第35話 兄の思い
オリヴィエの起こした事件から5日後、国境の砦にいたアランが宮殿に駆け付けた。
「エステル!」
庭で散歩をしていたエステルに駆け寄ったアランは、ガバッとエステルを抱き締める。
「お兄様! どうしてここに!?」
「どうしてもこうしてもあるか! 連絡を受けて砦から急いで来たんだ! 怪我はないか!?」
エステルの顔や身体を確認するアランに、エステルは笑い掛ける。
「大丈夫です。傷は治してもらいましたから。連絡があったって、誰から?」
「ベルオード卿からだ。無事で良かった。心配したんだぞ」
「ごめんなさい、お兄様」
エステルが謝ると、アランは大きな溜め息をつく。
「何があったか詳しく聞かせてくれるか?」
「ええ……」
エステルが事の経緯を話している間、アランはずっと眉間に皺を寄せて黙っていた。
「大変な事件だったんだな……」
「オージェ様も皇太后様もお怪我はなく、今はもう政務に戻っているわ」
「魔法がまた使えるようになったのか?」
「ええ」
エステルが頷くと、アランは安堵した顔で、エステルをもう一度抱き締めた。
「そうか……、良かった……」
「お兄様……。本当に今まで心配を掛けてごめんなさい……」
アランがきっと一番自分の心配をしてくれた。特に父が亡くなってからは、まるで父のように自分を支えてくれた。いくら感謝してもし足りないくらいだ。
「アラン、来ていたのか」
ふいに背後から声がして、二人で振り返るとクロトとオルガが連れ立って近付いてくる。
アランはオルガの姿を見て目を見開いた。
「お師匠様!」
「アラン、久しぶりだね。話は聞いたかい?」
「はい。お師匠様、ベルオード卿にエステルに近づくように指示を出したのなぜです? もしやお師匠様はこうなることが分かっていたのですか?」
「まさか。私だとて未来は分からないさ。だが、エステルの魔力を吸収する特異体質はとても特別な力だ。皇帝に接触できれば何かが起こるかもしれないと思っていたよ」
「そうだったのですか……」
オルガの言葉にアランは深く頷く。
「まぁ、色々あったけれど、丸く収まって良かったじゃないか」
クロトが明るい声で言うと、アランはパッと表情を変えてクロトを睨みつけた。
「良いわけないじゃないですか! エステルが危険な目にあったんですよ? こんなこと二度とごめんです!」
「もうそんなことにはならないさ、なにせ――」
クロトはフッと笑うと言葉を途切らせる。アランが怪訝な顔をして振り返ると、オージェが近づいてくるのが見えた。アランは慌ててその場に膝をつき頭を下げる。
「陛下」
「立ってくれ」
目の前に立ったオージェにそう言われ、アランはおずおずと立ち上がる。
「貴公の大切な妹を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ない」
「へ、陛下!?」
深く頭を下げるオージェにアランはギョッとして声を上げる。
「余が不甲斐ないばかりに、エステルに一人で戦わせてしまった。余は守られるだけで、何もできなかった。本当に申し訳ない」
「おやめください! 陛下が謝るなど……」
「いや、一番大切な人を守れない男など、男ではない」
「え……?」
アランはオージェの言葉に小さく声を漏らすと、オージェとエステルの顔を交互に見た。
その視線が恥ずかしくて下を向いたエステルの肩を、オージェが抱き寄せる。
「は? え!?」
「子爵、余はエステルを皇后に迎えたいと思う」
「え……」
驚きに茫然とした表情をしたアランだったが、次第に顔を険しくするとエステルに視線を向けた。
「エステル、本当にいいのか?」
「お兄様?」
「陛下は昔のことを覚えていたのか?」
「いいえ、忘れていたそうです。でも今回のことで思い出したと……」
エステルが言いづらそうに言うと、アランはオージェを睨みつける。
「……思い出した? あの時、エステルは陛下のせいで魔法を失ったのに?」
「お兄様、それは!」
「エステルはずっと自分のせいだと、陛下のせいではないと言っていたけれど、私はそうは思えなかった。陛下に会わなければ、エステルはまっとうな人生を送れたんだ……。陛下、魔法の使えない貴族が、どれほどみじめな生活を送るか分かりますか?」
アランは両手を握り締めると、堰を切ったように訴えた。
「どこに行ってもエステルは『魔法が使えない娘』だと罵られ、蔑まれた。友人もできず舞踏会に行っても見向きもされず、年頃になっても誰もエステルに声を掛ける者はいない。それがどれほどみじめか分かりますか?」
「お兄様!」
「私は陛下がいつかエステルを宮殿に呼んでくれると思っていました。別に何かしてほしい訳じゃない。たった一言、エステルに感謝の言葉をくれればそれでよかった。そうすれば納得できたんです。でもいくら待っても陛下がエステルを宮殿に呼ぶことはなかった……」
アランの悔しそうな表情を見て、エステルは昔のことを思い出した。アランはずっとオージェのことを憎んでいた。仕方ないことだったとはいえ、気持ちの持って行き場がなかったのだろう。大人になってからは、皇族自体を毛嫌いするようになってしまっていた。
「お師匠様がエステルを見捨ててしまったあと、私はお師匠様に代わり剣を教えました。それは魔法が使えない妹が身を守るために、生きていくために絶対に必要だと思ったからです。私がもしいなくなっても一人で生きていけるように……」
「お兄様……」
目を潤ませたアランは、ガクッとひざをつくと、縋るようにオージェに手を伸ばした。
「陛下……、妹を……誰よりも幸せにしてやってください……」
「子爵……」
「これまでの辛い日々を忘れるくらい、幸せにしてやってください」
アランの言葉にエステルも涙を浮かべる。オージェはアランの手をしっかり握ると、大きく頷いた。
「ああ、もちろんだ。エステルを必ず幸せにする。約束しよう」
力強いオージェの返事に、アランは涙を流しながら、嬉しそうに笑った。




