第28話 二人の関係
「オリヴィエ様……」
いつも一緒にいる取り巻きはおらず、オリヴィエは一人でそばに歩み寄るとエステルの目の前で足を止めた。
「私に言うことがあるわよね?」
「ご婚約、おめでとうございます……」
沈んだ声で言うと、オリヴィエは勝ち誇った顔で「ありがとう」と答える。
「私は魔法も使えて、魔力も十分にある。私なら誰もが認める皇后になれる」
「そう、ですね……」
「私が早くこうなっていれば、あなたが宮殿に呼ばれることもなかったわね。儚い夢を見させてしまってごめんなさいね」
オリヴィエの言葉にエステルは何も言えず俯いた。いつもならこんなことまったく平気なのに、オリヴィエの言葉が胸に突き刺さるように痛みを感じ声が出ない。
「準備が整い次第、婚約発表があると思うけど、そうなればオージェ様はとても忙しくなるわ。皇帝の結婚は国にとって重大な行事ですもの」
そこまで言うと、オリヴィエはエステルにさらに近付き顔を覗き込む。
「だからね、もうオージェ様のそばに近づくのはやめてちょうだい」
「それは……」
エステルは動揺しながらも顔を上げると、それまでのにこやかな笑顔を消しオリヴィエが冷えた目を向ける。
「二人でこそこそ何をしているか知らないけれど、オージェ様と二人きりで会うなんてもう許されないわ。あなたみたいな人と良くない噂が立てば、オージェ様に悪影響がでる。それは分かるわよね?」
「はい……」
オリヴィエの言うことはもっともで、エステルは素直に返事をするしかなかった。
「分かってくれて嬉しいわ。クロトには私から言っておくから、あなたは早く宮殿を去りなさい」
「分かりました……」
オリヴィエは念を押すようにそう言うと、踵を返し去って行った。
エステルはしばらくその場から動けず、ただオリヴィエから言われた言葉を反芻させ唇を噛み締めた。
◇◇◇
次の日、気持ちが浮上できないまま、クロトの部屋で書類整理を手伝っていると、オージェから呼び出された。
会うことに戸惑いはあったが、呼び出しに応じないわけにもいかず、重い足取りでいつもの場所へ向かうと、オージェが木立の中に佇んでいた。
「陛下、お待たせして申し訳ありませんでした」
「いや……」
少し距離を取って足を止め頭を下げると、オージェは弱く首を振る。
「ご婚約、おめでとうございます」
先にこれだけは言っておかなければと、頭を下げて口早に告げる。
ゆっくりと頭を上げて恐る恐る顔を見ると、オージェは何かを言いたげな顔をエステルに向けていた。
「陛下、今日でこのお役目を終わりにしていただくことはできませんでしょうか」
「え……? だが、まだ私は魔力を制御できていないではないか」
「それはそうなのですが……、オリヴィエ様とご婚約が決まった以上、私のような者が陛下のおそばにいるのは良くないかと。それにやはり宮廷魔法使いの方々の顔を潰すわけには……」
オリヴィエに素直に従ったわけではない。けれどオージェのためを思えば、身を引くより他はなかった。
「宮廷魔法使いのことは気にする必要はない。もし咎められるようなら私から言えばいいことだろう?」
「陛下にそのようなことをしていただく訳にはいきません」
「そなたは私を見放すのか?」
「見放すなんて! そうではなく……、オリヴィエ様とご結婚されるのであれば、もう私は必要ないかと……」
「必要だ!」
突然、オージェが声を上げると、エステルの左腕を掴んだ。
エステルが驚いて顔を見ると、オージェは必死な様子でもう片方の腕も掴む。
「必要ないなどと言うな! そなたがいなければ私は自分が嫌いなままだった! 皆を傷つけて、親さえも触れることができぬ、化け物のようだと……。でもそれをエステルは大丈夫だと、治せるのだと言ってくれて、どれだけ救われたか……」
「陛下……」
「そなたは、どう思っている? 私のそばにいたいと思ってはくれないのか?」
「そ、それは……」
じっと見つめられて、エステルは金縛りにあったように動けなかった。
自分が何を言ったところで、オリヴィエとの結婚は決まっている。それなのになぜオージェは自分の気持ちを聞こうとするのだろうか。
(私は……、私の気持ちは……)
自分がオージェをどう思っているのか、ずっと考えないようにしてきた。けれど今こうしてオージェに問われて、やっと心の奥にある気持ちが形になってきたのが分かる。
「私は、あなたが……」
オージェの強い視線に引きずられるように口が勝手に動いてしまう。けれどその時、強い風が二人にぶつかり腕が振り解かれた。
「オージェ様!!」
ドレスを翻してオリヴィエが走ってくる。そのままオージェのそばまで来ると、その腕を掴みエステルから遠ざけた。
「エステル! 下がりなさい!!」
叫ぶようにそう言うと、エステルに向かって右手を振り払った。その途端、鋭い風がエステルに放たれる。
エステルは咄嗟に身体を捻り避けようとするが、弧を描いて追い掛けてきた風の刃に腕が触れ、痛みに顔を歪ませた。
「くっ……」
「オリヴィエ! やめよ!」
「オージェ様に近付くなと言ったはずよ!」
「エステルは私が呼んだのだ!」
オージェの怒鳴り声にオリヴィエは片眉を上げると、右手をすっと下げた。
エステルは左腕の傷口を右手で掴みどうにか痛みを堪える。溢れる血が腕を伝いポタポタと地面に落ちるのを見て、エステルはオリヴィエを睨みつけた。
(上級魔法……。こんなに強い魔法を瞬時に……)
これまでのオリヴィエの魔力では考えられないことだ。それも使うのが難しい上級魔法をこうも簡単に放つとは思わず、完全に油断した。
「エステル! 大丈夫か!?」
「大丈夫です、陛下……」
「オリヴィエ、なんてことを……」
「オージェ様。このような者と近しくするのはもうおやめ下さい。皇帝がするような行動ではありません」
「オリヴィエ!」
オージェの怒りをものともせず、オリヴィエは平然とした顔でエステルを見据える。
「エステル、分をわけまえないのなら、それ相応の罰を与えなければならないわよ」
「も、申し訳ございません……」
エステルが頭を下げると、オリヴィエは意地の悪い笑みを浮かべた。
そうこうしている内に、衛兵がバラバラと集まってくる。
「どうかなさいましたか、陛下」
「いや……」
「エステルのことを公にしたくないのであれば、もう参りましょう。お前、その者をベルオード卿のところへ連れて行きなさい。いいわね」
「はっ!」
衛兵の一人に指示を出すと、オリヴィエはオージェの腕を引っ張るように歩きだした。
オージェは青い顔をして、一緒に歩いて行ってしまう。その後ろ姿を見て、エステルは眉を歪めたままその場に膝をついた。
「あの、大丈夫ですか?」
「はい……」
腕の痛みより、心の動揺の方が大きくて顔を上げられない。
オージェは怪我を心配してこちらに来てくれるかと思った。けれどエステルの思いとは裏腹に、オージェはオリヴィエと行ってしまった。
(当たり前じゃない……)
うぬぼれていた自分が恥ずかしい。もしかしたら自分の方を選んでくれるのではないかと、一瞬でも期待した自分に腹が立つ。
エステルは自分の気持ちを振り払うように立ち上がると、衛兵の助け手を断り、自分の部屋に戻った。
――それから1週間後、オージェとオリヴィエの婚約が正式に発表された。




