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第32話 忘れられた日

 目が覚めるとベッドの上だった。ゆっくりと起き上がり自分の両手を見下ろす。しっかりと魔力が満ちている感覚に笑みを浮かべる。


「お嬢様!」


 高い声に顔を上げると、ドアから入ってきたマリーが走り寄ってくる。


「目が覚めたのですね!」

「マリー、私、ずっと眠っていたの?」

「ええ。丸一日眠っておりました」

「心配掛けたわね」

「いいえ……、ご無事で何よりです」


 マリーが涙を拭ってそう言うと、ハッとして顔を上げた。


「そうでした! 陛下がお見舞いに来て下さっていて」

「陛下が!?」


 マリーが慌ててまたドアに寄ると、オージェを招き入れる。

 部屋に入ってきたオージェは足早にベッドに寄ると、エステルの顔を見てホッとした表情になった。


「やっと目が覚めたか。ずっと眠っていたから心配した」

「ご心配おかけいたしました。陛下のお身体はどうですか? 魔力などお変わりありませんか?」

「私は大丈夫だ。エステルが守ってくれたおかげだ」


 オージェはベッドに浅く腰を掛けると、エステルの手を握る。


「傷は治癒魔法で治させたが、どこか痛むところはないか?」

「ありがとうございます。もう大丈夫です」


 エステルはオージェの目を見て微笑む。


「魔力は?」

「……大丈夫です」


 オージェの質問に少しだけ間を置いて頷くと、オージェは眉を歪めた。


「昔のように魔法が使えるようになったんだな」

「陛下……」

「すまない、エステル……。私は、どうやって詫びたらいいんだ……」

「謝って頂くようなことを陛下はなにもしていません」

「いや……、エステルが私に魔法を使えるようにしてくれたのに、私はすっかり忘れてしまっていた。魔法が使えないのは私だったのに……」

「本当に全部思い出したのですね」


 穏やかな声でそう言うと、オージェは静かに頷いた。



◇◇◇



 木漏れ日が差す秋の森は、赤や黄色に木々の葉が染まり、とても美しく輝いている。

 エステルは鼻歌を歌いながら散歩をしていると、しゃがみこんでいる小さな男の子を見つけた。


「どうしたの?」


 顔を両手で覆って泣いている男の子に話し掛けると、そばにしゃがみ顔を覗き込む。

 銀髪の男の子はまだしくしくと泣いたままだ。


「あなた迷子? それともお腹が空いたの? 私お菓子持ってるよ」


 5歳くらいの男の子はエステルの言葉に反応して、ゆっくりと顔を上げた。潤んだ水色の瞳を見て、エステルは笑い掛けると、ポケットからクッキーを取りだす。


「さっきテーブルから持ってきたの。どうぞ」

「いいの?」

「私はいっぱい食べたから」


 9歳になって初めて参加しか宮殿の豊穣祭は、子供たちのためにたくさんのお菓子が用意されていた。父と共に参加したエステルはお腹いっぱい美味しいものを食べたあと、大人同士の会話に退屈になり、森のように広い庭に興味を引かれ散歩をしていた。

 男の子はクッキーを食べてもまだしょんぼりとしていて、エステルは少し考えるとポンと手を打った。


「ねぇ、見て!」


 星の魔法を男の子の頭の上に放つと、男の子は目を見開いて驚く。

 キラキラとした光が雪のように男の子の頭に降ってくる。男の子はパッと立ち上がると、手を伸ばしてその光を掴もうとする。その顔が笑顔でエステルはホッとすると、また魔法を放った。


「すごい! キラキラしてる!」

「星の魔法よ。綺麗でしょ」


 小さな流れ星を目で追いかけている男の子は、すっかり元気になったようだった。


「すごいね! お姉さんの魔法」

「ありがとう」

「えーと、これあげる」


 男の子はそう言うと、ポケットからドングリを取りだした。


「お礼ってこと?」

「うん。何かしてもらったらお礼をしなくちゃいけないって、母上が言ってたから」

「嬉しいけど、これ、あなたの宝物じゃないの?」

「うーん、でも……」


 小さな頭を傾げて悩む男の子にエステルは微笑むと、足元にもたくさんドングリがあるのに気付いた。


「ねぇ、じゃあ、二人でドングリ拾おうか」

「え?」

「それで、その中で一番綺麗なドングリを私にちょうだい」

「いいよ!」


 男の子は嬉しそうに返事をすると、またしゃがみこんでドングリを拾いだした。

 エステルも一緒にドングリを拾っていたが、その中に枯れ草を見つけ指先で摘み上げる。


「それはドングリじゃないよ」

「そうね。これは枯れ草。私の髪みたい。ほら、そっくりでしょ?」


 そう言って枯れ草を髪に並べてみせると、男の子はキョトンとした顔をしたあと、首を振った。


「全然似てないよ。お姉さんの髪は麦の穂みたいにきれいだよ」


 まさかそんなことを言ってもらえるとは思わず、エステルは目をパチパチさせて驚いた。いつも同い年の女の子たちにからかわれて、すっかり自分の髪を嫌いになっていたエステルにとって、男の子の言葉は思いがけず慰められた。


「ホント? 君は麦畑を見たことあるの?」

「うん。父上と一緒に出掛けた時に馬車の中から見たよ」

「そうなんだ。麦の穂かぁ……。そんな風に思ったこと、一度もなかったな。ありがとうね」


 エステルがお礼を言うと、男の子は不思議そうに首を傾げた。

 それからまたドングリを拾い始めると、エステルは男の子に話し掛けた。


「ねぇ、なんでここで泣いてたの?」

「……父上に怒られたの」

「あら、何かいたずらでもしちゃった?」

「ううん……。僕が魔法を使えないから……」

「魔法が使えない?」


 エステルはその言葉に顔を上げる。男の子はまたしょんぼりとして「うん」と小さく頷いた。


「魔法が使えないから父上はずっとイライラしてるんだ……。このままじゃ跡継ぎになれないって……。どうしたらいいんだって……」


(貴族に生まれて魔法が使えないなんて辛いだろうな。跡取りということは長男なんだろうし……)


 男の子に同情を覚えながらそばに寄ると、男の子の頭を撫でる。


「お姉さんみたいな魔法が使えたら、父上も母上もきっと喜んでくれるんだろうな……」


 慰めの言葉が思い付かず、エステルは困ってしまう。

 自分が慰められたように、男の子に優しい言葉を掛けてあげたいのに、上手い言葉が浮かばない。

 本当に魔法が使えないのかと、エステルは男の子の額に手を当て目を閉じる。すると身体の中に魔力があることが分かった。


(魔力がある。これは……)


「エステルー!」

「お兄様!」


 ふと自分の名前を呼ぶ声が聞こえて目を開けると、兄のアランが走って近付いてきた。


「エステル、父上が探しているぞ。早く戻ろう。ん? その子は?」

「あ、えっと、ここで会って、一緒に遊んでいたの」

「え? おい、この方は皇太子様だぞ!?」

「ええ!?」


 驚きの声を上げるエステルの腕を引っ張ると、アランは男の子―オージェ―に頭を下げた。


「妹が失礼致しました、殿下。ほら、エステルも頭を下げろ」

「う、うん。申し訳ありません、でした」

「いいよ、気にしないで。僕が名前を言わなかったのがいけないんだ」


 オージェがそれまでとは違い落ち着いた声で答えるのを聞いて、エステルは頭を上げるとオージェを見た。

 アランを見るオージェの表情は、どこか泰然としていてさきほどまでとはまったく違うように感じた。


「殿下はなぜお一人で? お付きの方はどちらにいらっしゃるのですか? お呼びしてきましょうか?」


 アランが次々に質問するが、オージェは眉を歪めるだけで答えない。

 エステルはその様子に、アランの腕を掴んで言葉を止めた。


「お兄様」

「なんだ?」

「……お兄様は、殿下が魔法を使えないのを知ってる?」

「魔法が使えない? そんな馬鹿な。殿下はお健やかに育っていると発表されて……」


 アランは笑ってそう言ったが、エステルの顔とオージェの顔を見て言葉を途切らせた。


「本当なのか?」

「そうみたい」


 エステルは短く答えると、オージェの顔を見つめる。

 貴族で魔法が使えない者は、ひっそりと暮らすか修道院のようなところへ押し込められてしまう。

 皇太子ということは次期皇帝だ。けれど魔法が使えない以上、皇帝にはなれないだろう。この国はそういう国だ。魔法が使えるのが当たり前。使えない者は人としてさえ認められない時がある。


「次期皇帝が魔法を使えないなんて知られたら大騒ぎになるぞ」

「私なら……、私なら殿下が魔法を使えるようにできるかも」

「本当!?」

「え!? どうやって?」


 オージェとアランが二人同時に声を上げる。


「殿下は魔力の器が壊れているから魔法が使えないのよ」

「器が? じゃあ魔力はあるってことか?」

「そう。器を直してあげれば魔法が使えるようになるはずよ」


 エステルの説明にアランは頷くが、オージェは意味が分からなかったのだろう。エステルにしがみついた。


「どういうこと!? 器ってなに!?」

「殿下。魔法が使える者の身体の中には、魔力を溜める器のようなものがあるのです。殿下の場合、器はあるけれどそれが壊れてしまっているのです」

「じゃあそれを直せば僕は魔法を使えるの?」

「そうです」


 エステルが頷くと、オージェはパッと笑顔になる。だがその隣でアランは厳しい顔をエステルに向けた。


「エステル、本当にできるのか?」

「うん。できる」


(こんなに小さな子が皇帝である父親に見捨てられてしまうなんてかわいそうだもの。私がなんとかしてあげなくちゃ……)


 エステルはそう思うと、オージェににこりと笑い掛けた。


「殿下、両手を出してください」

「手?」


 オージェが差し出した小さな手を握り、額と額をそっとつける。

 エステルは感覚を研ぎ澄ませると、自分の魔力をオージェへと流し込む。だがやはりオージェの器に魔力が溜まることはなく、体外へと流れ出てしまう。


(これじゃだめだわ……)


 魔力の器を直すためには原初の魔力を使うしかない。エステルは自分の魔力の底にある原初の魔力をオージェに注いだ。


「お姉さん……、なんかお腹が変……」


 オージェの不安そうな声に耳を傾けながらも、エステルは答えずに魔力を注ぎ続ける。思ったよりも自分の魔力を使ってしまっていることに不安を感じたが、それでも手を放すことなく最後まで魔力を注いだ。

 5分ほどして目を開けたエステルは、どっと疲労が押し寄せてきてオージェの手を放すとその場にへたり込む。


「どうですか? 殿下」


 オージェは目をキラキラさせて自分の手を見下ろしている。


「エステル、成功したのか!?」

「たぶん……」


 アランに訊ねられてエステルは頷く。


「お姉さん、見て!」


 オージェが高い声でそう言うと、両手をパンと叩いた。その途端、周囲にバチバチッと火花のような小さな稲妻が走る。


「これが魔法!?」

「そうです。殿下は雷の力があるようですね」


 珍しい雷の性質に驚きながら、エステルは自分の異変に気付いた。胸に手を当て自分の魔力を探る。


「嘘……」

「エステル?」


 身体の中から魔力がこぼれ落ちていく。ひび割れた器から水が抜けていくように、いくら止めようとしても勝手に魔力が減っていく。

 エステルは慌てて星の魔法を紡いだ。けれど、開いた手のひらに点るはずの光は、どれほど集中しても現れない。


「魔法が……使えない……」


 愕然と呟くエステルの隣で、アランが目を見開く。

 オージェはそんな二人の様子には気付かず、笑い声を上げながら雷の魔法を放ち続けていた。



◇◇◇



「私は魔法が使えるようになって、いつの間にかそなたのことを忘れてしまった」

「あの時、陛下はまだ5歳でした。5歳なら忘れて当然です」

「いや……。私はあの時、魔法が使えないことで、父上に捨てられてしまうかもしれなかったということを忘れたかったんだと思う。そしてそれに怯えていた情けない自分も忘れてしまいたかったんだ」

「陛下……」


 オージェはエステルの手をギュッと握り、辛そうに眉を歪める。


「私に関わらなければそなたは魔法を失わず、普通の人生を送れたはずだ。本当にすまない……」

「謝らないで下さい、陛下」


 エステルは項垂れるオージェに優しく声を掛ける。ゆっくりと顔を上げたオージェににこりと笑い掛ける。


「私は陛下にしたことを後悔はしていないんです。それにあれは私のせいです。私の驕りが招いたことです」

「驕り?」

「はい。私は魔法を教えてくれていた先生に、逸材だ、天才だと褒められて自分の力を過信していたんです。私なら陛下を治せるって。その驕りがこういう結果になったのです。決して陛下のせいじゃありません」

「……そなたを忘れていた間、心の奥底ではそなたに償わなければならないと思っていたんだろう。朧げに覚えていたそなたの姿をいつも私は探していた。その髪を……」


(クロト様が言っていた初恋の君って、もしかして私のことだったの?)


 オージェが自分のことを完全に忘れていたのではなかったことがエステルは嬉しかった。それがぼんやりとした記憶だったとしても、決してオージェは自分をないがしろにした訳ではないのだと思えた。


「そなたがいなかったら私は皇帝にもなれず、捨てられていただろう。今の私がこうしていられるのは、そなたのおかげだ。ありがとう、エステル」


 オージェはそう言うと、エステルの目をじっと見つめ手をギュッと握り締めた。


「魔法のせいで周囲から怯えられて、怒りを撒き散らしていた私は、そなたの話すこと、やることになぜか目が離せなかった。魔法が使えず生きづらいはずのそなたが、決して後ろを向かず胸を張って生きている、その姿にとても惹かれた」


 オージェの言葉にエステルの胸がドキッと跳ねた。あまりにも熱っぽく見つめられて、エステルは金縛りにあったように視線を逸らすことができない。


「そなたのような尊敬できる女性に初めて会った。私のそばにずっといてほしいと思った女性は、そなたが初めだ」

「そ、そんな……」

「今回はそなたに守られてばかりだったが、これからは私がそなたを守りたい。エステル、私と結婚してほしい」


 オージェの突然の求婚にエステルは声もなく驚いた。オージェが自分のことをそんなふうに思っていてくれていたなんて思わなかった。

 涙が溢れてきてエステルは顔を歪める。


「私で……いいんでしょうか……」

「エステル、そなたがいいんだ」

「陛下……」


 本当はオージェに惹かれている自分に気付いていた。オージェと会うたび、話すたびに、そばにいられればと思う気持ちが大きくなった。皇帝とかそういうことは関係なく、支えていきたい、守りたいと思っていた。


「陛下……」

「オージェと呼んでくれ」

「オージェ様……、私も、オージェ様を守りたい。おそばにいさせて下さい」


 頬に流れる涙をオージェが指先で掬うと、間近で嬉しそうに笑う。それにつられてエステルも微笑むと、二人は静かに唇を触れ合わせた。

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