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第9話 雷帝の怒り

 次の日、エステルは少し寝坊をした。舞踏会が夜遅くまであったということで、今日の勉強は午後からの予定になっている。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、マリー。今何時?」

「9時過ぎです。もう少し寝ますか?」

「いい。起きるわ」

「分かりました」


 マリーが朝の支度を始めるのを横目に見ながら、エステルはベッドから降りると大きく伸びをする。

 窓に寄り外を眺めると、庭師が魔法を使って庭木を剪定しているのが見えた。


「昨日はすぐに眠ってしまわれましたけれど、舞踏会はどうだったのですか?」

「んー……、変な感じだったわ」

「変、と申しますと?」


 窓を開けようと手を伸ばすが、鍵に手が届かない。

 それに気付いたマリーが魔法で鍵をすぐに開けてくれた。


「ありがと。ベルオード公の息子の話をしたじゃない?」

「ああ、クロト様でしたっけ?」

「そう。前に会ったのに、またはじめましてって言われたのよね」

「それは変ですわね。貴族は顔を覚えるのが仕事のようなものですから、公爵の跡取りともなれば一度会った人の顔は絶対に覚えているはずですよ」

「そうよねぇ……」


 エステルはマリーが用意した水で顔を洗うと、ふうと息をつく。


「陛下と踊ったあと、少し話す時間があったんだけど、クロト様は陛下とは幼馴染なんですって」

「ではオリヴィエ様と3人で幼馴染ということですか」

「そういうことね。あの3人は傍目から見ても打ち解けた様子だった」

「確かベルオード王国は国の経済状況が芳しくなくて、表向きは帝国に統合という形でしたけれど、実質は併合ということになったのですわよね」

「そう。王家は解体され、公爵に格下げになった。帝国内では一番大きな領地ではあるけれど、王族と公爵とでは雲泥の差よね」


 クロトが妙にオージェに突っかかるような物言いをしていたのは、そういう背景があるからだろうか。

 けれどその手の確執があるなら、幼馴染としてそばに置くなんてことはしない気がする。


「クロト様の様子は気になりますけれど、それより陛下とはどうでしたか? ダンスを踊られたのでしょう?」

「踊ったは踊ったけど……」


 ドレスの袖に手を通しながら、エステルはそこで言葉を途切らせた。


(よく考えたら、ダンス中にするような会話じゃなかったわよね……)


 なんだか説教のようなことを言ってしまった気がいまさらしてくる。


「怒ってないといいけど……」

「怒らせるようなことを言ったのですか?」

「偉そうなことは言った気がする……」

「あらまぁ……。言ってしまったことは仕方ありません。とりあえず朝食でも食べて落ち着きましょう」

「そうね……」


 マリーの優しい声に、悩んでいても仕方ないとエステルは頷いた。

 テーブルに朝食が並べられ、スプーンでスープを掬ったエステルは動きを止めた。


「どうなさいました?」

「なんか……、スープにしてはおかしな臭いがする……」

「え!?」


 エステルが呟くと、マリーが一瞬で顔を険しくしスープに顔を近付ける。


「お嬢様! 食べないで下さい!」


 マリーは他の料理も調べると、全部をエステルから遠ざけた。


「毒?」

「いえ……、腐った何かを入れたのでしょう。誰がこんなこと……」

「はぁ……」


 エステルは大きな溜め息をつくと、テーブルに頬杖をついた。


「たぶんオリヴィエ様じゃない?」

「オリヴィエ様が?」


 昨日の舞踏会で、完全に怒りを買ったのだろう。

 子供じみてはいるが、人によっては精神的に大きなダメージを与えるいじめだ。


「毒を入れないのは幼稚だからなのか、それともまだ何か企んでいるのか……」

「お嬢様! これは皇太后様に訴えるべきです!」


 マリーは怒りを露わにしているが、エステルはなぜかそれほど怒りが湧いてはこない。


(私が皇后になる気がないからかなぁ……)


 少しでもそういう気があるなら、きっと怒ったり怯えたりするのだろうが、エステルとしては無事に家に帰ることが目標なので、波風を立てたくないという気持ちの方が大きかった。


「うーん……、あまりおおごとにはしたくないわ」

「ですが!」

「また何かやってくるようなら、皇太后様に伝えるわ。それまではマリーも黙っていて」

「お嬢様……」


 不満げなマリーを宥めるように笑顔でそう言うと、マリーは溜め息をついて頷いた。


「分かりました。ですが絶対に無理ははなさらないで下さいね。私もこれからは注意致しますから」

「うん、分かった」

「新しい食事をお持ち致しますので、少々お待ち下さい」


 エステルが頷くと、マリーもやっと表情を戻しテーブルの上を片付け始めた。



◇◇◇



 それから数日、宮殿内はどこか賑やかな様子だった。廊下ですれ違う人の数が明らかに増え、各部屋には誰かしらいて雑談をしたりしている。


「舞踏会に来ていた方々が、そのまま陛下との会議などで宮殿に留まっているのよ」

「ああ、そういうことですか……」


 ブラント夫人の説明にエステルは頷く。舞踏会でオージェと踊ってしまったからか、顔をじろじろ見られたりすることはあるが、声を掛けてくるような人はいないので、今のところは困ったことは起きていない。

 オリヴィエからの意地悪もとりあえずはなく、エステルとしては落ち着いた日々が続いていた。

 夕方になり勉強が終わると、エステルは自室とは反対方向にある書斎に向かった。宮殿の中には色々なところに本が置かれているのだが、それらはすべて閲覧自由でエステルは珍しい本を見つけるたびに自室に持ち帰って読んでいた。

 エステルにとって、憂鬱な宮殿生活での唯一の楽しみだ。


(次は何を読もうかしら……)


 ウキウキとした気持ちで書斎に向かうと、いつもはまったく人がいない場所から人の声がした。

 本棚が置かれたその場所は、部屋と部屋を繋ぐ小さな書斎で、ドアなどはなくアーチ状の入口があるだけだ。そのため声は筒抜けで、エステルはそれがすぐにオージェの声だと分かった。


(また怒ってる……)


 こっそりと盗み見ると、男性が5人ほどいて、オージェはその人垣の向こうでソファに座っているようだった。


「陛下、ですがこの問題は一刻も早く解決しなければならないと誰もが思っています」

「それほど急ぐ必要はないだろう!?」

「いいえ。すでに帝位にお着きになっている以上、世継ぎのことは重大な問題です」


 年配の男性が強い口調でそう言うと、ピリッと空気が震えるのが分かった。


(え……?)


 ビリビリと肌に伝わってくる感覚にエステルは驚き、思わず身を乗り出す。

 男性たちはビクッと怯えるように肩を揺らすと、2歩ほど後退った。だが一人だけその場に残った人物がいる。


(クロト様だわ……)


 この緊張感のある空気の中で、なぜかいつもと変わらず口元は笑みを浮かべている。


「余はまだ20歳だぞ!? どこが急ぎの問題なんだ!?」


 オージェが声を上げると、ビリビリと空気がまた震える。青みがかかったような魔力が書斎全体に広がって、エステルは毛が逆立つような感覚に手を握り締めた。


「皇太后様がお呼びになったオーベリン子爵の妹が、陛下に触れることは我々も確認致しました。身分は低いですが、あれならば十分世継ぎを望めるのでは?」

「そ、そうです、陛下。お妃教育も順調に進んでいるようですし、このままご結婚ということでよろしいのではないでしょうか」


 もう一人の男性が額の汗を拭きながら続けると、バリッと落雷のような音がしてそばにあった大きな花瓶が割れた。


「へ、陛下! お気をお鎮め下さい!」

「お前たちが余を怒らせているのではないか!!」


 また雷撃が落ちて、絨毯が黒く焼け焦げる。


(これは重臣たちは大変だわ……)


 いちいち怒るたびに雷撃を落とされていては、命がいくらあっても足りない。


「陛下の気持ちも分からなくはありませんが、そろそろ想い人は諦めるべきでは?」


 クロトが軽い口調で言った瞬間だった。これまでで一番大きな魔力のうねりを感じて、エステルは思わず前へ駆けだしていた。

 青い雷撃が男性に迫り、思わずその前に立ち塞がる。雷撃を上手く吸収すると、痺れるような感覚が身体に伝わった。


(なんて力なの……)


 エステルはそう思いながらも、オージェを睨み付ける。

 突然現れたエステルに驚いているのか、オージェはエステルをまっすぐに見つめてきた。


「おやめ下さい!!」


 腰を抜かして床に倒れた男性をちらりと見て無傷なことを確認すると、一歩前に出た。


「お前、なぜここに……」

「皇帝ともあろうお方が、感情のままに人を傷つけてはいけない!」

「なんだと……?」

「あなたは魔力の制御を学ぶ前に、自分の感情を制御することを学びなさい!!」


 エステルがはっきりとそう言うと、オージェはこれまで見た中で、一番怒りに満ちた顔をしてエステルを睨み付けた。


「出ていけ!!」


 ビリビリと空気が震えるほどの声でオージェが怒鳴る。

 エステルはそれに怯みもせず睨み返すと、しっかりと腰を落とし挨拶をしてから踵を返してその場を去った。

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