1
ペルキアを出港した定期船は、およそ1日かけてタルタニに到着した。
地面が揺れているかのような錯覚を覚えながら、アクアは辺りを見回す。タルタニの港は積み荷を船から運び出す者や、足早に市街に向かう者などで賑わっている。航路が結ばれているものの、港の様子はペルキアとは違う。
ペルキアの港に並ぶ倉庫は赤茶色のレンガで建てられているが、タルタニの港ではアイボリー色のレンガが使われておりどこか都会的だ。実際町の規模もタルタニの方が大きく、人の数も多い。
「まずは定期船の乗客名簿を確認ですわね」
そう言いながら、隣に立つアルテミスが荷物の中から手帳を取りだした。そこには魔神召喚事件の調査をするはずだった学者3人の名前と特徴が書かれている。
ユグドラシル自治領からの話では、ザックス=グレイヴらがペルキアに着いた日に自治領を出発したらしいが、その内の一人は一昨日に魔神召喚の媒体となって死亡し、残る2人は行方不明になっている。
「そうだね。どこで被害を受けたかだけでも分かればいいんだけど」
地道に探すしかないね、と眼鏡のずれを直しながら、フェリルが定期船の窓口に向かって歩いていく。気付けばガデスやヴァインはすでに窓口の前で待っている。
アクアは荷物を背負い直すと、足早に歩きだした。
定期船の乗客名簿は、船に乗る際に乗客自身が記名することになっている。アクア達が冒険者協会からの依頼だと告げて身分証を見せると、すぐに名簿を確認させてもらうことができた。
ペルキアでの魔神騒ぎの前日の名簿に、確かに死亡した学者の名前は記名されていた。
しっかりした筆跡が並ぶ中で、ファーレンというその名前だけが、小刻みに震えるワームのような字で記されていたため、見つけるのは容易だった。しかし残る2人の名前は出発日から今日までの名簿にも無く、受付に確認してもファーレンに同行者はいなかったという。
「一人だけ逃げられたんで、船に乗ったとか?」
「自治領には帰らずにか?」
「帰るだけの体力が無かった--だけなら、船にも乗りませんよね」
名簿を前に皆で首を捻る。港で手に入った情報だけでは不足のようだ。
アクア達はひとまず推理を諦め、冒険者協会の支部に向かった。
タルタニの町はペルキアより賑わっているがゆえに、自警団の手が回らない部分もあり、治安の悪い一画もある。その代わり滞在する冒険者の数は多く、冒険者協会はタルタニ支部として独立して運営されている。
「立派だな……」
支部に入ったアクアは思わず呟いた。タルタニには何度か来ていたが、船乗り達に付き合って酒場に行くだけで、支部の中を見るのは初めてだ。
扉を開けると中は広々としたホールになっていた。幾つも並んでいるテーブルを囲んで、冒険者達が報酬の分配や作戦会議などをしている。その人種は人族やエルフ、ドワーフもいれば、犬の耳と尾を持つ半獣人、二足歩行するトカゲのようなリザードマンなどもおり、多様だ。壁の掲示板には大量の依頼書が並び、その隣にはタルタニを中心に近隣の町や遺跡、森などが記された大きい地図が貼られている。受付は奥にあり、女性2人がカウンターの中に座っている。
神官修行時代に他の町の支部に立ち寄ったこともあったアクアだが、ここまで大きい支部は初めてだ。
「自治領は広い割に、首都にしか協会支部が無いからな。あっちの方まで結構広範囲にわたって、タルタニに依頼が集まってんだよ」
ガデスが地図を指差しながら、そう説明する。地図には確かに、ユグドラシル自治領内の集落まで記されている。
「遠い場所の依頼は、行くだけで大変そうだな」
「まぁ、そういうのは移動スピードが速いギルドが受けるだろうな。ケンタウルス族だけのトコとか」
あれは凄かったというガデスの言葉に、アクアは野生馬の集団が土煙を上げて疾走している様子を連想する。確かに迫力がありそうだ。
「同じ世界規模でも、冒険者協会は大きいからうらやましいですわ」
神霊協会は人が少なくて、とアルテミスがため息を吐く。
神霊協会の人材は殆ど神官だけなので、その分数が減るのだろう、とアクアは予想する。神官にしても、アルテミスのように神霊協会で働く者もいれば、フェリルのように冒険者になる者もいるので、なおのこと協会に入る人数は少ないのではないだろうか。
そんな話をしていると、奥の受付からヴァインが戻ってきた。手には紙を持っている。
「ユグドラシル自治領から連絡が来ていました。1人最初の連絡と違う人が行ったそうです」
出発直前に捻挫し、代わりの者が調査に参加したらしい。最初の連絡であった名前は人員変更前のものだったので、訂正してほしいという連絡だった。
「それは、また名簿見直さなきゃね。何て人?」
「ファーレン氏とグロナード氏はそのままですね。コード氏が、エリック氏という人に--」
「ちょ、ちょっと貸せ!」
突然、顔色を変えたガデスがヴァインの手から紙を引ったくった。穴が開くほど紙を見つめている。
「まさか--知り合いですか?」
ガデスは紙をヴァインに返すと、少し考え込んでから答えた。顔が青ざめている。
「--そう、だな。学園の同窓だった」
アクアはその言葉を聞いて、頭から冷水を掛けられたように凍り付いた。
2人の行方不明者について、もう死んでいるのではないかと考えていたからだ。他の仲間も同様だったようで、皆顔が青ざめている。
「……まぁ、なるようにしかならないだろ」
場を取り繕うとしたのか、僅かに震えた声で言うガデスの言葉に、アクアは頷くことができなかった。
(2に続く)