第36話 これから
それからまた数日が経ち、やっと宮殿内が落ち着いてきた頃、オージェとエステルは皇太后の部屋に向かった。
エステルは緊張した面持ちで、皇太后の私室に足を踏み入れる。
「ご機嫌麗しゅう、母上」
「挨拶はいいわ。エステルと話があるなんてどうしたの? あの事件のこと?」
皇太后はそう言うとソファに座るように促す。けれどオージェはその場に留まり、背筋を伸ばした。
「母上、エステルのことについて、報告書はお読みになったでしょうか」
「ええ。あの場にいた全員を守ったのはエステルだったのでしょう? 魔法を使えるようになったとか。驚いたわ。あなたにそんな力があるなんて」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「オージェと私の命も救ってくれたのね。ありがとう、エステル。感謝してもし足りないわ」
皇太后の言葉にエステルは首を振る。
「母上、母上は私が幼い頃、魔法が使えなかったことを覚えていますか?」
「え……?」
「5歳の頃まで、私は魔法が使えなかった。そうですよね?」
「なぜ……、今それを……」
「秋の豊穣祭のあと、私は突然魔法が使えるようになった。その時、私はある少女に会ったと母上に言っていたでしょう」
「そう……、だったかしら……」
それまで笑顔だった皇太后は、動揺を隠しきれず視線を逸らした。
「その少女に魔法を使えるようにしてもらったと言ったのを、覚えていますか?」
「少女……」
「母上は私に生まれた時から魔法が使えたと、ずっと言い続けてきた。私がいくら少女のことを訴えても、それは夢だったのだと言い聞かせた。あれはなぜですか?」
「それは……、宮廷魔法使いたちでも治せなかったものを、年端もいかない少女が治せるわけないでしょう? きっと夢でも見たのだと思ったの。それに魔法が使えなかったことなど、忘れてほしかったのよ」
皇太后が弁明するように言うと、オージェは眉を歪めた。
「母上を責めるつもりはありません。魔法が使えるようになったのが嬉しくて、彼女のことを忘れたのは私です。でも、もしあの時、母上が私の話をもう少ししっかり聞いてくれていたら、エステルは苦しまずに済んだ」
「え……? まさか……」
「ええ、私を治してくれたのは、エステルだったのです」
驚きに目を見開き立ち上がった皇太后は、エステルを見つめる。
エステルは困ったように笑みを浮かべると、そっとオージェの腕に手を触れた。
「オージェ様、もう……」
「だが……」
「皇太后様のせいではないのは分かっていますから」
にこりと笑ってそう言うと、皇太后がよろりと歩み寄ってくる。
「本当に、あなたが……?」
「皇太后様……」
「あの頃、オージェのことで本当に頭を悩ませていたの。皇太子が魔法を使えないと国民に知られればどんなことになるか、恐ろしくてたまらなかった。豊穣祭の日、突然魔法が使えるようになって、わたくしはオージェの言う少女は神なのだと思ったわ。オージェを憐れんでくれた神が、慈悲を施してくれたのだと……。それがあなただったなんて……」
皇太后はエステルの手を取ると、涙を流した。
「ありがとう、エステル……。ありがとう……」
エステルは困ってしまいオージェに助けを求めるように視線を送ると、オージェは皇太后の背に手を回した。
「母上、もう一つお話があるのです」
「ごめんなさい、取り乱して……。どうぞ、話してちょうだい」
皇太后がソファに座り直すのを待って、オージェは口を開いた。
「エステルを皇后に迎えようと思います」
「皇后に?」
「はい。エステルも了承してくれています」
「それは、エステルの行いに報いるということかしら?」
「それも少なからずありますが、……私はエステルのことを愛しているのです」
「……エステルはどうなの?」
皇太后に顔を向けられ、エステルは少しだけ照れながらも答えた。
「私も、オージェ様のことを愛しております」
「そう。二人の意思ということね」
「はい」
オージェがエステルの手を握り頷く。その姿を見て皇太后はふっと表情を緩めた。
「エステル、あなたは以前、あまり皇后になることに前向きではなかったように感じられたけど?」
「……あの時は、ご命令のままに宮殿に参りましたが、自分のような者には務まらないと思っておりました。けれど今は、オージェ様のことを心からお支えしたいと思っております」
「そう……。それならいいわ」
「母上、では……」
「オージェがエステルだと決めたのなら、わたくしは反対などしません。国にこれだけ貢献してくれたのです。誰からも文句は出ないでしょうし、わたくしが言わせません」
皇太后は笑ってそう言うと、エステルに目を向ける。
「ただし、あなたは中断してしまったお妃教育を受けなければいけませんよ?」
「は、はい!」
「3ヶ月、しっかり勉強しなさい。それでいいわね、オージェ?」
「ありがとうございます! 母上!」
オージェにしては珍しい溌剌とした声に、皇太后は少し驚いた顔をすると、クスッと笑って頷いた。
◇◇◇
皇太后に結婚の許可をもらった二人はエステルの部屋に戻ると、ソファに座り安堵した顔を見合わせた。
「まずは第一歩だな」
「とっても緊張しました」
大きく息を吐いて言うエステルに、オージェは優しく笑うと手を伸ばしてエステルの頬に触れた。
「これから大変だろうが、私がそばにいる。二人で頑張ろう」
「はい」
優しい言葉にエステルが頷くと、二人は間近で微笑み合ってキスをした。
「皇太后様には結婚を許してもらえたみたいだね」
「キャッ!」
突然声がしてエステルは飛び上がるほど驚いた。慌ててオージェから身体を離れさせると、いつの間に入ってきたのかクロトが近づいてきた。
そのまま目の前のソファに座り、優雅に足を組む。
「なぜお前は毎回勝手にエステルの部屋に入ってくるんだ!?」
「そんなことより、先生から話があるんだ」
「クロト!」
オージェの怒りを含んだ声を無視してクロトがそう言うと、ドアが開いてマリーと共にオルガが入ってくる。
「申し訳ありません、お嬢様。私ではクロト様をお止めできず……」
「いいのよ、マリー。それより先生、私にお話とは?」
クロトの隣に座るのを待ってからオルガに問い掛ける。オルガはエステルに顔を向けると笑顔で話しだした。
「エステル、せっかく魔法が戻ったんだ。私との魔法修業を再開しよう」
「え?」
「お前にはまだ教えていない魔法がたくさんある。どうだ?」
「それは……、願ってもないことですが……」
エステルはそう答えながら、ちらりとオージェに視線を向ける。
オージェが笑顔で頷いてくれると、エステルはパッと笑顔になってオルガにまた顔を向けた。
「先生、よろしくお願いします!」
「うん。よし」
オルガが満足げな様子で頷く。
「それじゃあ、エステルはお妃教育と魔法修業と僕の護衛と、大忙しだな」
「お前の護衛は終わりに決まっているだろ!!」
今度こそオージェは怒鳴ったが、クロトは悪びれない様子で肩を竦めるだけだ。その様子を見ていたオルガが笑いだすと、エステルもつられて笑ってしまった。
「良かったな、オージェ」
優しく微笑んで言ったクロトの言葉に、オージェは肩から力を抜いて頬を緩める。
そうしてオージェとエステルは手を握ると、幸せそうに微笑み合ったのだった。




