第5話 三人の夕食
宮殿に来た最初の日から、嫌な気持ちを味わったエステルの気持ちが上がるわけもなく、暗い気持ちでお妃教育が始まった。
ピアノが置かれた広い部屋で先生となる人を待っていると、茶色の髪の穏やかそうな女性が姿を現した。
「お待たせしてごめんなさいね」
「あ、いえ……。エステル・オーベリンです。今日からよろしくお願い致します」
エステルが挨拶をすると、女性は持っていた本をテーブルに置きにこりと笑った。
「ドロテア・ブラントです。今日から3ヶ月、あなたのお妃教育を受け持つことになりました。よろしく」
柔らかい声にホッとしながら座ると、ドロテアは正面の席に腰を落とす。
「皇太后様から話は聞いたけど、あなたは陛下に触れるんですって?」
「あ、はい……」
「陛下の雷撃に耐えられる人間がいるなんて驚きだわ」
「それは有名な話なのですか?」
「陛下に近しい人にはね。女性で触れる人は初めてだわ」
今までオージェが皇太子時代、婚約者どころか、恋人の噂さえ出なかったのはこれが原因だったのだろう。
そうなると昨日会ったオリヴィエのことが気になりだした。
「あの、ブラント夫人」
「なんです?」
「昨日、オリヴィエ様に偶然お会いしたのですが」
「ああ、会ったのね」
「オリヴィエ様は陛下の幼馴染だとお聞きしましたが、婚約者になっていないということは……」
語尾を濁すと、ドロテアは困ったように笑って頷く。
「そう。オリヴィエ様も陛下には触れないの」
「やっぱり……」
「身分も容姿も完璧で、年頃もぴったり。幼馴染として育ち、気難しい陛下の性格もよく熟知しているオリヴィエ様なら、本当に皇后に申し分ない。けれど、魔力はまったく釣り合っていないの」
「まったく触れないのですか?」
「一瞬なら痛みを堪えれば触れるだろうけれど、それじゃあ子を儲けることなんてできないでしょう?」
「ま、まぁ、そうですね……」
ドロテアの言葉に少しどもって答えると、エステルは下を向いた。
(宮廷の女性って、結構あけすけよね……)
エステルがどぎまぎとしていると、ドロテアは溜め息をつく。
「身の回りの世話をするメイドたちのように歯を食いしばって耐えるなんて、オリヴィエ様にはできないわ。だから皇后にはなれないのよ」
「そうだったのですか……」
「それでも一番の有力候補だし、いつか魔力が釣り合うかもしれないと、皇太后様はオリヴィエ様を宮殿に留め置いているのよ」
「なるほど……」
(だからあんなに大きな態度だったのか……)
昨日の言動からみて、オリヴィエは婚約者になることを諦めてはいない。だからこちらに攻撃的な態度だったのだろう。
「でもあなたが内定を受けたのなら、オリヴィエ様はそのうち家に帰されるんじゃないかしら」
ドロテアはそこまで話すと、机の上にあった本を一冊エステルに差し出した。
「さ、おしゃべりはこのくらいにしましょう。まず王家のしきたりを学んでいきます。本を開いて」
「はい……」
宮廷の中にも色々と事情はあるようだが、とにかく勉強はまじめに受けようとエステルは背筋を伸ばして本を開いた。
◇◇◇
夕方になりやっと勉強から解放されたエステルは、自室でテーブルに突っ伏した。
「お嬢様、お行儀が悪いですよ」
「うーん……、久しぶりに頭を使った気がするわ……」
ドロテアは朗らかで優しい女性だったが、勉強はかなり厳しく、ついていくのがやっとという感じだった。
エステルは勉強が嫌いなわけではなかったが、それでも大人になってからは座学のようなものは受けていなかったので、久しぶりの授業に疲れてしまった。
「お疲れさまでした。甘いお茶をお入れしましょうか?」
「ありがとう。そうしてちょうだい」
マリーの優しさに笑みを浮かべて返事をし起き上がると、ドアからノックの音が響いた。
マリーがドアを開けると、メイドがマリーに何かを伝える。
「それは皇太后様とお二人ということ?」
「いいえ、陛下もご一緒だそうです」
「分かりました。お伝えしておきます」
二人のやり取りを見て嫌な予感を覚えつつ、マリーがドアを閉めるのを待つ。
ドアを閉めると、マリーはこちらの表情を見て困ったように笑ってみせた。
「お嬢様」
「聞きたくないなぁ……」
「そう言わずに。皇太后様からご夕食のお誘いです。陛下と三人で食べましょうと」
「うーん……」
唸り声のような返事をすると、エステルはまたテーブルに突っ伏してしまう。
「お嬢様、まだ初日ですよ」
「そうね……」
「頑張りましょう。さ、ドレスを着替えなくては」
エステルはのろのろと起き上がり、マリーを見つめる。
マリーは幼い頃からずっとそばにいてくれる姉のような存在だ。彼女に励まされると、いつも元気が湧いてくる。
「よし。頑張ろう」
立ち上がりそう言うと、マリーは笑顔で頷いた。
着替えを済ませ迎えのメイドに連れられてダイニングに行くと、席には三人分の食器が用意されていた。
(ホントに三人で食べるのね……)
イスに座りこっそりと息を吐く。会うだけでも緊張するのに、一緒に食事なんて早すぎると思いながら待っていると、皇太后とオージェが姿を現した。
慌てて席を立って腰を落とす。
「挨拶はいいわ。さ、座って。身内だけの食事だもの。緊張することはないわ」
「は、はい……」
身内と言われて複雑な気持ちになりながらも、またイスに座る。隣にオージェが座るのを思わず見てしまうと、はたと視線が合った。
眉間に皺を寄せたまますぐに視線を外され、エステルも慌てて顔を正面に戻す。
「エステル、ドロテアの勉強はどうだった?」
「はい。ブラント夫人はお優しい方で、勉強もとても分かりやすく教えていただきました」
「そうでしょう? ドロテアは伯爵夫人だけど、若い頃から才女と言われてね。わたくしの一番の友人で、良き相談相手でもあるのよ」
「そうですか……」
食事が運ばれてくると、機嫌良く皇太后が話し掛けてくる。エステルは当たり障りのない返事をしながら、どうにか食事を続ける。
オージェはただむすっとしていて、まったく会話に入ることはなかった。
「それにしてもこうして二人が並んでいるのを見ると、なかなか似合いのように見えるけれど、オージェはどう? エステルは気に入った?」
なんてことを聞くんだと、エステルは慌てて視線を下げる。オージェの表情は分からなかったが、大きな溜め息をつくのが聞こえた。
「母上、昨日今日会った娘に気に入るも何もないでしょう」
「そんなこと言わず。ねぇ、エステル?」
(私に話を振らないで……)
何と答えればいいかなど分かるはずもなく、苦し紛れに小首を傾げる。
それぞれの感情はいつまで経っても噛み合わなかったが、皇太后はその後も機嫌が悪くなることもなく、静かに食事は進んだ。
「エステル、あなたの魔力を吸収できる特異体質は昔からなの?」
「はい、子供の頃からです」
「魔法が使えないのに、魔力が吸収できるなんて、本当に不思議な話ねぇ」
「そう、ですね……」
「宮廷に仕える魔法使いたちに話を聞いてみたけれど、そんな人は聞いたことがないと言っていたわ」
確かにこんな力はエステルも聞いたことがなく、周囲から奇異な目で見られると思っていたから、家族以外にこの力のことを話すことはなかった。
だがエステルの親族にも口の軽い者はいる。王家はきっとそういう者から情報を得たのだろうが、こんなことになるのならもっときつく口止めをしておけばよかったと、今更ながら後悔が頭をもたげた。
「エステル、ちょっとオージェの手に触れてみて?」
「え? 今ですか?」
「また見たいのよ。ね?」
デザートを食べている途中に言われ驚いたエステルだったが、皇太后の強い視線に逆らえず仕方なくスプーンを置く。
ちらりとオージェを見ると、眉間の皺が明らかに深くなった。
「食事中ですよ、母上」
「いいじゃない。ちょっと手を握るくらい」
「私は嫌です」
はっきりと断るオージェだったが、皇太后はまったく気にしない様子で今度はエステルを見た。
「エステル、いいから手を握ってみなさい」
「で、ですが……、陛下もこう言っていますし……」
「オージェのことは気にしないでいいわ」
(気にしないでいいって言ったって……)
怜悧な目でぎろりと睨まれてしまっては、さすがに手は出ない。
(綺麗な顔の人が睨むと、すごい怖いわね……)
エステルが何もできず俯いていると、皇太后が咳払いをした。するとオージェがまた溜め息をついて手を差し出してきた。
「おい」
「あ、はい!」
低い声で言われ、慌ててエステルはその手に触れる。思い余ってしっかり握ってしまうと、ビクッとオージェが手を揺らした。
「ああ、やっぱりすごいわ。本当にまったく痛みは感じないの?」
「はい……」
エステルは小さく返事をしながら、手から流れてくる魔力の感覚に意識が向いた。
(これは……)
「おい!」
「え? あ、申し訳ありません!」
オージェのきつい声にハッとすると、エステルは慌てて手を離した。
一瞬、自分の考えに意識が向いて手を握り続けてしまった。オージェはさっと手を引くと、眉間に皺を寄せたまま、またデザートを食べだす。
「エステルが特異体質で良かったわ。オージェと釣り合うほどの魔力を持つ女性なんて、どこにもいないのだから」
「……そんなことはありません」
(え……?)
皇太后の言葉にオージェが弱く否定した。皇太后は気にした様子はなかったが、エステルはその言葉に引っ掛かった。
ちらりと盗み見た横顔が、少しだけ落ち込んでいるように見える。
エステルは何となくオージェの様子が気になったが、話し掛けられるはずもなく、その後は何事もなく食事が終わると解散となった。
(やっと終わった……)
緊張で料理の味はよく分からなかったが、とにかく乗り切ったと安堵しながら廊下を歩いていると、背後から足音が聞こえた。
「待て」
低い声に振り返ると、そこにいたのはオージェだった。




