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夢の故郷  作者: 里見
第二章:闇の国
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(3)

 酒場を抜けだしたのは夜も更け、表通りに人影が殆どなくなった時間帯であった。エレツはいくら飲んでも酔いを知らない己の体に少々呆れたような溜め息をつき、隣接する宿とは反対の方向へと足を進めた。少しだけ夜風に当たりたいというのは表向きの口実で、その本音は戻ってじっとしているとまた余計な記憶たちが頭の中を埋め尽くすのを避けるためである。

 酒場では二・三度目の前が鮮紅で覆われた感覚に囚われ、嫌な汗が額に滲んだ。その度に袖口で汗を拭っては酒を呷っていた。店主の前で次々にグラスを空ける姿を晒していたせいで、酒場を出る直前にはそろそろ止めた方がいいのではないかとまで言われる始末である。一切酔ってはいなかったが、仕方なく飲み食いした分の金を置いて酒場を後にした。

「梗」

 しばらく歩いたところで一瞬迷うような素振りを見せるものの、次の瞬間には梗の名を呼び何事もなかったかのように再び夜道を歩き始める。ややあって姿を見せた梗は、変わらず闇に溶け込む衣を身に纏い同色の布で両目を覆っていた。

『主……どれだけ飲んだのだ』

 到着早々咎めるような声が耳朶に滑りこんでくるのを、呼気に紛れ込ませた溜め息を吐いてやり過ごす。

「梗。この国は……闇属性の精霊のお前から見て、精霊属性長として、どうなんだ?」

 突然の質問に、宙に浮いたままぴたりと付いてきていた気配が動きを止めた。エレツが振り返ると梗は音もなく地に足をつけ、人間がするのと同じように地を踏みしめてゆっくりと歩き始める。

 歩き出してなお、梗はなかなか口を開かなかった。


『……好ましくはない』

 梗がそう口にしたのは、彼らが街外れに辿り着いてからのことだった。様々考えを巡らせた結果の言葉であるのだろう。求めていた回答とは異なっていたが、恐らくそれ以上の言葉は得られないのだろうと判断してエレツは深く問いただすことはしなかった。

「そうか……」

 エレツがそう言うと、梗は頭を振る。そうして何かを言いかけ、唐突に口を閉ざして後方を振り返った。

「梗?」

 不自然な挙動に声をかけると、梗の足元が再び地上から離れ宙に浮く。

『精霊だ』

 梗の言葉にエレツはその顔の向いている先を目で追った。しかし、その視界にはそれらしい影は何も映らない。訝ってもう一度梗に視線を向けると、少しばかり傾いだ顔と鉢合わせた。

『呼び出されてやってきたようだ』

 姿は見えずとも、梗の感覚には何かが引っ掛かっているらしい。

「契約者か」

 精霊が呼び出されて人の住む場所に現れるということは、エレツと梗のように契約を交わした者がすぐ近くにいるということに他ならない。エレツは思案するように腕を組んでじっと押し黙った。

 人間は精霊と契約を交わすことで、精霊術を行使することができるようになる。しかし人間がいくら望んだところで、それが一方的なものであれば契約は成立しない。基本的には精霊が契約を望み、人間側がそれを承諾することで契約は成立する。決して精霊の数が少ないわけではないが、人の住む場所へ降りてきて契約を望む精霊が少ないため契約者の絶対数は決して多くはない。栄えている大きな街でさえ、一人いるだけで珍獣扱いされかねないのが現状だった。

「あまり接触したくはないが……」

『分かっているが、様子がおかしい。敵意を感じる』

 組んでいた腕を下ろし、エレツは梗を促して契約者と精霊がいると思われる方へ歩き始める。

「敵意は、こっちに向いているのか?」

 速度を上げる梗に遅れを取らないよう足を速めながらエレツが尋ねると、梗は首を横に振ってそれを否定する。

『こちらではない。――主、あの建物のあたりだ』

 そう言って梗が指差したのは、街の南端に位置する一際背の高い塔のような建物だった。最上階は屋根はあれども壁はなく、遠方を望むための建物である。しかしながら、位置が悪い。広い街で、西端まで歩いてきてしまったことをほんの少しだけ悔やみながらエレツは背の高い塔をじっと見据える。

「遠いな」

 うんざりとした口調で呟きながらも、次第に広い歩幅で走りだした。


*  *  *


 目的の場所へたどり着くと、エレツは振り返って梗に視線を向けた。

「無理はするな」

 傍らで夜気に露出した鼻と口を手で覆う梗の姿を見て思わず声をかけるが、当の本人は無理してでも付いて行くと言うように頭を振った。仕方なくエレツは慎重に歩を進め、建物の影になった場所へと近付いていく。

 あと数歩踏み出せば影に何が潜んでいるか見えるところまで接近したその時だった。

「ねぇ」

 高い女の声が暗がりに、じわりと波紋のように広がった。同時に耳慣れない硬質な音が不規則に夜の静寂を打ち破る。

 剣の柄を握りしめてさらに近付くと、エレツの視界に三つの姿が映り込んだ。

 最初に目に飛び込んできたのはまっすぐ伸びた長い金髪の女。燃えるような赤い髪は梗と同じ精霊らしく、地に足がついていない。そしてその二人の視線の先には、座り込んだまま酷く取り乱した気弱そうな老年の男。不規則な音は男の歯の根の合わないためだったのかと、その様子を見てエレツはようやく思い至った。恐らくは男の足元にできた小さな血溜まりと、左手の指の付け根付近にある傷のせいであろう。

「逃げないでくれます? 手元が狂ってしまいますわ」

 女の手には彼女が持つに丁度いいナイフが握られている。

 最初にエレツたちに気付いたのは赤髪の精霊だった。朱色の双眸を見開き、咄嗟に何かを言わんと唇を動かしたのがエレツの目に留まる。同時に視界の端で煌めくナイフ。

「待て!」

 振り上げられたナイフの軌跡を想像するのは容易い。半ば本能的に言葉が口をついていた。女と男の視線がエレツに向けられる。

「……依頼は撤回された」

 それは己の発した声でありながら、エレツ自身の言葉ではなかった。

 ほんの少し前、赤毛の精霊の唇が動いた時に脳内に直接流れ込んできた声に告げられた言葉だった。

 ――彼女に“依頼は撤回された”と言ってください――

 しばらくの硬直の後、女は振り上げたナイフを静かに下ろして鞘に収めた。

「命拾いしましたわね。まぁ、人間指一本切り落としたところで死にはしませんわ」

 嘲るような声で高らかに笑い、女は黒く重たげなスカートを揺らしてエレツへと向き直る。

「どなたか存じ上げませんけど、もう少し後にしてくださったら良かったのに」

 物憂げな表情を浮かべるも、次の瞬間にはあっさりとかき消した。

「もう少しで指輪を取り返せて報酬ももらえたのに、残念ですわー」

 心底残念そうな顔の女がちらりと男に目を向けると、男は喉を引き攣らせたような短い悲鳴を上げて転がるようにして街の中へと逃げて行った。

「ところで、どちら様かしら?」

 今度は優しげな笑みを浮かべ、可愛らしく首を傾げながら女は頭一つ分以上上背のエレツを見上げる。

「わたくしはニーナ・ヒューベンタール。こっちは火属性の精霊、かやよ」

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