10話 大事な人
差し込んでくる朝日が眩しくて、陽介は布団を頭から被る。
「こら、いつまで寝てんの? 朝飯、食うだろ?」
田村に体を蹴られ、陽介は暗い顔で、のそっと布団から出てきた。
テーブルに座り、陽介は出されたトーストを少しかじる。モソモソと活気無く食べる様子に、田村は呆れつつ声をかけた。
「もう、元気出しなよ。いつまでもウジウジしててもしょうがないよ?」
「……すみません、頭では、わかってるんですけど」
「ところで陽介くん、これからどうするの? 奈美子さんだっけ、そこには帰らないつもり?」
陽介は俯き、何も答えられなかった。拒絶された奈美子に、何と謝ればいいのか、自分の気持ちをどう言えばいいのか、わからなかった。
「はぁ、しゃーないなー。問題が片付くまで、ここに居ていいよ。どうせ、まとまったお金もないんでしょ?」
「そんなの、田村さんに迷惑ばかりかけられない……」
誰かの世話にばかりなっている自分が情けなく、陽介は田村の提案を断ろうとする。
「あのねぇ、そんなこと言って、仕事でミスしたら取り返しつかないんだよ? ここで暮らす代わりに、仕事ではきっちり働いてもらうからね」
「……本当に、すみません」
田村の言う通り、せっかく働きだせた就職先で、迷惑をかけられないと思い、陽介は深々と頭を下げた。
「よろしい! しっかり励みたまえ」
「……先輩って、本当に優しいですね」
「あたりまえでしょー」
田村の軽いノリで、陽介は少しだけ心が軽くなり、ふっと微笑んだ。
「落ち着いたら、必要なもの買ってきなよ。気晴らしにもなるでしょ?」
田村に言われ、陽介はフラフラと外に出掛ける。12月も終わりが近づき、身を刺すような冷たく乾いた風が吹いていた。コンビニから出てきた陽介は、ポケットに手を突っ込み、体を丸めながらぎゅっと目をつむる。
「さぶっ」
「奈美子さん、風邪引いてないかな……」
ぼんやりと奈美子の事を考えると、胸の奥が苦しくなり、陽介は鼻の頭を真っ赤にしながら、田村のアパートに帰っていった。
「黒沼さん! 山本さんの服薬指示、変更あるっていったでしょ?」
「す、すみません! 忘れてしまって、すぐに報告してきます……」
普段はしないようなミスをする奈美子を、歩実は心配そうに見守っていた。
「ちょっと、大丈夫?」
歩実は先輩の隙を見て、奈美子の顔を覗くと、まぶたは腫れて、目の下にはくっきりと隈が出来ていた。
「うわ! なにその顔!」
驚いて声を上げると、先輩に睨まれてしまい、歩実はサッと仕事に戻った。
休憩中、奈美子の様子が心配で、歩実は一緒に昼食をとる。
「ねぇ、何かあったの?」
奈美子は問いかけに答えずに、暗い顔で菓子パンを食べている。
「もしかして、川崎さんと何かあったの?」
「……いなくなっちゃった」
動きを止めて、奈美子は小さい声でボソッと呟く。
「……え?」
「私が、酷いこと言ったから、出てっちゃった……」
顔をくしゃくしゃにして、泣き出しそうな奈美子に、歩実は慌てて声をかける。
「ちょ、ちょっと、ストップね! なんか、今話を聞いてたら大変そうだから、仕事終わりまで頑張れる?」
「……うん」
何とか涙を押し込める奈美子を見て、歩実はほっとするも、困った表情をしていた。
仕事終わりに、コンビニで酒やご飯を買い込んで、奈美子は歩実とアパートに帰宅する。部屋の中は、前に来た時よりも散らかっていて、歩実は思わず、部屋の中を見回した。
「わぁ、なんか荒れ果ててない?」
歩実はその辺に遠慮無く座り、買ってきたビールやらおかずをテーブルに並べ出す。
「さ、どうゆう訳か、聞きましょうか」
「……えっと」
奈美子はポツポツと、これまでの出来事を、歩実に説明した。
「うん。あんたが悪いじゃん」
「そう、だよね……」
歩実がストレートな感想を述べると、奈美子はまた泣き出しそうになる。
「あーあー、もう泣かないの!」
「健くんの事、私は付き合い長いから知ってるけど、その事で、何も知らない川崎さんに当たっても仕方ないじゃん」
「……うん。なんでかな、我慢できなくて……」
奈美子は両手をぎゅっと握り、辛い表情をしていた。
「……奈美子、あんたが弟さんの事で負い目を感じることなんて無いんだよ。もう、いいんだよ。あんたは一生懸命看護師として働いてるんだから」
「でも、私がいいお姉ちゃんじゃなかったから……」
「奈美子も子供だったんだから、誰も悪くないんだよ……」
歩実の言葉に、少しだけ救われた気がして、奈美子はボロボロと泣き始めた。そんな奈美子の肩を、歩実はポンポンと励ますように叩く。
「でも、あんたがそんなに感情的になるなんて、珍しいね。……それだけ、川崎さんに、心開いてたんじゃないの?」
「わからない……でも、すごく謝りたい。また、会いたいって思う……」
「それだけわかってれば、後は行動に移すだけじゃない?」
奈美子は涙を拭って、スマホの画面を見つめる。
「落ち着いたら、連絡してみたら? 自分の気持ちに素直になりなよね」
歩実はバシッと奈美子の背中を叩いた。テーブルの上にはいつの間にか、ビールの空き缶が並んでいて、ふとそれが可笑しくなり、奈美子はクスッと笑った。
「いつのまに、こんな飲んだの?」
「てへぺろ!」
「ふ、かわいくない……」
歩実に自分の気持ちを話せて、奈美子の表情に、少しだけ元気が戻っていた。
仕事の休憩時間、陽介はスマホをじっと眺めていた。以前奈美子から送られてきたスタンプを見つめて、文章を打ち込んでは消してを繰り返す。そんな事をしていると、田村が声をかけてきた。
「陽介くん、調子はどうよ」
「田村さん……少し、落ち着いた気はします」
「うん。顔色も、前よりマシだね。……そだ、明日から休みだけどさ、陽介くんは実家帰ったりすんの?」
田村はそう言いながら、陽介にコーヒーを手渡す。
「ありがとうございます。はい、一応毎年帰ってるので、今年も……」
「そっか、良かったよ。俺も明日から帰るからさ、どうしようかと思ってたんだよね。じゃ、気を付けて帰りなね」
「……はい」
ソファーで横になりながら、奈美子はぼんやりとスマホを眺める。陽介にメッセージを送るために、思いを巡らすが、いざ送るとなると頭が真っ白になり、その度にため息をつく。
「はぁ……今さら何て送ればいいの?」
気分転換にコーヒーを淹れた時、使われなくなり、キッチンの隅に追いやられた弁当箱が、ふと目についた。
奈美子は弁当箱を手に取り、陽介と初めて言い合いになった時の事を思い返す。
「あの時、川崎さん必死になって謝ってたな……しっかりしてるのに、なんか情けなくて、ふふ……」
奈美子は陽介の土下座姿を思い出して、思わず苦笑いした。
「やっぱりちゃんと、伝えなきゃ」
ソファーに座り直し、奈美子は真剣な表情でメッセージを打っていく。
電車とバスを乗り継ぎ、陽介は祖父母の家に帰った。祖父母の家まで数時間はかかり、年末ぐらいしか帰ることは無いため、会うのは約一年ぶりだ。
「じいちゃん、ばあちゃん、元気かなー」
陽介は実家の引戸をガラガラと開ける。
「ただいま……」
「陽介! おかえり。さ、ご飯食べなー」
「ばあちゃん、そんないきなりご飯食べれないよ」
祖母は陽介の顔を見ると、恒例のように、すぐご飯を勧めてくるのだった。
「そう? ……じゃ、こっちでゆっくりしなね」
「うん。あ、母さんと父さんに挨拶してくよ」
陽介はそう言うと、仏壇の前に行き、静かに手を合わせる。
「陽介、元気でやってるかい? つらい事があったら、いつでも帰ってきていいんだよ」
陽介の顔色を察したのか、祖母は心配そうに声をかける。
「……うん、大丈夫だよ」
「はぁ、あんたは昔から大事なことは何にも言わないからねぇ。遠慮せずに、ばあちゃんに何でも聞きなさい!」
祖母に見透かされ、陽介は奈美子との事を、渋々話し始めた。
うんうんと静かに話を聞いていた祖母だが、突然口を開く。
「あんた、早く帰りんさい!」
「ええぇ!?」
突然に帰れと告げられ、弱っていた陽介も大声を出して驚いた。
「ば、ばあちゃん、俺今来たとこだよ! じいちゃんの顔もまだ見てないのに……」
「じいちゃんは元気さ! 顔なんて見んでええ」
「いやいや、でも何で!?」
「あんた、その子の事が大事なんだろ? こんなとこに来とる場合じゃないよ。早く謝りに戻れ」
「……ばあちゃん」
祖母の強い言葉で、自分の気持ちに気付かされた陽介は、奈美子に連絡しようとスマホを手に取る。すると、メッセージが1件届いており、陽介はハッと目を見開いた。
「ごめん! ばあちゃん、俺帰るね!」
「まぁ、待ちな。バスの時間ないから、じいさんの車で送ってもらいんさい」
慌てて帰る支度をする陽介に、祖母は落ち着かせるように言うと、居間で爪切りをしていた祖父を呼んだ。
祖父の車の中で、陽介はそわそわと外の景色を見ていた。普段無口な祖父も、その様子が気になったのか、珍しく口を開く。
「お前、彼女でもいんのか?」
「……ううん、違うんだけど。俺の、恩人で、一番大事な人なんだ……」
陽介は晴れやかな顔で笑い、胸を張って自分の気持ちを伝える。祖父はそんな陽介に、昔の自分の姿を重ねたのか、しわしわの顔で微笑んでいた。




