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第8話 舞踏会

 それから数日はまた勉強だけの日々が続いた。3回ほど食事に呼ばれ3人で夕食を食べたが、オージェの機嫌が良くなる瞬間は一瞬もなく、なんの進展もなかった。


「はぁ……」


 昼の休憩時間に庭に出ていたエステルは、花を見つめながら大きな溜め息をついた。


(ちょっとくらい打ち解けてくれてもいいと思うけどなぁ……)


 仲が良くなりたいなどとは思っていないが、一緒に食事をしている相手が、常に眉間に皺を寄せて機嫌が悪いと、美味しい食事も美味しくなくなってしまうのだ。

 いまだにお妃教育が続いているのは、オージェが皇太后の意見を尊重しているということだろう。それならそれで、少しくらい柔和な態度になってほしいものだ。


「はぁ……」

「随分大きな溜め息だね」


 突然背後から声を掛けられて、エステルは驚いて振り返った。

 一瞬オージェかと思ったが、後ろに立っていたのは見知らぬ男性だった。


「花のように麗しい女性に、溜め息は似合わないよ」


 長身で黒髪の男性は歯が浮きそうなセリフを言うと、優しく笑って近付いてくる。

 エステルはこんな風に男性に声を掛けられたことがないため思わず後退ってしまうと、その様子に気付いたのか男性は足を止めた。


「宮殿では見掛けない子だね」

「あ……、エステル・オーベリンです。はじめまして」

「エステルか。素敵な名前だね。僕はクロトという」

「クロト、様……?」

「うん。クロト・ベルオード」

「ベルオード?」


 その名前にエステルはハッとすると、慌てて腰を落とした。


「ベルオード公爵様!」

「いやいや、僕はその息子だよ。そんなに畏まる必要はない」

「そういうわけには……」


 緑色の瞳を細めて笑うと、立つように促してくれる。エステルは姿勢を戻すと、クロトの顔をちらりと見た。

 オージェと同じくらい顔は整っているが、優しく微笑みを浮かべる顔や穏やかな声は、オージェとは真逆の印象だった。

 ベルオードといえば、ベルダ帝国の東側に位置するベルオード王国というれっきとした国だった。20年ほど前、領土拡大を続けていたベルダ帝国に統合され、今は公爵領となっている。


(世が世なら、この方は王子ということになるのね……)


 畏まる必要はないと言われても、失礼な態度はできないと黙っていると、クロトはエステルの周囲をゆっくりと回りだした。


「ふぅん……、雷帝の妻がどんな女性か見にきてみたが、なるほど……」


 エステルを上から下まで見つめ呟く。値踏みされているような視線に眉を顰めると、クロトは苦笑して肩を竦めた。


「ごめんごめん、そんな顔をしないでおくれ。ちょっと興味があっただけなんだ」

「い、いえ……」

「雷帝の相手は疲れるだろうけど、頑張るんだよ」


 クロトはそう言うと、手をひらりと振り踵を返した。宮殿に戻っていく背中を見つめてエステルは小さく息を吐く。


「なんなの、あの人……」


 同じくらいの年齢のように見えたが、なんだか掴みどころがない印象だった。


(ああいう男性が宮殿では女性に人気なのかしら……)


 そう思いながらも、自分の好みではないなと肩を竦めたエステルは、また勉強に戻った。



◇◇◇



 3日後、宮殿では皇太后主催の舞踏会が開催された。もちろんエステルは強制参加で、オージェのそばに座らされた。とはいえ一番近くにはオリヴィエが座り、その周囲にはオージェの学友のような男性たちが数人いたので、エステルは完全に蚊帳の外だった。


(まぁ、いいけどね……)


 オージェの隣に座らされてもどんな顔をしていればいいか分からなかったので、逆に安堵したくらいだ。

 誰にも声を掛けられないのには慣れている。終わりの時間までここにいるのは暇だろうけれど、適当にお酒でも飲んで時間を潰そうとエステルは決めた。


(あら、クロト様だわ)


 舞踏会が始まり少ししてクロトが姿を現した。女性たちが色めきだっているところを見ると、やはり人気があるのだろう。

 クロトはまっすぐオージェの前までくると、軽い挨拶をして隣に座った。オージェは機嫌が悪そうではあるが、クロトと何か話している。多少会話が聞こえる位置にいるエステルは、その内容から二人がかなり親しい仲なのだと感じ取った。


(それはそうよね……。元王子なんだし、同じような年齢なんだもの、もしかして幼馴染とかなのかも……)


 王子や王女には、常に同じような年齢の学友がそばに置かれ一緒に育つ。オリヴィエもその一人だが、そういう高位貴族の子息や令嬢が、次代の王を支えていく人材になっていくのだ。


(すごい世界だわ……)


 自分にはまったく縁のない世界だと、エステルは完全に他人事としてその人たちを見つめた。

 ダンスが始まると、クロトはすぐに女性と踊りだした。オージェはそれをぶすっとしたまま見つめている。一曲終わってクロトが帰ってくると、クロトがオージェに話し掛けた。


「陛下は踊らないのですか?」

「私は踊らない」

「そんなことを言って、本当はダンスが踊れないんじゃないですか?」


 明らかにからかうような口調に、オージェの表情が明らかに変わった。

 周囲の空気が凍り付き、オージェの身体からピリピリと雷撃が溢れると、周囲の人間がそっと後退る。


「クロト! 皆がいる前で軽口はやめて。不敬罪よ」

「オリヴィエだって本当は思っているだろう? 陛下のダンスを誰も見たことがないんだ。もしかしたら踊れないんじゃないかって」


 クロトの言葉にオリヴィエは眉を顰めたが、それ以上何も言わず口を閉じた。

 緊張感がある沈黙が落ちると、ふいにオージェが立ち上がった。一瞬、オリヴィエがパッと笑みを見せたが、オージェはオリヴィエの前を素通りすると、エステルの前で足を止めた。


「え……」


 眉間に皺を寄せたまま、右手を差し出すオージェに、エステルは困惑した声を漏らした。

 どうしたらいいか分からず戸惑っていると、オージェはエステルの手首を掴み強引に立たせる。


「陛下!」

「来い!」


(どういう誘い方!?)


 およそダンスの誘い方とは程遠いやり方でフロアの中心まで引っ張っていかれると、また力ずくで腰を引き寄せられた。

 そのまま曲に合わせて踊りだすので、慌ててエステルはオージェに合わせて足を動かした。

 周囲はオージェが初めて女性と踊っているのを見て驚いている。衆目を集めているのが恥ずかしかったが、それよりも怒りの表情のまま無言でダンスをするオージェに、だんだん呆れてきた。


「陛下、僭越ながら意見を述べさせていただいてもよろしいでしょうか」

「…………」


 オージェはまったく答えるそぶりも見せなかったが、エステルはもう勝手にしゃべってやろうと続きを話す。


「そんな表情でダンスを誘っても、みんな怯えてしまいます」

「……誰も、私とは踊れない」

「今はそうですが、魔力の制御を覚えれば、いつかは誰とでも踊れるようになります」


 助言などするつもりはなかったけれど、皆に遠巻きに見られるだけの存在でいることの空しさを知るエステルは、少しだけオージェに同情してしまった。


「魔力の……、制御?」

「魔力の制御は思いのほか難しいものです。陛下のように人が持つ魔力の容量を超えてしまっている場合、魔法を習得するよりも、まず魔力の制御を覚えなくては」

「お前、なんの話をしているんだ?」


 荒々しかったダンスのステップが緩み、オージェがエステルの顔を見た。

 エステルは間近でオージェと目が合って、どぎまぎしてしまう。


「魔法が使えないお前が、なぜそんなことを知っている」

「……勉強はしていますから。陛下は魔力を封じる魔法具を使うつもりはないのですか? 一時的にでも魔力を封じれば、他の方とも普通に接触することはできます。まぁ、根本解決にはなっていませんが」

「魔力を封じている時に何かあったらどうするんだ」

「それはそうですが……」


 魔法具の類は国によって厳格に管理されているが、皇帝ならば好きなように使えるだろうと言ってみたが、どうやらオージェは自分の力を封じることは考えていないようだ。


(当たり前か……。皇帝だものね。少しの間だって魔法が使えない状況にはできないか……)


「魔法具を使うつもりがないのなら、なおさら魔力の制御をお勧めします」


 エステルがそう言うと、ちょうど曲が終わってしまった。

 盛大な拍手と歓声が上がるなか、オージェが手を離す。エステルは一歩下がると挨拶をして、二人は席に戻った。


「いやぁ、素敵なダンスでしたよ。さすが陛下だ」

「思ってもないことを言うな、クロト」


 表情が少しだけ柔らかくなったオージェの顔を思わず見てしまうと、その間にクロトが割り込んできた。


「はじめまして、お嬢さん」

「え?」


 クロトはにこにこと笑いながらそう言うと、エステルにウインクする。


「あ、えっと、エステル・オーベリンと申します。はじめ、まして……」

「エステル、君は陛下に触っても平気なんだね」


 エステルはクロトが『はじめまして』と言ったことに戸惑いながらも同じように返した。


(3日前に会ったことを忘れたのかしら……)


 クロトが何を考えているのかさっぱり分からなかったが、なんだかややこしくなるような気がして、エステルはクロトに合わせることにした。


「これなら陛下の隣にいても平気だね」

「そんなことは……」


 エステルは返事に困って視線をさまよわせると、はたとオリヴィエと目が合ってしまった。


(うわ……)


 オリヴィエが取り巻きのことも気にせず、エステルを突き刺すように睨んでいる。

 その強い視線に怯んだエステルは、そそくさとその場を後にし、隠れるように壁に沿って置かれたイスに逃げたのだった。

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