2話 見知らぬ男再び
「うーーっん! よく寝たー」
奈美子は思いっきり伸びをしながら目を覚ました。部屋の中は薄暗く、どうやら夕方のようだ。
部屋の電気を点けるため、ソファーから足を下ろすと、グニャリと何か踏みつけてしまった。
「わぁ!?」
ビックリして足下を見ると、汚いスウェット姿の男が床に寝転がっていた。その瞬間、奈美子はやっとこれまでの事を思い出した。
「そうだった、この人に居座られたんだった。はぁ……」
思い出したらまた頭が痛くなってきた奈美子だが、ふと体に掛かっているブランケットに気がつく。
「こんなの掛けてたっけ……?」
まあいいや、と気に止めず、ふと下を見ると、陽介はすやすやと床に丸まって、時折コリコリと歯軋りをしている。
奈美子はそーっと男を踏まないように避けながら、電気を点けにいく。パッと部屋が明るくなり、陽介は眩しそうに目を擦りながら、むっくり起きて奈美子に笑いかける。
「ほぁ~あ、……おはようございます」
「……おはようございます」
奈美子は爆発した髪を、サッと直しながら言った。
「……寝癖、結構すごいですねぇ」
陽介はボケーっと奈美子の方を見ながら、豪快な寝癖を観察する。
「ほっといて! あなただって、ヨダレ垂れてるじゃないですか!」
「わ、すみません! 惚れ惚れするような寝癖でつい」
陽介は謝りながらも、クスクス笑っている。奈美子はムスっとしながら陽介を睨み付けた。その時視界に入ったスウェットが、あまりに汚すぎて、奈美子は一歩後ずさる。
「…それにしても、服、汚すぎますね。その服で、家の中にいられるのは嫌だし、着替えも無いし、買いに行かないとですね……」
「それ、お願いしようと思っていたんです。シャワーの後に汚れたパンツを穿くのは、なかなか勇気が要りましたから。あ、もちろん着れれば何でも構いません!」
「うっ!!」
奈美子は想像してしまい、何かが込み上げてきそうになるのをグッと堪えた。
「わ、わかりましたよ。はぁ、ちょうど買い物もしなきゃだし、ついでに買いに行きましょう。暗いから、多少汚くても目立たないでしょ」
「奈美子さん! ありがとうございます! ちょっと酷いけど……。荷物一杯持ちますから」
陽介はヒョロっとした腕で、一生懸命に力こぶを作ろうと、ふんふん頑張っている。
「あの、頑張ってるとこ申し訳ないですが、さっきまで行き倒れていた人より、私の方が力ありますから」
奈美子の冷やりとした一言に、陽介はシュンと肩を落とし、ホロリと涙した。
奈美子は寝癖を誤魔化すために帽子を被り、陽介と共に、徒歩10分程の距離にある、安めの衣料品店に立ち寄った。幸いこの時間、客はあまり入っておらず、目立つことは無さそうだ。
「これなんてどうですか?」
奈美子は、何ともわからない微妙なキャラクターが胸元に大きくプリントされたパーカーを、陽介に当てがった。
「あのー、本気ですか? 何でもいいとは言いましたけど……」
「え? ダメでしたか? じゃあ、これは……」
そう言いつつ、奈美子はさっきのパーカーの色違いを手に取る。
「あ、あー、俺、これが良いですー」
本当に興味が無さそうな奈美子に、自分で選んだ方が早いと、陽介は適当にグレーのスウェットを選んだ。
一通り必要なものを購入し、陽介は試着室で着替えを済ませる。
「はぁー、キレイな服って気持ちが良いですね! パンツもガビガビしてないしー」
「はぁ、試着室でパンツまで着替える人っているんですかね。あ、ちゃんと汚れた服、持ってきましたか? 忘れたらお店の人に失礼ですよ」
「はい! この通り!」
陽介は紙袋をガサッと掲げてにっこり笑った。ふわっとまた鼻を突く臭いが漂ってきて、奈美子は渋い表情でフイっと顔を背けた。
「あ、そこのスーパーに寄っていいですか? 食材を買いたいので」
「もちろんです。あ、俺料理は得意なんですよ。助けてくれたお礼に何かご馳走させてください!」
「へぇ、それはちょっとありがたいです。私、自炊が苦手で」
「お役に立てることがあって嬉しいです! 節約料理で磨いた腕前を披露しましょう!」
陽介はドンと胸を叩き、意気込んでいる。
「ふぅ、少し買いすぎましたね。あなたも、荷物持ちありがとうございました」
「いえっ、ゼェ……、これくらいなんとも……、ゼェ……!!」
相当重かったようで、陽介は四つん這いになり息切れしている。豚骨ラーメンを食べたとはいえ、しばらく何も食べていない体に、荷物持ちは堪えたのであろう。
「病み上がりですし、無理しなくていいんですよ? そう言えば、川崎さんはビール、お好きですか?」
「ビール!? 大好物ですよ! あー、しばらく飲めてないなー……」
「じゃ、一杯どうですか? 私も今日はまだ飲んでなかったし、付き合ってくれると飲みやすいですし」
にっこり微笑む奈美子を、まるで女神様のように感じ、陽介はキラキラした瞳で拝んだ。
「いいんですか!? 本当になんてお礼をすれば……!!」
「まぁ、ついでですよ……。お礼は後でまとめて貰いますからね」
「はい!!」
ニカっと気持ちのいい笑顔で、陽介は微笑む。
買ってきた食材をキッチンに並べ、陽介は手際よく料理をし始めた。誰かに料理をして貰うのは、実家に居た時以来だ。しばらく実家に帰っていない奈美子は、母の料理姿を思いだし、懐かしい気持ちになった。
「あの、ゆっくりしてて貰っていいですよ。その、そんなにじっくり観察されると、恥ずかしいので……」
あんまり手際よく料理をする陽介を、いつの間にかじろじろと見てしまっていたようで、奈美子は慌てて謝り、目を逸らした。
奈美子はソファーに座り、スマホを触りながら料理を待つことにする。しばらくすると、ふわっと食欲をそそる香りが漂いだし、奈美子の期待は高まった。それから2、30分ほどが経ち、陽介はテーブルにズラリと料理を並べていく。特別豪華な料理ではないが、家庭的で懐かしく感じる様なものだった。
「あまり凝ったものじゃないですけど、美味しいと思いますよ」
「十分ですよ! 本当に上手なんですねー。……あ、そうだ! 乾杯しましょう!」
奈美子は慌てて立ち上がると、嬉しそうに冷蔵庫からビールを2つ取って戻ってきた。その姿は、まるで投げたボールを取ってくる犬のようで、陽介は顔を背けて、バレないように口を腕で押さえて笑った。
「お疲れ様です!」
缶ビールを突き合わせ、二人は一気にビールを飲み干した。
「ぷはぁー! ……最高に染み渡ります!! ……こんなにうまいビール、初めてです! ……うぅ、グスっ……」
見ず知らずの自分を助けてくれた、奈美子の優しさと、久しぶりのビールの美味しさに感動して、陽介はまたもや泣き始めた。
「ぷはぁ、まったく、また泣いてるんですか!! 男の子なら、シャキッとしなさい!!」
「ふぁいっ、でも俺、嬉くってー。うぅ……」
「こんなに、モグッ、美味しい料理、作れるんだから、モグッ、泣くことなんて、ないんです!!」
「美味しいですか!? 喜んで貰えて嬉しいです! これからも、毎日作ります!!」
泣きながらピシっと敬礼をする陽介に、奈美子は「うむ!」と、何故か偉そうに答えた。二人とも明らかに酔っぱらっているが、ツッコミを入れる者は、誰一人この場に存在しない。
宴会は夜更けまで続き、テーブルの上に大量の空き缶を並べて、二人は片付けもせずにそのまま眠ってしまった。
カチャカチャ……
洗い物をする音と、ベランダから差し込む光が眩しく、奈美子は目を覚ました。二日酔いのせいか、頭にズキッとした痛みを感じつつ、ヨタヨタと音のする方へ歩くと、見知らぬ風貌の男がいた。
「あ、起きましたね。おはようございます!」
モサッとした前髪をピンで止め、スッキリとした顔の男は、爽やかに奈美子に挨拶をする。
「……んー?? あなた、川崎さんですか?」
「ひどい!もう忘れちゃったんですか!? あんなに語り合ったのに!」
その情けない声は確実に陽介のもので、昨日の姿とは別人の様な変貌ぶりに、奈美子は驚いた。
何しろ昨日の陽介は、伸び放題の髭に、前髪で目元は隠れ、顔などほとんど見ることが出来なかったのだ。
しかし今は、髭もキレイさっぱりなくなり、見えなかった目元も、はっきりと見えている。それに世間的にイケメンと言われても、遜色がないように思えた。
その変わり様に、奈美子は興味津々で、ジロジロと顔を覗き込む。奈美子のぱっちりとした瞳が近づき、陽介は恥ずかしくなってしまい、耳まで真っ赤になった。
「ちょ、ちょっと、近いですってば!」
確かにイケメンではあるが、昨日と変わらない情けない表情に、奈美子は少しホッとした。
「あっはは! やっぱり、川崎さんですね!」
あどけなく笑う奈美子を見て、陽介は心臓をきゅっと掴まれたような感覚になる。そのあどけなく裏表のない笑顔から、しばらく目を離せずにいるのだった。