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姫君の日常  作者: ふとん
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夜会狂想曲

 色や光まで帯びていそうな音楽が漂っていた。

 煌びやかな音は五感全てを刺激して、体の奥深くに沈めている欲望を引き出してくるようでもあった。

 夜会の会場は広かった。ともすれば千人以上の客を余裕で受け入れてしまえるほどだ。それにもまして、その装飾はおびただしいと言っても過言ではない。至るところに彫刻や飾りカーテンなどが施されており、眺めているだけで食われてしまう。広い会場にはこれまた贅沢に飾り立てた紳士淑女のお歴々が顔を並べて談笑にいそしんでいる。立食用の料理も立って食べるにはもったいないほど煌びやかで、酒は優に百種を超えるほど用意されている。

 私は贅を尽くされて居並ぶ貴婦人や料理、そして降り注ぐシャンデリア達に酔って目眩を覚え、壁際の花ならぬ窓際の雑草として薄く開けた窓から新鮮な夜気ですっかり疲弊した体をいやしていた。貧乏とはいえ貴族の端くれではあるが、私は事に夜会というものが苦手だった。

 飢饉のあった年などこういった豪奢な夜会は国の基盤を支えてくれている民衆の飢餓を思うと吐き気さえ覚える。これは所詮貴族の綺麗事であるが、それを抜きにしても社交的とは言えない私にとって、陰謀渦巻く夜会は鬼門だった。

 生ぬるくなったカクテルに口をつけながら、私はこのサバトへ連れてきた張本人を眼で捜した。その人物は、すぐに眼に入る。

 何せ一際目立つのだ。

 私が視界の端に捉えた時には、すでに五、六人の紳士に囲まれていた。

 中心にいるのはブロンドを結い上げた美女である。

 白磁の端正な容貌に艶やかな笑みを形作った姿は黒のイブニングドレスも相まって、彼女を夜の女神に仕立て上げている。

 言わずとしれた、議会城フランチェスカの姫と名高いパセリーニ伯である。

 誰よりもすっきりとした立ち姿は、私にとって威風堂々たるものだが彼女を囲む紳士達の瞳にはそうは映らないようだった。

 フランチェスカの姫は、その美しい紫の瞳に光を映したことがない。盲目でありながら文官となった薄幸の姫なのである。

 一般的には。

 噂しか知らない市民ならいざ知らず、貴族であるならば一部は彼女の実態がフランチェスカの戦姫と呼ばれる猛々しい物だと知っている者もいるだろうに姫の周辺は紳士達の姿が絶えない。

 恐いもの知らずが多いのか、命知らずが多いのか、彼女の遺産が自分の命よりも魅力的なのかは私には分からない。

 何事も命あっての物種である。

 私はまずいカクテルを飲み干して、窓の外を見遣る。

 勢いでこんな場所に連れてこられてしまったが、そもそも私がいる必要などあるのだろうか。

 確かに、自分の執務室を爆破されてしまったのだが犯人探しは私の仕事ではない。

 ぼんやりとしていた私は突然、右腕をつねられて思わず声を上げた。

 視線を巡らせれば、紳士達に囲まれていたはずのパセリーニ伯が少し不機嫌な顔つきでこちらを見上げている。こうしていると彼女が盲目であることを忘れてしまいがちになるが、伯は気配で人の動きを察知する術を身につけている。


「どうなさったのです?」


 そろそろ帰らせてくれる気になったことを祈りつつ、私はパセリーニ伯に向き直る。


「何をぼんやりしているの。そんなことだとタチの悪いご令嬢に捕まってしまってよ」


 壁際の雑草に誰が視線をやるのだ。弱冠呆れた顔をしてしまったのか、伯は形の良い紅唇を尖らせた。


「目立つのよ、アナタは」


 言われてみれば、そうかもしれない。着飾り尽くした人々の中で地味なスーツ姿は悪目立ちする。


「やはり従者付きの部屋で待機していた方がよろしかったですね」


「そういうことじゃなくて……」


 パセリーニ伯は何か言いかけたが、人の訪問に気がついたのか口を閉ざした。

 現れたのは、


「これはアルマナ様。ようこそおいで下さいました」


「マルセーリ卿、このたびはお招き下さりありがとうございます」


 週に二度は顔を見せる薄幸の伊達男、マルセーリ卿である。彼は芝居役者顔負けの大げさな所作で片膝をついてパセリーニ伯の前に跪くと、彼女の白い手の甲に口付けた。


「アルマナ様、ダリーニダとお呼び下さい」


 ダリーニダはマルセーリ卿のファーストネームである。彼はパセリーニ伯のファーストネームを口に出すことでこの会場にいる紳士達を暗に牽制しているのである。

”私はパセリーニ伯に婚約を申し込むから邪魔するな”と。

 挑発的なことだ。

 マルセーリ卿は名家の三男であり、嫡男ではないものの非常な野心家で急成長している文官である。その過剰ともいえる自信の中には確かな実力もあることを彼の今の地位が物語っている。

 これで議会城一の実力者のヴァレリアル公の娘であり、自身も文官であるパセリーニ伯と結婚でもすれば、後世の議会城の権力はもぎ取ったも同然、というわけである。

 ここまでは誰もが描くサクセスストーリーなのだが、問題はどうやってこの戦姫の攻略法である。実はこの姫様は、肥大化した噂の的でありながら浮いた話が一つもないのである。絶大な権力と膨大な財力、絶世の美貌という三点セットを備えた彼女に言い寄る紳士は数多であるが、彼らとの擦った揉んだは不思議なほど起こしたことがないのだ。

 記録に残るのはただ一つだけだが、これは彼女と同じ文官である私の兄が極秘裏に入手した情報であるので定かではない上、現実味の薄い話である。


「ちょうどよろしかったですわ。マルセーリ卿」


 私の回想を断ち切ったのは、パセリーニ伯の冷血な笑顔だった。

 女王様の痛烈な拒絶。さすがのマルセーリ卿も顔を引きつらせた。婚約を前提に片膝をついているというのにそれを群衆の中で蹴ってみせたのだ。

 心なしかフラフラとその場を立ち上がるマルセーリ卿を見ながら、彼にとっては不相応なのだろうが私は内心同情を禁じ得なかった。敢えて表面に同情の意を示さなかったのは、皮一枚の美貌に騙されてしまう私を含めた男に対する反省と戒めのためである。

 そんな私の改心を悟ろうともせず、パセリーニ伯は私の腕を取ってあろう事か体をすり寄せてきた。私がたちまち硬直し、鳥肌を立てるのにもお気づきになられないのか、女王様は婉然と突拍子もないことを口にされた。


「ご紹介致します。私の婚約者、ゼパンツェン様ですわ」


 ゼパンツェンは、私のファーストネームである。

 私の視界はたちまち暗転し、暗い口腔を開けた混乱の渦に飲み込まれていった。

 その途中、微かに窓の向こうに夜空の星が見えたがすぐに消えた。


 


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