第25話 吊り橋効果のパラドックス
「魔王軍・特別顧問」への招待状を受け取った僕たちは、王都を出て「魔大陸」へと向かっていた。
道中にあるのは、切り立った崖と、底が見えない深い谷。
そこにかかるのは、朽ちかけた古い吊り橋一本だけ。
「うわぁ……。板が腐ってる。風で揺れてる。最高だ」
僕は、ギシギシと悲鳴を上げる吊り橋の上で、深呼吸をした。
谷底から吹き上げる冷たい風が、死の予感を運んでくる。
『ピコン』
> [ 恐怖値を検知:高所、および転落の危険 ]
> [ バッテリー急速充電……98%……100% ]
「シルフィさん、見てください! この頼りないロープ!
命綱なしのバンジージャンプ会場みたいですよ!」
「はしゃぐなボケ! 落ちたら死ぬんやぞ!」
後ろを歩くシルフィは、顔を青くしてロープにしがみついている。
彼女は高いところが苦手らしい。その怯えた顔もまた、僕にとっては極上のスパイスだ。
その時だった。
「キシャアアアアア!!」
上空から、甲高い鳴き声が降ってきた。
翼長5メートルはある怪鳥――グリフォンだ。
魔大陸に近づくにつれ、魔物のランクが跳ね上がっている。
「ッ! カデン、伏せろ!!」
シルフィが叫ぶ。
だが、僕の反応は遅れた。
吊り橋の上で足場が悪く、さらに「恐怖(充電)」に酔いしれていたせいで、回避行動が遅れたのだ。
鋭い鉤爪が、僕の首を狙って迫る。
(あ、死ぬ)
そう思った瞬間。
ドガッ!!
横から飛び込んできた影が、僕を突き飛ばした。
シルフィだ。
「ぐぅッ……!!」
鈍い音。
そして、鮮血が舞った。
「シルフィ!?」
彼女の左肩から背中にかけて、グリフォンの爪が深く食い込んでいた。
赤い血が、腐った木の板に滴り落ちる。
「チッ……! 邪魔や!!」
シルフィは痛みに顔を歪めながらも、右手の短剣を投擲した。
剣はグリフォンの目に深々と突き刺さる。
怪鳥は悲鳴を上げ、バランスを崩して谷底へと落ちていった。
静寂が戻る。
残ったのは、風の音と、荒い息遣いだけ。
「……はぁ、はぁ……。アホかお前は……」
シルフィがその場に崩れ落ちる。
「シルフィさん!!」
僕は慌てて駆け寄った。
ひどい傷だ。服が裂け、白い肌が赤く染まっている。
僕を庇ったせいで。僕なんかのために。
「なんで……! 僕なんか放っておけばよかったのに!」
「うるさいわ……。せっかく拾った『サンドバッグ(お前)』が壊れたら……ウチが困るやろ……」
彼女は強がって笑おうとしたが、その顔は紙のように白かった。
震える手で、傷口を押さえている。
「……っ、うぅ……」
いつもなら「かすり傷や!」と怒鳴るところだ。
だが、出血が多すぎる。
彼女の強気な瞳が、潤んで揺れている。
「……痛い……」
小さな、消え入りそうな声。
「……怖い……」
その言葉を聞いた瞬間。
僕の心臓が、今までとは全く違うリズムで「ドクン」と鳴った。
恐怖ではない。
焦りでもない。
胸の奥が締め付けられるような、切なくて、苦しくて、守ってあげたくてたまらない衝動。
『ピコン……』
> [ 警告:対象への『庇護欲』および『憐憫』を検知 ]
> [ 分類:愛情(LOVE)カテゴリー ]
> [ バッテリー残量:95%……80%……70%(急速低下) ]
(な、なんだこれ!?)
バッテリーが減っていく。
死の恐怖で満タンだったはずのエネルギーが、彼女の「弱った姿」を見ただけで、底の抜けたバケツのように流出していく。
「……カデン……」
シルフィが、血に濡れた手で僕の袖を掴む。
いつもの力強さはない。
縋るような、か弱い乙女の握力。
「……寒い……」
「ヒィッ!! やめて! そんな可愛い声を出さないで!」
僕は悲鳴を上げた。
怖い。
グリフォンより、魔王より、今のこの「弱り切ったシルフィ」が何よりも怖い。
彼女が弱れば弱るほど、僕の胸は「可哀想だ」「助けなきゃ」という善意で満たされてしまう。
それは僕にとって、致死性の猛毒なのだ。
「しっかりしてください! 罵倒は!? いつもの蹴りはどうしたんですか!?」
「……無理……力、入らへん……」
彼女が、コテンと僕の胸に頭を預けてくる。
温かい。柔らかい。
そして、血の匂いと混じった、彼女の髪の甘い香り。
(続く)




