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夜でも賑やかな大通りを横切り、フェリルは細い路地に入る。纏っているのはいつもの法衣ではなく、くたびれたチュニックだ。その上から翼を隠すようにマントを着こみ、フードを目深に被っている。
タルタニは大通りを外れると、治安が悪い一画がある。フェリルが向かっているのもそういう場所だ。
路地を抜けると大通りとは違った喧噪が耳に飛び込んできた。視線を遣れば酔っ払い同士が取っ組み合いの喧嘩をしており、周りが野次を飛ばしている。大して珍しい光景ではない。
フェリルは騒ぎを気に止めず、適当な酒場に入った。
扉を開く音に先客らが振り向く。中には値踏みするような視線を送る者もいるが、フェリルは気にせずカウンターに向かった。店で一番強い酒を頼むと一息に飲み干し、同じ物を頼む。
注文を聞いた店主が涼しい顔のフェリルを見て、感心するように片眉を上げた。
あまり酒が得意ではないフェリルだが、神聖魔法にはアルコールも含めた毒への耐性を上げるという便利なものがある。一度掛ければその効果は数時間続くので、こういう場所で重宝している。
「ここらで見ねぇ顔だな。良い飲みっぷりじゃねぇか」
「今日来たんでね。ちょっと町を見て回ろうかと思ってさ」
フェリルは店主にへらっと笑い掛ける。盗賊ギルドなどのやっかいな集団に目を付けられると面倒なので、まだ本題は切り出さない。
「ここらは治安良い方? こういう場所の方が好きなんだけど荒事は苦手でさぁ」
「まあまあじゃねぇか? この店は冒険者だって来るしな。逆に最近は、どういう訳かガラの悪い連中が減ってきてる気がするな」
そう言いながら店主は3杯目をフェリルの前に置く。その視線が不意に、フェリルの後方に動いた。
「--蒸留酒、ロックで」
「--っ?!」
背後から聞こえてきた声にフェリルは驚き、慌てて平静を装う。
グラスを動かして後方を映すと、背後に新客が立っていた。彼は静かに歩きカウンターに着く。
アメジスト色の髪と瞳の男だ。顔の作りは女性的だが、その眼光は鋭い。
気配を感じさせず、足音を立てないことから、素人ではないとフェリルは睨んた。盗賊ギルドのベテランか、あるいは密かに存在すると噂される暗殺者ギルドの人間か。いずれにせよ、関わり合いにならない方が良い人種に違いないだろう。
目を合わせないように、しかし意識は向けながらフェリルは3杯目のグラスに手を伸ばした。
隣では、氷を鳴らしながら男が店主に問いかけている。
「金を貸した相手に逃げられてな……エリックって名前の緑の髪に、緑と青のオッドアイの男なんだが、見ていないか?」
フェリルは思わず男の方を見そうになった。今まさにフェリルが情報を探している相手だ。
行方不明の学者に、裏の人間が何の用なのか。少なくとも金の取り立てではないだろう。
「そりゃ、あんたみたいなおっかない相手なら逃げたくなるだろうな。うちにゃ来てねぇよ」
店主の様子を見ると嘘ではなさそうだ。男もそれは分かったようで、礼を言うとグラスを空けてから店を出ていった。
フェリルはすぐに席を立ち、男の後を追って店を出た。しかしその姿は忽然と消え、探し出すことはできなかった。
夜風に髪を遊ばれながら立つガデスの背中を、ヴァインは眺めていた。魔道士の素質が全く無いヴァインには何も感じないが、ガデスには風の精霊の声が聞こえるのだろう。じっと耳を澄まし、時折会話をするように何かを呟いている。
二人が立っているのは港にある倉庫の屋根だ。昼間は忙しなく人が行き来していた港は、夜が更けて静まりかえっている。
ガデスはしばらくそうしていたが、思うような話は聞けなかったようだ。ため息を吐いてヴァインに振り返った。
「聞いてみたんだが覚えてないって。ここらには来てないんだな」
「興味を示さなかった可能性は?」
精霊は話し相手には良いが、情報収集には適さない。それはガデスが以前言っていたことだ。興味を示したものは覚えているが、それ以外のことには見向きもしないらしい。
「半精族だったから、それは無いと思う」
実体を得た精霊と人の間に生まれた者の末裔が半精族だ。精霊達には仲間としてよく好かれるのだという。
「実際、風の精霊にも好かれてたからな」
そう言いながらガデスは腰を下ろした。ヴァインもその隣に座る。
眼下では穏やかに海が波打っている。
「……エリックとは、授業外でもつるんでてさ。勉強教え合ったり、図書室で並んで本読んだり、よく一緒に行動してたんだよ」
遠くを見たまま、ガデスは話す。ヴァインに学園の話をするのは初めてだ。
「学園時代の半分位、あいつと過ごしてた気がするなー。……俺は」
ガデスは言葉を切って黙り込んだ。続ける言葉を探しているようだ。
「--まだ諦めなくていい、よな?」
自分自身に確認するかのようにガデスが呟く。
ヴァインは立ち上がると、ガデスの肩に手を掛け、丸まった背中を伸ばしてやった。
「そうですね。弱音を吐くのはまだ早いかと」
似合いません、と言うと見上げてきたガデスが恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「だよな! 悩むより突っ走ったほうが性に合うし」
ガデスはヴァインに手を借りて立ち上がり、大きく伸びをした。
「よし。明日には見つけ出す!」
「ええ、頑張りましょう」
気合いを入れるように突き出されたガデスの拳に、ヴァインは微笑を浮かべて拳を合わせた。
(3に続く)