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「--で、ええっと……何の話してたっけ? それとアクア。土下座しなくても良いと思うよ」
フェリルに言われ、アクアはそろそろと顔を上げた。視線を上げると、寝台の上で胡座をかくガデスと、その隣に座ってアクアを威嚇する金色の毛の狼が目に入る。
「アル、悪気があったはずないし、威嚇すんのやめてやれよ」
「いいえ! 乙女に恥を掻かせた罪には、悪気なんて関係ありませんわ!」
ガデスの言葉に金色の狼--アルテミスが息巻いて反論する。人狼族は過去に数人会ったことが有るが、完全獣化した姿を見るのは初めだ。
ガデスが宥めるように撫でるとアルテミスは心地良さそうに目を細めるが、アクアを睨むのも忘れない。ガデス本人は全く気にしていなかったようだが、アルテミスは暫く許してくれなさそうだ。
ガデスが着ていたシャツのボタンはどこかに飛んで行ってしまったので、ひとまずヴァインの服に着替えている。店が開いたら、お詫びとしてアクアの金で服を買う約束になっている。ちなみにヴァインは未だ熟睡中のため、服は無断拝借だ。
こうなると危険を察知しない限りそうそう起きないのだと、フェリルは言う。
「で、だ。魔神召喚についての話だったよな」
「--待て。本題に入る前に、確認したいことがある」
ガデスを制したのは、何かをずっと考え込んでいたエリックだ。深刻そうな表情で、恐る恐る聞く。
「お前……学園で着てたの男子制服だった--よな?」
「ああ。寮も男子寮だったな、個室だったけど」
今更何か問題でもあるのか、と言わんばかりのガデスに、エリックは複雑そうな顔をした。数年間一緒に学園生活を過ごしてきた男友達が実は女友達だったのだから、困惑するのも無理はないとアクアは思う。
「小さい頃から面倒事避けるために男装してたんで、その延長? いやー、ばれねぇもんだな」
「ふふん、お兄様はそこらの男性よりも格好良いですもの。当然ですわ」
笑いながらそう言うガデスに、誇らしげに尻尾を振りながらアルテミスが同意する。エリックが頭を抱えて「分かる訳あるか」と小声で呻くのが聞こえ、アクアは少し彼に同情した。
「--で、魔神についてだったよな。告発するかどうするかっていう」
にやり、と不穏な笑みを浮かべるガデスの言葉にアクアははっとした。アクアが原因で一回うやむやになったが、結論はまだ出ていなかった。
魔神は神の敵にして最も忌むべき存在だというのが、神を信仰する者たちの認識だ。それは元神官であるアクアでも変わらない。
喚び出しても制御はできず、代償には生け贄として人の命が必要になる。だからこそ、魔道士たちも召喚を禁じている。
だが--とアクアは自問する。それが人の命を救うためで、誰も犠牲にしなかったというのなら、それでも赦されないのだろうか。
異端や背徳、不正を正す神霊協会の人間ならどういう答えを出すのか気になり、アクアはじっとアルテミスを見た。彼女は目を閉じてゆっくりと尻尾を揺らしていたが、獣化前の法衣姿に戻ると口を開いた。
「……無理ですわ。というか、そもそも何も聞きませんでしたわ」
「神霊協会は、それで大丈夫なのか?」
意外にあっさりと出された結論にアクアが思わず聞くと、アルテミスは仕方ないといった様子で答えた。
「そもそも証拠も何もないですもの。それに、色々な宗派の集まりですから、物事の捉え方も考え方も信じてる神様によって違いますし。--ちなみに私的には、バチが当たらなければ、女神様は目を瞑ってくれたと解釈しますけれど」
緩い、と思わず思ったが、それが旅人や冒険者に人気がある風の女神の良さなのかもしれない。
「……案外、解釈に幅があるもんだな」
「まあ、神様の真意なんて、なかなか人間では図りきれないからね」
フェリルやアルテミスは適度に折り合いを付けているようだ。アクアは昔の自分がどうだったか思いだそうとして、無駄なことだと思い直してやめた。
「--と、いうわけで魔神召喚については何も聞かなかったとして。ダンドルグは何しに出てきましたの?」
「んー……」
アルテミスに聞かれ、ガデスは口ごもった。アクアとエリックを見てから何かを考え込む。
結論はすぐに出たようで、フェリルに「言う」と一言告げてから話し出した。
「--ミストリル族って知ってるか?アレの血は強い魔力が篭もってて、昔は魔法の媒体とかによく使われたんだが」
「人の血をか……?」
嫌悪感を隠さずに呟くと、ガデスはアクアの方を見て一瞬だけ微笑んだ。しかしすぐに表情を戻して、話を続ける。
「当然、魔神召喚にも使える。エリックを捜してた奴はそれを目の当たりにして「血を寄越せ」と言ってきた」
変態だよなアレ、と同意を求められたアクアはなんとなく頷いた。
「--つまり、お前はやはりミストリル族か。絶滅していなかったんだな」
エリックの言葉にガデスは首を振った。
「いや、俺が最後の一人じゃないか? --生まれてすぐ養子に出された双子の兄貴もいるらしいが、種族特徴は女にしか出ないらしいから」
「え、お兄様ってお兄様がいますの?!」
「顔も引き取られた所も知らないから、殆ど赤の他人だけどな」
唯一の血縁者でもお互い家族は別にいるし、とガデスは素っ気ない。
「まあ、それは置いといて。--当然、素直にくれてやる気はないし、むしろあわよくば腕の1本でも奪ってやろうと思って戦ったんだが……」
ガデスはちらりと熟睡しているヴァインを見た。眉間に皺を寄せて難しい顔になる。
「影のような狼を際限なく出されてな。倒すのは簡単だがキリがない。その上、攻撃を受ける度に体力が奪われる。生命吸収の魔法とは違うようだし--エリック、心当たりあるか?」
ガデスが問いながら視線をエリックに移す。ガデスと目が合ったエリックは、すぐに視線を外した。
「--文献でも見たことのない奴だった。調べてみないと分からんな」
「つまり、影の狼の対策が出来ないと、ダンドルグを見つけても倒せないのか……」
厄介だな、と呟いて何か対策がないかアクアは考え込むが、フェリルの視線に気がついて顔を上げた。
「--なんだ?」
「いや、意外に冷静だなー、って。名前聞いた時点で飛び出すかと思ってたよ」
言われてみればそうかもしれない。アクアは少し考えて口を開いた。
「……確かに、一人の時なら差し違える--いや、死ぬつもりで戦いを挑んだと思う。でもそれじゃ、何の意味もないからな。……仲間もいるんだから、勝って奴を止めないと」
そう言うと、フェリルににっこりと微笑まれた。アクアは少し恥ずかしくなって目を反らす。
「とにかく、何とか方法を--」
「あら?」
アルテミスが、何かに反応して耳に手を当てた。アクアには何も聞こえなかったが、耳が良い人狼族にしか聞こえないなにかが聞こえたようだ。
「ちょっと今、知り合いに呼ばれましたの。行ってきますわ」
そう言いながらアルテミスは部屋を出ていく。
いい加減、床に正座をしているのが辛くなってきたアクアは、よろめかないように細心の注意を図りながら立ち上がった。
「知り合い?」
「神霊協会の人かもね。情報収集担当な人もいるから」
話しながら寝台に腰掛け足をさすっていると、ヴァインが目を覚ました。身を起こし愛剣の位置を確認する。
「起きるの早いね、全快した?」
「いや……何故か目が覚めた」
服を借りたと告げるガデスに頷き、ヴァインは立ち上がった。剣を手に、ガデスの隣に座る。
「アルはどうしました?」
「知り合いに呼ばれた、っつって出てったけど--お、戻ってきたか?」
扉越しに足音が聞こえ、ガデスが扉を見る。すぐに扉がノックされ、アルテミスが戻ってきた。しかし中には入らず、難しい顔でアクアに手招きする。アクアは首を傾げながら、アルテミスに近付いた。
「どうした?」
「私が色々調べものを頼んでいた方が、情報を持って来ましたの。ダンドルグと、その--グランアルシア自治領で起きた騒動について」
アルテミスは小声で告げた。他者に聞こえないようにだろう。
「ひとまずアクアに話そうかと--」
「いや、最初から皆に話したほうが、手間が掛からないだろ」
心配そうな顔をするアルテミスに、アクアは大丈夫だと微笑んで頷く。
アルテミスは軽くため息を吐いてから、隣を振り返った。気配も足音もしなかったので気が付かなかったが、誰かを連れて来ていたらしい。彼女は部屋に入り、その誰かを招き入れた。
「ああ、なるほど」
フェリルが小さく呟いたのと同時に、ヴァインが立ち上がった。ガデスを庇うような位置に移動する。
「あの、ヴァイン兄様? この人は怪しい方では--」
「すみません、習慣で。どうぞお気になさらず」
ヴァインはそう言いながら、来客から視線を外さない。警戒された方は意に介さず、にこやかに微笑んだ。
「警戒するなという方が難しいだろうね。でも俺はアル--彼女に頼まれた情報を持ってきただけだから、それは信用してほしい」
敵意はない、とばかりに両手を上げる客を、アクアは観察した。アメジスト色の髪と目の男だ。背はヴァインと同じ程度だが、女性的な顔立ちと穏やかな物腰なので威圧感はない。アクアには警戒しなければならない程の相手には思えなかった。
「この方は、ルザルファスお兄様と言って私の親戚で、今は神霊協会のお手伝いをしてくださってますのよ」
「ルザルファス……?」
名前を聞いてエリックが反応した。まじまじと相手の顔を見詰め、問う。
「もしかして、シスターエリゼの所のルザル、か--?」
「--うん、久しぶり。……10年振りぐらいかな?」
「そう、だな。……元気そうでなによりだ」
「あら、本当に幼なじみでしたの」
アルテミスの言葉にルザルファスは頷く。だが2人は互いを懐かしむでもなく、どこかよそよそしい。
「--まあ、その話は今でなくてもいいさ。それよりも新たに分かったことについてだ」
そう言ってルザルファスは確認するようにアクアを見た。アクアが頷くと、言葉を続ける。
「……始まりは、ダンドルグがグランアルシア自治領に訪れたことだ。旅の神官、ということだったみたいだね。彼はバーゲル司教に巧く取り入り、右腕のような存在になった」
確かに、ダンドルグはバーゲル司教の使者を勤めていた。アクアは苦いものを感じながら、バーゲル司教に呼び出された日の事を思い出す。
「そのうちに大司教選が近付いて、次期大司教の座を狙っていたバーゲルは邪魔者の排除を決意し、ダンドルグに手筈を整えさせた。ダンドルグにそそのかされた可能性も否定できないけどね。--とにかく、ダンドルグは暗殺を生業とする組織と話を付け、バーゲルは自分が疑われぬよう、別に犯人を用意する計画を立てた」
「別の……犯人」
妙に手早かった確保と、聞く耳を持たなかった尋問は、バーゲル司教の指示によるものだったのだろう。アクアはパズルのピースがはまったように思えた。ダンドルグの指示で襲った際、アクアを見て狼狽していたのは、亡き者にしたはずの相手が現れたからだろう。
「計画通り、決行日の翌朝にバーゲルはトレイル大司教の遺体を確認し、犯人をでっち上げて拘束させた。--その2日後、大司教の死因が病だと判明するまで、ね」
「え--病死?」
初耳だった。アクアはずっと、トレイル大司教は何者かに殺されたのだと思っていた。しかし思えば、あの時以来グランアルシア自治領に近寄ったことはないのだから、顛末は知らなくて当然だ。
「ああ。亡くなったトレイル前大司教に外傷は無く、毒物の痕跡なども無かった。--暗殺者は仕事をしなかったようだね。結果、病死と診断されて、冤罪を受けた拘束者は解放された……記録の上では。--なんにせよトップがいなくなり、バーゲルは望み通り大司教代理に就任した。これが大司教暗殺騒動の顛末だ。しかしその後、騒動について追求される間も無く、ダンドルグに襲われて命を落とした」
実際に手を下したのはアクアだが、ルザルファスはあえてそれを言わなかった。
「取られた物は無く、袂を分かつためとか、口封じだとかが目的だったとされていた。が」
「……本を奪ったはずだ」
記憶の中で、ダンドルグは古い本を手にしていた。アクアがそう言うと、ルザルファスは頷いた。
「グランアルシア自治領大神殿の最奥、大司教だけが立ち入れる部屋に保管されていた本が1冊、行方不明になっていることが最近判明した。トレイル前大司教と代理のバーゲルが相次いで急死したことで、現大司教に引き継がれておらず、今まで把握できていなかったらしい」
「それがアクアが見た本か。--どんな本か覚えてるか?」
ガデスに聞かれ、アクアは記憶を掘り起こす。
「確か--赤茶の表紙に、金字でタイトルが書かれていた。文字は……知らない字だった」
「帰還の書。それが行方不明になっている本だ」
アクアには聞いたことがない本だったが、エリックとガデスは知っているようだった。合点が行ったように相づちを打っている。
「なるほど。それなら文字はヴァンダニア語だな。読める方が珍しい」
「ヴァンダニア語?」
「死後復活を果たして国を永遠に治める--って、王が率先して死者蘇生術を研究してた国の言葉だよ。随分昔に滅んだんで、歴史の研究者ぐらいしか知らないだろうな。「帰還の書」ってのは、その王が研究の末に作り出したって言われてる本だ」
エリックの言葉にアクアが首を傾げていると、ガデスが説明をしてくれた。
「死からの帰還……ですか」
「死体を動かすだけじゃなく、自我を持ったアンデッドを作る術まで書かれた本らしい。死後、王は自我を持つアンデッドとして蘇ったが、禁忌に触れたとして神職者達に倒され、本は禁書として封印されたと聞いてたが」
「その本が、グランアルシア自治領に封じられていたようだ。それをバーゲルが持ち出し、ダンドルグが奪った。持ち出すように仕向けたんだろう。そして……王と同じように蘇った。自我を持ったアンデッド、それが今のダンドルグだ」
「自我を持ったアンデッド……」
にわかに信じがたい話だが、あり得ないことではない。アクアは聖印を握り、記憶を掘り返す。
館の防衛を命じられる際、ダンドルグは件の本を手に、何か言っていなかっただろうか。
「--途方もない話だね」
それまで黙っていたフェリルが口を開いたので、アクアは視線を聖印からフェリルに移した。表情は穏やかだが、眼鏡の奥の眼光は鋭い。
「アルと神霊協会の名に免じて、話の内容は信じるよ。でも……短期間で調べたのだろうに、記録に無い細部まで随分詳しいね」
「そ、それは……そ、それだけ優秀でいらっしゃるのですわ!そう、ええと--」
「アル」
アルテミスが取り繕うようにフォローを入れるのを、ルザルファスが制した。フェリルの視線を真っ向から受け止める。
「こういう事情に明るいツテがあるんだ、詳しいことは話せないが。話の真偽はグランアルシア自治領に問い合わせてもらっても問題ない」
「そう? --まあ、そこまで言うならもう追求しないよ」
フェリルの言葉に、アルテミスが安堵の溜息を吐いた。なにか事情があって、アルテミスはそれを知っているようだ。彼の身のこなしに関係しているのかもしれない。
アクアがそう考えていると、ふとルザルファスと目が合った。こちらを見ていたようだが、目が合った瞬間視線を逸らされた。
初対面のはずだ。しかしその目は、何か言いたげだったような気がした。
(8に続く)