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姫君の日常  作者: ふとん
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鉄格子の中で

 寒風が吹き込み、石組みの壁には太陽の運行だけを告げる小さな窓がついている。腐敗臭とも死臭ともつかない倦怠感がそこには満ちている―――というような典型的な独房ではない。それは本の読みすぎ、若しくは情報の古典崇拝を促進させている。これも大げさだが、昨今の独居房は、外へ自由に出られないということを除けば、物臭なら一度住んだら一生出たくないと思うほど快適である。冷暖房完備、陽光を取り入れる半地下の窓は無粋な鉄格子があるものの大きくとられ、部屋中に日の光が充満している。掃除は日課であり、ベッドは毎日シーツを取り替えさせてくれる。風呂トイレ付きのこの部屋には簡単な料理を自炊できるキッチンもついている。食事は三種のメニューから選択性。お抱えシェフご自慢の日替わりメニューは独身男性では到底賄う事ができそうにないバランスの取れた食事である。差し入れは銃火器以外基本的に何でも素通りだ。面会は時間内なら誰でもできる。人間の世界観は自身の人間関係に集約されるというから、世間的な疎外感はない。

 全ては収容された被疑者達に必要以上のストレスを与えないために作られたシステムである。居住空間の非ストレス化はその第一歩なのだろう。

 一般の受刑者は先に述べた快適な環境で日々決められた仕事に励んでいるが、私は一応、サーと呼ばれる爵位持ちの貴族なので刑務所に閉じ込められている以外に仕事はない。土地貧乏とはいえ領地を持っていればその土地を維持している限り他に仕事は基本的にないのである。それを踏襲した形なのか、手工業など経験がない爵位持ちの貴族に鞄の縫製などさせてはかえって邪魔になるからなのか。真意は定かではないが、とりあえず私に仕事は与えられなかった。

 しかし、貧乏暇なしというのは悲しい性で、土地貧乏で寄宿学校出の軍人に暇という刑は持て余す他ない。そこで私は寄宿学校で培った上級生仕込みの教育ノウハウを生かし、少年院での教師役という職を得ることに成功した。このときとばかりに男爵という高くも低くもない(一般的には)爵位を振りかざし、刑務所の責任者であるリヒター所長を宥めすかしたのだ。一週間に三度、私は刑務所の外にある少年院で教鞭をとっている。


「君も物好きだねぇ」


 そうのたまったのはご同胞であるピーター准男爵である。准とつくので、私より爵位は下だが彼はあくせく働こうとする私を精神的に見下している節があるらしく、わざとらしく敬語を使わない。

 彼は伯爵夫人との不義密通の罪で一人、この刑務所に送られてきたらしい。事あるごとに


「あの盛りのついた雌犬め! ここを出たら告発してやる!」


 お相手の大奥様は御年四十路の非常に精力的なご婦人で、夫である伯爵に密通の事実が発覚しそうになった途端、若い准男爵ツバメを切り捨てに走った。「ワタクシの体にヨクジョウして……」だの難だのと自分から誘っておいてあること無いこと旦那様に進言したのである。当然、怒りたけった伯爵閣下は憐れなピーター准男爵を刑務所に叩き込んだ。刑期は十年。たった二週間、金と名声目当てに二十も年上の女性のお誘いに乗った代償は大きかったようだ。若かりし二十歳の頃から既に七年目、私と同年代で不幸なことである。


「まぁ、私には到底わからない世界のようですね」


 私は彼が大根演技で嘆くたび、冷ややかな同情を篭めて慰めることにしている。


「勤勉は美徳だよ」


 そういってピーター卿と私の間に割って入ってくれるのが、ジャン・ウォルタ卿である。

 彼の名を、治安課職員に知らぬものは無い。禿髪壮年の、如何にも好々爺然とした彼だが、男爵よりも低位の騎士という身分でありながら実質上の最高権力者、ヴァレリアル・ブラガ公爵に反旗を翻した大罪人である。三十年前、難攻不落の議会城フランチェスカをあわや攻略しかけた実績があるのだ。それは歴史に残る今世紀最大のクーデターだった。この時ばかりは王政時に牽制を振るった大貴族達が重い腰を上げ、ジャン・ウォルタ卿率いた反乱軍に立ち向かい、短期間だが内乱となったのだ。内乱収拾後、捕えられたジャン・ウォルタ卿は当然、死罪判決が下ったが、彼の信奉者達によるテロが続いたため議会の苦肉の策で終身刑となった。北国に八ヶ所ある刑務所で、まさか同じ独房で同じ釜の飯を共にすることになろうとは思いもよらなかった人物だ。


「ペンファー君は……ああ、失礼。ペンファー男爵閣下はヴァレリアル公爵閣下ご息女の護衛だったとか?」


 なのでこういう質問を投げられると小心者の私は肝が冷える。


「私のような未熟者は、呼び捨てでかまいません。ジャン・ウォルタ卿」


 刑務所内は自由行動の私達は、たまたま所内食堂で顔を合わせて共に午後のお茶を楽しんでいた。春の日差しも夏に変わろうとしているが、柔らかな日和である。和んでいた腹が急に引き締まる。裏腹に私は微笑んで見せなければならないのだ。


「ただの、ヴァレリアル・センテ・パセリーニ伯爵の議会城執務室付きです。四ヶ月前に赴任したばかりでして」


 曲者の好々爺は果実葉の紅茶で一息ついて、穏やかな灰青色の双眸で私を見遣る。


「パセリーニ伯の婚約者だと聞いたが?」


 ここ数週間、海馬の隅に追いやっていた第一級廃棄事項だ。ウォルタ卿の老獪な早耳に舌を巻いた。


「誤解です。伯がその場限りの策略にお使いになられた詭弁です」


 若い貴族共がこぞって集まった夜会で婚約者扱いされたのだ。誤解で済むとは思っていないが、男爵ごときの私なら、詭弁とゴシップで片付くだろう。パセリーニ伯もそう踏んでいるはずだ。もっとも、私に伯のお考えが察せようはずもないのだが。


「そうかねぇ…」


 ウォルタ卿は孫の見合い話を吟味するかのように顎を撫でる。


「君は人間として充分魅力的な青年だよ。もっと自信を持つといい」


 騙しやすい人間だということだろうか。

 私は勘繰りを胸に収めて、先に退席する失礼を詫びる。

 これから、当の上司がやってくるのだ。

 私をこの、議会城地下刑務所に放り込んで下さった、美しき議会城の姫。

 ヴァレリアル・センテ・パセリーニ・アルマナ伯爵が。



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