第1話 5秒の空白、あるいは絶頂へのログイン
【短編版『深夜のスマホ閲覧にご注意ください。』をお読みの方へ】
本作は短編版の設定を元にした「連載版(全36話 完結まで執筆済み/毎日更新)」です。 第1話〜第5話はプロローグ(短編と同内容)ですが、物語が分岐しループが始まる『第6話』から完全新規ルートとなります。 ここからが本当の地獄(天国?)です。ぜひ最初からお楽しみください。
指の動きに合わせて。
画面の下端から「次の話へ」という文字が、青白い光を放ちながら静かにせり上がってくる。
掌の皮をじりじりと炙る、バッテリーの不快な熱。
リチウム電池が発する、目に見えない磁気の重みが、手首の腱に鈍い痛みを刻み込んでいる。
親指の腹は、自分自身の脂と汗で液晶にぬちゃりと張り付き。
スクロールするたびにガラスと皮膚が擦れる、かすかな粘着音が鼓膜にこびりつく。
耳の奥では。
心臓が肋骨の内側を、ぬめった湿り気を伴って叩きつける音が響いている。
ドクッ、ドクッ、という重い拍動が指先にまで侵食し。
握りしめた端末を、そして画面の中の文字を、脈打つように上下に揺らす。
胃の底で、グジュリと何かが蠢く音がした。
空腹の鳴動ではない。
湿った生肉が捩じ切れるような、あるいは内臓の隙間を細い指が這い回るような。
不快な――「声」――に近い響き。
喉の奥は、熱を帯びた空気に焼かれてひび割れ。
舌の先には、古い鉄錆を舐めた時のような、強烈な金属の苦い味がこびりついて離れない。
鏡のようになった黒い硝子の奥。
文字のない真っ黒な余白に、背後の景色がぼんやりと映り込んでいる。
寝る前に。
確かに「カチッ」と音がするまで押し込んで閉めたはずの、あの白いドア。
……開いている。
垂直に伸びる黒い筋が。
親指の幅ほど、さっきよりも濃く、深く、口を開けている。
右側の空気が「剥がれた」。
エアコンの乾燥した人工的な風じゃない。
何十年も地下に溜まって、腐敗した泥を掘り返したような。
ひどく湿った、カビ臭い冷気が。
音もなく足首をじっとりと撫でていく。
その隙間に。
――誰かがいる。
剥き出しの眼球が放つ、粘りつくような視線。
僕の無防備な項を、ゆっくりと、ゆっくりと舐めまわしている。
耳元で、自分のものではない。
細く短い呼吸音が、僕の心音のリズムに合わせて重なり始める。
もう、限界だった。
僕は、弾かれたように後ろを振り向いた。
……。
ただ、床の上で、スマートフォンだけが虚しく光を放っている。
画面は、誰もいない天井に向かって、青白い光を投げ続けている。
光が、一段階、落ちる。
液晶が完全に闇に沈み、ただの黒い鏡に戻るまで、あと数秒。
……。
真っ暗になった、スマホの画面。
喉の奥にこびりついていた鉄の味が、さらに生々しく、熱い「血」の味へと変わっていく。
……その瞬間。
ピコンッ!
耳の奥で、脳髄を直接揺さぶるような、どこかで聞いたことのある軽快な電子音が鳴り響いた!
視界を覆っていた闇が、暴力的なまでの黄金色の光に弾け飛ぶ!
鼻腔を刺していたあの不快な腐敗臭は、一瞬で。
――「炭火で炙られる極厚ステーキ」の、狂おしい芳香――へと塗り替えられた!
樫の炭がパチパチとはぜる煙に、重厚な牛脂の甘い香り。
脳の空腹中枢を直接殴りつけるような、暴力的なまでの「肉」の匂いだ。
ジュワリとあふれ出した唾液が、さっきまでの鉄の味を洗い流していく。
口の中には、カリカリに焼き上げられた表面の塩気。
溢れ出す熱い肉汁の味が広がる!
「最高にアガるフルオーケストラのBGM」が鳴り響いた。
天を突くトランペットの咆哮。
地を這う重低音が、横隔膜を内側から突き上げる。
一音一音が大気の震えとなって、皮膚を、筋肉を、骨の髄までを。
ビリビリと共鳴させる!
掌に感じていた不快な熱は、今や。
複雑な金細工が指の節々に吸い付く――「伝説の聖剣」――の、重厚な質量へと変貌した!
[ ログイン完了! ]
[ ボーナス:現実世界での『恐怖値』を『攻撃力』に変換しました ]
[ 現在のステータス:――カンスト(測定不能)―― ]
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
僕は、大気を震わせるほどの野太い咆嘘を上げた。
見れば、さっきまで僕を震え上がらせていた「隙間の影」が。
今やただのLv.1の雑魚スライムのように足元でプルプル震えている。
「あばよ、湿気たドアの隙間! さよなら、通信制限! これからは俺の時代だあああああ!!!」
僕は、巨大なドラゴンの鼻面を思いっきりぶっ叩いた。
拳が硬い鱗を粉砕する「ゴリッ」という最高の感触。
「異世界ひゃっは――――――――ー!! チート能力最高おおおおおおお!!!」
空には月が二つ。
美女エルフの柔らかそうな肌の感触も、極上のエールが喉を駆け抜ける刺激も。
たぶんすぐそこにある!
不快な汗で液晶を汚し、背後の闇に怯えるだけの「あっち側」には、もう二度と戻らない。
思わず叫ばずにはいられなかった。
「おーい! そっちの世界で、一生ビビりながらスマホ弄ってるお前らも、せいぜい頑張れよな――――!!!」
脳内に鳴り響くBGMは、サビに向かって最高潮の盛り上がりを見せる。
僕は聖剣を頭上でブオンブオンとぶん回し。
地響きを立てながら、見渡す限りの大草原を全速力で駆け出した!
(続く)




