っている。

 事情が事情なので、情状酌量のお陰で本来ならば終身刑のはずだが、真実を握っているのはフランチェスカの戦姫、冷酷無比なパセリーニ伯である。伯以外に誰が真実を語るだろうか。

 度重なる心労に耐え切れなくなったのか、マルセーリ卿は、それきりぱったりと倒れこんでしまった。死んではいないだろうが、現実を直視するには彼の精神が耐えられないだろう。


「―――他愛もない」


 苦笑したのはウォルタ卿である。


「これほど最小限の仕掛けでよくここまでハッタリを通しましたねぇ」


 嘘、なのか。

 それならばこれほど喜ばしいことはない。

 いや、マルセーリ卿には気の毒なことだが。


「あら」


 災厄の女王は意外なことを聞いたように、目を瞬かせる。


「私、本当に父に脅迫状を送りましたのよ?」


 鉛のような沈黙の中で、朝を喜ぶ小鳥の声が一つ、聞こえた。



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