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夢の故郷  作者: 里見
第二章:闇の国
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(5)

 黒く濡れた双眸が闇の中で開かれ、視線が室内を巡る。どれだけの時間が経ったのかは分からなかったが、期待したほど時は流れていないらしい。エレツは短く息を吐いてのそりと身を起こすと、部屋の片隅に打ち捨てられたかのように置かれていた椅子に腰を下ろした。そして逡巡し、卓上に鞘に収まった剣を置きながら口を開く。

「梗、来い」

 端的に呼びかけると暗い室内に溶けこむように梗が姿を現し、緩やかに空気が流れた。それと同時に部屋全体がぼんやりと黒く鈍い光を放つ。

『主』

 そう言って告ぐ言葉を選ぶかのように口を閉ざした梗は、既にいつも通りのようだった。少なくとも、先程怒りで周りが見えなくなりかけていたのとはまるで印象が異なる。

「さっきの件を謝るつもりなら聞かん」

 先手を打ってそう告げると梗の肩が落ち、明らかな落胆の色を滲ませる。

「怒っているわけではないからな」

 そう言い添えると、梗はほんの少し安堵したように胸を撫で下ろした。そしていつものようにエレツの傍らに身を寄せる。膝を付かなかったのはエレツが椅子に座っているからだろう。

「いくつか聞きたいことがある」

 エレツの言葉に梗は一度頷いた。

『我の知る限りで全て答えよう』

 梗の答えを聞き、エレツは剣に視線を向ける。迷うように柄に触れ、ゆっくりと口を開いた。

「問題児と言っていたが、どういうことだ?」

『あのニーナという娘、契約以前から人を殺していた。榧はそれを知りながら契約を交わしたのだ』

 人の死に対して敏感な精霊は、人を殺した人間とは契約を交わすことはない。しかしそれはあくまでも大多数の精霊に該当する一般論である。決して例外がないわけではない。梗とエレツにしてもその例外に該当する。つまり、それだけの理由で問題児とされているのであればさらに疑問が残る。梗は異端と呼ばれはするものの、問題児とは呼ばれていない。なぜ榧だけが問題児などという汚名を背負っているのかが謎になる。

 だが、問題児とされる理由があの主に対する尽くし方についてなら話は変わる。契約主に対しての攻撃を厭わない精霊など、ついぞ聞いたことがない。精霊に関する記録を紐解き、エレツにわかり易い言葉で説明してくれた恩人の話の中にもそういった内容は出てきたことがなかった。

「ああ。同罪というのは、そういう意味か」

 不意に思い出した榧の言葉が腑に落ちる。同じ人殺しの主を持っているということなのだろう。

『違う! 我は……ッ』

 咄嗟に言葉を発した梗だったが、何かを言いかけたところで唐突に言葉を飲み下す。

「俺も同じ人殺しだ。ニーナよりも酷いだろう」

 淡々と告げるエレツの言葉は確かに真実だった。ニーナよりも、そこらに息を潜めている殺人犯よりも、世間的にはエレツ――否、心臓喰らいがより危険人物である。

 一時は世界の六大国が手を組み、第一級の賞金首として手配書が世界中に流されたが、あまりにも危険であることを理由に比較的早い段階で懸賞金も手配書も取り下げられた。それだけのことをしてきたにもかかわらず、エレツに契約を申し出たのが梗である。榧のような問題児ではないにせよ、異端であることは確かだった。

「それよりも、気になることがある」

 エレツはそう言いながら梗を見上げ、小さく首を傾げる。

「お前が怒っていたとき、全身に痛みを感じた。あれは何だ?」

 尋ねると、梗は分からないというように頭を振った。

『あのようなことは、我も見聞きしたことがない。今度、がくに聞いてみるつもりだ』

 唐突に出された名前に、エレツは思わず息を呑んだ。

 鶴。忘れようにも忘れられない名前である。梗の話では数千年もの長い時を生き、どの属性にも属さない精霊の頂点――精霊長。並の精霊が束になってかかったとしても精霊属性長に力及ばないのと同じく、精霊属性長たちが束になったとしても精霊長の足元にも及ばないのだと聞かされたことがあった。

 確かにその通りなのだと知ったのは、聞かされたすぐ後のことだった。精霊長として精霊の頂点に君臨する鶴はたった一度だけ、エレツの前に姿を現したことがあった。それも友好的なものではなく、対峙しているだけで押しつぶされそうなほどの敵意を向けられながらである。精霊でもああいう感情を持つのかと感心すると同時に、己以外の者に恐怖を覚えた初めての出来事でもあった。

「なあ、梗」

 エレツが声をかけると、梗の顔がまっすぐにエレツへと向けられる。相変わらず梗の双眸は隠れているが、視線が交わる手応えがうっすらと感じられた。

「お前は何故、俺と契約をしようと思ったんだ?」

『それ、は……』

 戸惑いが声に滲む。予想と大して違わない反応に、エレツは梗から剣へと視線を移した。

「まだ答えられない、か?」

 いつだったかも同じ問いを投げかけた時に返された答えを示してみると、どうやら図星だったらしい。小さく『はい』と端的に返された。

「なら質問を変える」

 エレツが言うと、梗は顔を上げたらしい。ほんの小さな衣擦れの音が部屋に響く。

「俺はまだ、お前と契約をしていていいのか?」

『今の主は人殺しなどではない』

 凛とした声がエレツの耳朶に流れ込む。

『あの者との約束がなかったとしても、主は二度と己の欲のために人を殺しはしないだろう』

 梗の口元が緩やかな笑みの形に変わる。

『我は主と共に在りたい。見届けたいのだ。主の命が尽きるまで』

 真っ直ぐな言葉を聞き、エレツはその顔に苦笑を浮かべて緩やかに相槌を打った。

「熱烈だな」

『主に初めてそう言った時は、そのような冷やかしはなかったがな』

 梗の言葉にふと当時を振り返りながら、エレツはくつりと喉を鳴らす。唇は微かな笑みの形に歪み、在りし日の己の姿を思い浮かべているのだと容易に分かる様相だった。

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