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姫君の日常  作者: ふとん
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脱獄的誘拐

 季節の変わり目によくある気まぐれな天気予報は、午後から雨と告げていた。二日ぶりの外界は雨脚の涼やかな風で出迎えてくれる。

 少年院ではそろそろ昼食を終えた悪童達が、教科書を片手に風変わりな貴族の教師を待っているだろう。

 教材と一緒に護送車に乗せられて、一路市街地の少年院に向かって議会城フランチェスカの門を後にする。

 パセリーニ伯が面会に訪れてから、五日が経っていた。荒立った内情の一端を露わにした伯と、これ以上冷静な話題ができないと思った私は、伯が小鳥を見つけたと話したあと、すぐに面会を打ち切った。感情的になった人間は、扇情的な行動しか考えられないからだ。伯に限ってそのようなことはないと思うが、治安課で多くの人間と接してきた私の勘がこれ以上の会話は無意味だと告げていた。

 それきり、伯との連絡は途絶えた。

 保釈も裁判の連絡もない私は二週間前と同じの日々を続けている。


「ご精が出ますね」


 農作業者のように話し掛けてくるのは運転手を兼任してくれているシモンズ監督官である。彼とは既に酒ならぬ茶を共にする間柄だ。ここ二週間余りで五年分ぐらいは親しくなれただろう。


「今日は、理科の実験をしてみようかと思っていたんですが……」


 実験好きの妹が理科の実験マニュアルを送ってきてくれたのだ。しかし初級編と銘打った教材のはずが、湿気に過敏反応する実験やら、やたら危険薬品を扱う実験が多いので、今日は断念するしかないようだ。


「手持ちの古典を話の種にしてみようかと思っているんです」


 これもフェンシング好きの妹から送られてきた品である。もっとも、彼女の場合は学校ですでに扱った教科書が邪魔で、体の良いリサイクルを試みたようだ。


「古典? どのような古典ですか?」


 シモンズ監督官はハンドルを切りながら、バックミラー越しに興味の目を向けてくれる。


「ウクィミンの詩集です。『春の死』から『秋の馬』までを作者自身と時代背景から詩の内容を検討させてみようかと」


「ああ。あの詩ですか。私も若い頃読みましたよ。『タワー状』とか『橙灯篭』とか。でも随分と少女趣味だと馬鹿にされましたよ」


 確かに。五十絡みのいい御年のおじさんがこんな一節を書いているのだ。

“どうかどうか あなたの声が枯れぬよう

どうかどうか ぼくの名前を呼ばぬよう

どうかどうか あなたがぼくに触れぬよう”

 『星に願いを』と題されたこの詩は有名である。特に、十四、五歳から二十歳前後までの女性に親しまれている。

 三つ年上の真面目な兄とは違い、女性関係の華々しい一つ年が違う兄がよく教えてくれたものだ。


『いいか。女にモテるコツはな。まず女の趣向を知ることだ。戦うならまず敵を知れってことだな。お前にはジゴロの才がある! だからこれを授けよう』


 と無茶苦茶な理由で、兄が使わなくなったウクィミンの詩集を私が譲り受け、数年後、授業で使うと言い出した妹に一度は里子に出した全集が、めぐり巡って帰ってきたのである。ある意味歴史あるこの本たちと教材という形で再開することになろうとは、押し付けた兄も横流しした私も予想だにしなかった。

「妹が使っていたものを送ってくれたんですよ」

 元々、兄に売りつけられたもの、とは言わないのはせめてものプライドである。

 朗らかな雑談の間にも車は短いドライブの行程を消化していく。雨は車窓を打ってはいたが、圧し掛かるような大粒ではなく、針のように細い白糸が柔らかな絹のように舞っているようだ。

 しかし。

 順風満帆の車両が急ブレーキをかけた。

 思わず後部座席で前のめりになる。

 前触れもなかった耳障りな摩擦音が雨の絹を裂く。


「どうした!」


 緊急時の癖である。つい命令口調でシモンズ監督官に呼びかけた。


「き、急に、トラックが突っ込んで…!」


 言葉を詰らせた彼が指すフロントガラスに素早く視線を動かすと、荷台付きのトラックが進路を塞ぐように割り込んでいる。フランチェスカと公道を結ぶ広い並木道は、元々王家の庭を貫いていた散歩道で、この道が混むのは議会城創立記念日ぐらいだ。四車線ある私道が、割り込み駐車をするほど狭い道でもなければ、護送車以外に車もない。

 トラックからは三人の男達が荷台から降りてきた。

 一様に身につけているのはお揃いの野戦服に防護マスク。その手にあるのは、軍隊か私兵かテロリストでなければ持てないような高性能機関銃。


「な、な、なっ……!」


 平和な監督官人生を歩んでいたシモンズは、いつもの温和さを忘れたように息をひきつらせた。落ち着かせたいのは山々だが、私も突然のことに悪くはないと信じていた頭の回転軸が外れそうだ。

 サイドガラスを銃口でノックされれば、仕方なく発狂寸前のシモンズ監督官を連れて護送車を出た。自力で動くことさえままならないシモンズに頭の後ろで手を組ませ、私自身も頭に手を乗せる。完全降伏の姿勢である。そうでもしていなければ、無事に帰してもらえそうにもない。もっとも、新手のテロリストならここで十中八九口を塞がれるが。

 何かが欠けてきた思考は急速に回り始めた。

 シモンズ監督官は私と同じように公務員試験を受けて治安課にすすみ警備部へと配属されたが、捕り物中心の治安部のような危機管理には縁が薄い。殺されるような事態になれば、死に物狂いで抵抗を試みるべきなので、いざとなれば彼は足手まといとなるだろう。ならば彼を車に乗せて逃がす他ない。逃げ切れるかどうかはその後の私の健闘と彼の正気具合にかかってくる。

 ここまで思考を巡らせたところで、武装集団の一人が口を開いた。(といってもマスクで口元など見えはしないが)


「お待ちしておりました。閣下」


「――――は?」


 呆気にとられる私を無視して、武装集団はあろう事かこちらに向かって礼をとった。

 確かにこの場で身元の判明している者の中で閣下と呼ばれるのは私のみである。シモンズ監督官は現在三十三歳。市民層出身者で、議会階級制度にはまだ登録してはおらず、階級は軍曹である。閣下と呼ぶには年齢も階級も追いついていない。

 しかし、高性能機関銃片手に一般市民を拘束するような知人は私にはない。だが、それをわかってくれるほど親密ではなかったらしいシモンズ監督官はあからさまに邪推しているようで疑問視を投げてくる。


「…し、失礼ですが…」


 私はこの場を取り繕おうと冷や汗をかきながら切り出した。

こんな場面では、まるで私が脱獄するために教師役を買って出て、機会を窺っていたようにしか考えられない。


「どちら様でしょうか……」


 陳腐な言い訳にしか聞こえないがこう言うしかない。

 武装集団は恭しく答えてくれた。


「姫君のご下知によりお迎えにまいりました」


 姫君。

 私が思い当たる姫君はこの世でたった一人である。

 恐ろしいまでに美しい、議会城に住む茨姫。

 解答に辿り着いた表情が確信めいていたのだろうか。シモンズ監督官は見計らったように踵を返し、車に走った。

私を置いて。


「シモンズ監督官っ…!」


 何とか追いつこうとしたが、護送車の走り出す方が早い。

 噴煙を巻き上げて、今まで和やかに進んでいた雨の道を猛スピードで引き返していく。

 車の後ろ姿を茫然と見送って、泥水を被った囚人服の私は立ち竦んでいた。

 誰がこんな事態を予想しただろうか。

 嘲笑するような細雨がこれほど恨めしく思われたことはない。


「閣下」


 逃げるシモンズ監督官を追おうともしない武装した男が、慇懃に申し上げてくれた。


「姫君がお待ちです」


 私は、まんまと脱獄してしまったようだ。



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