表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ブックシェルフ

いたら何か記録残ってるって。

黒人奴隷と日本の関わりについてのメモ



結論から言うと日本に黒人奴隷が広く大っぴらに使われていた時期はない。あったらもっと黒人に対する差別意識が日本人に根付いていただろう。現代の日本人に黒人差別意識がほとんどないのは、単にこれまでの積み重ねとして黒人との関わりが薄いということが大きい。厳密に言うと、黒人が差別を受けること自体はあるが、それは黒人に限ったことではなく、日本を荒らすマナーの悪い外国人全般に対する薄っすらとした嫌厭感情によるものである。つまり、大体開国後に訪日した外国人の振舞いの問題である。

植民地でやらかしたという話ならともかく、日本国内で黒人奴隷を使っていたと主張する人間がいるとすれば、その人間は世界史と地理の知識が不足しているのだろう。日本で黒人奴隷が流行らなかった理由は主に3つある。①黒人の住む地域から日本まですごく遠い②文化も言語も違うのですぐには使い物にならない③そもそも国内の人間では足りないほどの人材不足になっていない。要するに、国内の人間を雇うより黒人奴隷を使う方が手間も金も滅茶苦茶かかってコスパ最悪な割に、それで国民を使うよりメリットがある訳ではないからである。日本人は何事も質の高いものを求める傾向がある。仕事を任せるなら当然、詳細に意思疎通のできる相手の方が良いというのは一般的な意見だ。

日本では古来から外国人技術者や知識人を手厚く迎え入れて外国の文化を取り入れてきた歴史がある。ただしどうあがいても島国である以上、他国から訪れるためには船旅が必要になる。密出入国はかなり困難で、難破船から漂流して辿り着いた人物の記録もある。まあ経歴不明の人物自体はあるのだが…。可能な限り陸路を使うなら中国経由になるし、アフリカから海路のみで辿り着こうと思えば最低でも大航海時代の技術がないと難しいだろう。それも辿り着くだけなら、という話で、その移動日数は年単位でかかってもなんら不思議はない。イギリスの奴隷船のような劣悪な状態で奴隷を運ぼうとすれば恐らく半数以上が死ぬだろう。全滅してもおかしくない。商人がアフリカから奴隷を連れてきて日本で売ろうとした場合、相当高額にしなければ赤字になる。だから日本は奴隷商人の取引相手にはならなかったのである。

ただし、大航海時代および日本における戦国時代の頃、白人にとって日本人のような黄色人種は"色の薄い黒人"であったため、女子供などが奴隷として連れていかれたことは実に数千人規模であったそうである。こちらは記録に残っている事実であり、秀吉がキリスト教を禁じ徳川が鎖国をした理由の内の一つである。何なら黒人に日本人奴隷が買われた記録すらあるらしい。

そもそも当時の白人の肌の色で白黒分けようという姿勢が無茶苦茶ではあるのだが。個人的には肌の色で人種分けするなら、ピンク、黄、茶、黒の四段階くらいには最低でも分けるべきだと思う。白?白人(自称)の肌はピンク色だろ。アニメキャラの肌の色が偏っている説にも言えることだが、日本人の感覚での白い肌は白人の肌ではなく日に焼けていない黄色人種と白粉を塗った肌の色のことである。現実の白人の素の肌色は赤すぎる。これはペリーが風刺画的な浮世絵の中で赤ら顔の天狗として描かれたことからも明らかだ。

人種として定着するほどではないが海路なり漂着なりで日本に辿り着いた黒い肌の人間自体は戦国時代より前にもいた可能性自体はある。ただ、それ以前に訪れたのは精々インド由来の人間くらいだろう。文化的には仏教が伝わったのが飛鳥時代頃なので中国経由して日本にやってきた人間がいた可能性はある。それより西から日本に辿り着ける確かなルートがあったら日本の"発見"はもっと早い時代に行われていたことだろう。

ちなみに根拠なく黒人説が流布されているらしい坂上田村麻呂は日本人、外国人だとしても中国系か朝鮮系であると考えるのが順当である。勇猛な侍に黒人の血が少し必要だという有名な諺とやらは葉隠という江戸時代の書物に出てくる"黒い血(乾いた血/冷静さの比喩)"を黒人の血と誤訳したものらしい。まあそちらもマイナーなのでどちらにせよ有名な諺ではないのだが。何にせよ、どのような身分であれ黒人が日本国内に定着したのは開国後の話である。

信用度70%くらいの傍証としては、純日本人と言われる人々のDNAに黒人由来とされる遺伝的な特徴が一切含まれていないという研究結果が出ていることが上げられる。これはちゃんとした論文も出ているそうである。

また、ごく単純な話として、国内の記録及び芸術品のモチーフとして現実の人間、国内に共に住んでいる人間としての黒人がほとんど見られないのである。日本人には黒人を忌避したり記録から抹消したりする理由がないので、ないというのは見なかったという事である。古くから日々の些細なことさえ伝えてきている和歌や俳句などにも黒人を描いていると見られる句は、少なくとも有名なものはない。多分あったら黒人いた説を唱える人も金科玉条のごとく示しているだろうから多分ない。浮世絵にもあんまり出てこない(黒い肌の人間自体は当時すでに認知されているのでキャラクターとして描かれることはある)。妖怪も黒人っぽいのは見当たらない。しいて言えば黒坊主という黒いお坊さんの姿の妖怪がいるようだが、これは姿がよく見えないともいうので多分違う。あと泥で真っ黒に汚れている泥田坊なんてのもいるが、泥汚れなんで多分違う。まあ何かマイナーなのを探せばいるかもしれない。河童の皿が宣教師の帽子説もあるくらいなので。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
民間伝承で「鬼」として伝わる程度には漂着者がいたかもですね 赤鬼=白色人種、青(黒)鬼=黒色人種 海流的には黒色人種はマレーシア辺りの方が多かったかもしれません
まー記録魔の日本人が記録に残して無いってことはそういうことなんでしょうなぁ…… エイの春画を描くようなのが黒人の春画を描かないわけが無いですしね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ