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姫君の日常  作者: ふとん
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強化ガラス越しにある実態

 いつかはこんな日が来るだろうとは思っていた。

 予感ではない。確信である。

 弱肉強食の階級社会において、爵位は絶対である。己の実績の社会的地位を如実に表すのだ。これほど解り易い実力主義制度はない。上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、准男爵、騎士とある階位は貴族において絶対の神意であり、自然の摂理である。だがそこは人界の掟。下から数えた方が早い男爵が、貴族社会で他意故意関わらず名前をあげられるような事になれば遅かれ早かれ噂の舞台から引き摺り下ろされるのは必然と言えた。

 本人の預かり知らぬことであっても、だ。

 夜会の噂は速報である。

 私がパセリーニ伯の婚約者である、という讒言があらぬ中傷と疑いと陰謀を新たに生んだに違いない。今まで水を打ったように表立った取り巻きがなかったことはヴァレリアル公爵家の力量が知れる。彼の家はペンファー家のような土地貧乏ではない。正真正銘、王政時から公爵として名高い生粋の名家なのだ。


「今度は何を企んでおいでですか?」


私も貴族の端くれである。慎ましいがハッタリと度胸の世界で生きてきた。

たとえ、画伯と名のつく者たちが泣いてモデルを頼むほどの超自然を歩く美貌、金絹糸と評して差し支えないブロンド、幾ら金をつぎ込んでも手に入りそうにない最高級の紫水晶の瞳、すらりと伸びた華奢な痩身は滑らかな曲線を描いて至宝の彫刻のように世の人々を魅了するような、刑務所におよそそぐわない美貌が目の前で艶然としていても私は懺悔室の神父よろしく冷静にハッタリを構えた。

わけもわからず二週間余りを刑務所で過ごしたのだ。

罪状に納得がいかないというのに、弁護人も情状酌量もなく問答無用で札をつけられてしまっては余りにも理不尽である。しかし、私にも強くは出られない理由があった。

平和だったのである。

はっきり言って、違法なほどストレス過多な議会城執務室付きという職務から解放されて、私はここ数ヶ月ない幸せな休暇を送っている気分に陥っていた。

自堕落ながらもこの生活を手放しがたく思っている。生意気盛りの少年たちを絆しながら教師を務める日々は今までで最悪に平凡で、穏やかだったのだ。

男爵であるという貴族意識が前頭葉の端になければ「このまま解雇してください。私は教師になります」などと青臭い第一声を口走りかねなかった。

 私の自虐的な甘い思考を知ってか知らずか、刑務所に降り立った凶星の女神は面会窓越しに狂乱を誘う微笑みを浮かべた。そのかんばせの下は計算されつくした冷徹な面が控えている。


「お久しぶりね。ペンファー・ロッソン中尉」


 フランチェスカの戦姫、悲劇の盲目美姫。


「二週間ぶりでございます。パセリーニ伯」


 ヴァレリアル・センテ・パセリーニ・アルマナ伯爵である。

 彼女はいつもの蠱惑的な仕草でスーツの足を組替えた。


「元気そうね。少年院で、教師をやっているそうじゃない。教官がいたく感謝されていたわ」


「貧乏暇なし、といいますので。いつ明けるともしれない休暇をどう扱ってよいのかわかりませんでした」


「今、貴族は三人いるでしょう。 仲良くなれて?」


「二週間もの時間がございましたから。世間話程度には」


 パセリーニ伯は紅唇を閉じた。

 私も合わせて口を閉じる。

 沈黙が面会室に流れた。私の後ろでは、時計の秒針音と共に監督官が息を呑む。

 私のささやかな嫌味は功を奏したようだ。

 刑務所に入れられたことを全く恨んではいないが、二週間の真意を尋ねる権利ぐらいはあるはずである。

 どれほど経っただろうか。

 最初に根負けしたのは、珍しく伯だった。


「……………貴方を守るためよ」


 弱弱しく呟かれた言葉に私は耳を疑った。意味がわからないという顔をしていたのだろう。パセリーニ伯は子供のように口をすぼめた。


「犯人をいぶり出すには貴方が邪魔だったの。だから―――」


「刑務所に?」


 続けると伯は肯く。


「刑務所って場所はある意味、治外法権だから。ここに放り込んでおけばいいと思ったの」


 今度は私が溜息を吐く番だった。パセリーニ伯は態度が気に入らないとでも言うように花のような顔をしかめた。


「何よ! 文句あるの?!」


「―――いえ」


 苦言といえば聞こえは良いのかもしれないが、


「それなら、私の首をお切りになれば良かったのですよ」


 刑務所に入った時点で、私は解雇されてもおかしくは無かった。実際、執務室付きは犯罪が漏洩した時点で解雇されるものなのだ。だが、私は刑務所に入ったものの職務は継続。このため、パセリーニ伯がわざと刑務所に私を放り込んだことがわかってしまった。私が邪魔になるほどの犯人なら、刑務所に入った私が冤罪であること、さらにはパセリーニ伯の意図であることぐらいはすぐに見抜くだろう。


「駄目よ!」


 珍しいことがあるものだ。

 パセリーニ伯の顔がまるで少女のように赤い。


「……一度、執務室付きを解雇されたら、もう二度と議会城には戻れないのよ…」


 確かに、そういう法律だ。

 しかし、パセリーニ伯がそこまで私の就職事情を労う理由はない。

 私は面食らいつつも勤めて落ち着いた口調を心がけた。

「パセリーニ伯。今日は私に何か、言いにくいことをおっしゃりにいらっしゃいましたね」

 伯の肩が揺れた。が、私は気付かない振りをする。

 今日の伯は少しおかしい。


「面会時間はあまりありません。どうぞ、おっしゃってください」


 落ち着いた、だが冷静な語気を少し強めた。それが肩を押したのだろう。

 パセリーニ伯は光を映したことのない紫水晶の双眸に私を捉えた。


「私、逃げた小鳥を見つけたの」


 私は目を見開いていた。

 逃げた小鳥。

 パセリーニ伯の昔の恋人の揶揄である。

 年端もいかない頃、駆け落ちしたその相手。

 だが私が驚いたのはもっと身近なことだった。

 小鳥を見つけたという、その伯の顔。

 それは、まるで蛇蝎を蔑むような、憎悪の面だった。



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