夢幻
「そうか・・・・」
男は小姓の報告を聞き低くつぶやいた。
「桔梗の紋か・・・・」
「殿!」
「禿の事だ・・・手落ちはあるまい」
男は立ち上がった。
「是非もなし・・・」
そうつぶやくと男は枕元にあった弓をとった。
寺の本堂の前には広い庭が広がっている。
その隅のほうからひたひたと進入してくる影が見える。
男は弓に矢をつがえ満月のように引き絞った。
ギリギリギリ・・・・
弓がしなり乾いた音を立てる。
『お主本当に毛がないのう・・・!』
『は・・・これは・・・!恐れ入りまする・・・』
禿げ上がった額に汗をかきながら一礼し苦笑したあの男・・・
『京での施策についてはお任せください・・・』
自信に満ちた笑顔を見せ一礼したあの男・・・
<・・・どこで狂ったものか・・・>
男は自嘲し矢を放った。
鋭い音を立て宙を走った矢は狙いあやまたず、進入してきた武者の喉笛を貫いた。
『饗応役の任をそれがしから解くと・・・・』
目を見開き絶句したあの男・・・
『応援・・・・でございますか・・・』
そうつぶやいたあの男の目・・・・
今思えば異様な光に満ちていた・・・
<・・・そうか・・・>
男は立て続けに矢を放った。
次々と矢は宙を走り、侵入者たちを貫いた。
<・・・伝わらぬものだ・・・>
ただ萎縮しがちだったあの男に、もう一度活躍の場を与えようとした・・・
ゆくゆく統一されたこの国の入り口となるあの場所の名を冠し、『日向守』の名を名乗らせた・・・
あのかみそりのように切れる明晰な頭脳を気に入っていた・・・
ビィイン!
鋭い音を立て弓の弦が切れた。
男は舌打ちして足元にあった大薙刀を手に取った。
「たわけが・・・」
誰に言うとなくつぶやくと男は、乱入してきた軍兵たちを迎え撃った・・・
空が白み始めた・・・
もう何人の敵を討ったか・・・覚えてもいない。
「頃合か・・・・」
男は無造作に敵兵の身体を貫いた刀を引き抜くと、寺の本堂に入った。
小姓たちが必死にその入り口を固め中に敵を入れまいとしている。
男は無造作に燭台の火をあたりにつけて回った。
あっという間にあたりは火に包まれ始めた。
男はその中央に座り目を閉じた。
『報いを受ける時が来たのだ・・・』
低い声がして男は目を開いた。
目の前に血まみれの僧兵が立っている。
全身が腐りきったその死体は穴の開いた眼窩で男を見つめている。
『貴様が今まで手にかけてきた命の報いじゃ・・・地獄へ行くときが来たのだ・・・』
「ふん・・・・」
男は小さく鼻を鳴らした。
「たわけが・・・我が正義は貴様らなどに理解されようとも思わぬ・・・この国に蔓延していた貴様らのような古き悪しき遺物を取り除くことこそが我が使命・・・」
『・・・・・』
「去れ・・・焦らずとも我が魂はこれから貴様らの待つ地獄へ行くわ・・・」
男が鋭い眼光を向けると亡霊は消え去った。
<・・・誰が俺の遣り残したことをやり遂げるのだろうか・・・>
男は短刀の鞘を払いながら考えた・・・
<・・・やはりあの男か・・・>
『竹千代!!お前と俺は盟友となるのだ・・・!』
『はいっ!』
小さな肩をぐっと張り元気に頷いた少年の姿を思い浮かべ男はくつくつと笑った。
<・・・まぁよいわ・・・あやつであれば・・・>
男は短刀を自らの腹に向けた。
『殿!!殿は何を考えておいでですか!?』
『私はマムシの娘・・・殿の首をかきに参った女子・・・』
勝気な・・・そして知性に満ちた瞳が脳裏をよぎり男は手を止めた。
『勝手に遊ばせ?私は岐阜に残りまする・・・』
そう言い放ち内掛けをさっとひるがえし、奥にさっさと入ってしまったあの女・・・
しかしその瞳は寂しさに満ちていた・・・
<・・・面倒な女子であった・・・>
勝気で負けを認めたがらず・・・男であったならば恐らくは自分の無二の側近となったであろうその才気・・・
だが子供ができなかった・・・
この乱世で跡取りがいないということ自体が無用な争いにつながる・・・
居並ぶ側室たちを前にもあの女は、嫉妬や悲しみのような感情を一切出すことはなかった。
だがその瞳には、初めて会ったときには微塵もなかった陰がいつしか宿っていた。
<・・・あの女子は涙を見せるであろうか・・・我が死を知った時・・・>
「いや・・・・」
男は考えてすぐに苦笑した。
あの女は冷静に敵の来襲に備え、安土にでも移るだろう・・・
「すまなかったな・・・」
決して本人の前では口にしなかった言葉を男はぽつりと呟いた・・・
「人間五十年・・・・」
男は短刀を持ち直し力をこめて自らの腹部に突き立てた。
「下天のうちをくらぶれば・・・・」
男は大きく息を吐き出し一気に短刀を横に走らせた。
薄れ行く意識の中・・・・
自らを守るかのように炎の勢いが強くなり・・・・
男は血まみれの口元をゆがめてつぶやいた・・・
「夢幻のごとくなり・・・・」