第21話 お仕置き
それから宮殿に滞在して2週間ほどは何の波風もなく過ぎた。エステルはクロトの後ろに控え、宮殿のあちらこちらについて回った。宮殿内は衛兵もいることから、エステルの仕事はないにも等しく、もっぱら資料の整理やお茶の相手が主だった。
今日もクロトは朝から大臣たちと会議に出ている。エステルはその間に、クロトに集めておいてくれと頼まれた本を探しに宮殿の書斎に来ていた。
大きな本棚を見上げて、右から左へと視線を動かす。目当ての本を見つけると、手を伸ばして本を取った。
「これでよし、と……」
分厚い本を4冊胸に抱え、書斎を出ようとすると、大柄な男二人が道を塞いだ。
「君がベルオード卿の護衛か?」
「……ええ、そうですが」
誰かの護衛がまた興味本位で声を掛けてきたのかと静かに返事をすると、二人は目を合わせて頷く。
「実はベルオード卿に仕事を頼まれた。ちょっと一緒に来てくれるか?」
「クロト様に?」
「ああ」
「……分かりました」
なんとなく胡散臭さを感じたが、エステルはここで揉めるのもどうかと思い従うことにした。
持っていた本をテーブルに置き、二人の後ろについていく。庭に出て木立ちの中に入ると、どんどん人気がなくなっていく。そうしてかなり奥まったところまで行くと、オリヴィエが待ち構えていた。
「連れて参りました、お嬢様」
「よくやったわね」
オリヴィエはそう言うと、エステルを睨みつける。
「どうしてここに呼ばれたか分かる?」
「いいえ」
「あなたがあまりにも図々しいからよ」
ここに自分がいることがオリヴィエに知られてしまった以上、またお茶会の時のような陰湿ないじめを受けるかもしれないと覚悟していた。だが今回はどうやらそんな回りくどいことはしないらしい。
「私は仕事でここにいるだけです」
「仕事? 笑わせないで。皇后の座が諦められないから、クロトに取り入ったんでしょう? 分かっているのよ」
「取り入っただなんて……」
オリヴィエは腕を組んでふんと顎をそらす。
エステルはどうにかこの場をやり過ごそうと、オリヴィエを怒らせないようにできるだけ言葉を選んで答える。
「そんな格好をしてまでオージェ様の目を引こうとするなんて、あんまりにも滑稽で呆れてしまうわ」
「護衛は動きやすい格好でなくてはいけませんので。お目汚しであれば謝ります」
「魔法も使えないあなたが護衛なんて務まるわけないじゃない。クロトをどうやってたらし込んだの?」
「雇用の条件に関しては、私には分かりかねます。クロト様にお聞き下さい」
たんたんとエステルが答えると、オリヴィエは表情がさらに険しくなる。
「あなたのような者に、オージェ様のそばをうろつかれると迷惑なのよ」
「陛下に自分から近付くようなことはしておりません」
「この前二人で会っていたじゃないの!!」
オリヴィエは目を吊り上げ、ヒステリックに怒鳴った。
「あれは……」
(陛下の方から声を掛けてきたんだけどな……)
そうはいっても、それをオリヴィエに言ったところで納得しないだろう。
「……クロト様の宮殿での仕事は、あと1ヶ月ほどです。そうすれば私はクロト様と共に領地に戻ります。それまで陛下にはできるだけ近付かないようにいたしますので、ご容赦願えないでしょうか」
エステルはできるだけオリヴィエを怒らせないように丁寧に言ってみたが、まったくオリヴィエの表情は変わらない。
「私がこれだけ言っているのに従わないなんて……」
オリヴィエはわなわなと肩を震わせると、後ろに控えていた男に目を向けた。
「言葉で言って分からないなら、仕方ないわね」
「オリヴィエ様?」
オリヴィエの言葉に頷いた男が、スラリと腰の剣を引き抜く。ギョッとしたエステルは慌てて身構えた。
「おやめ下さい! 宮殿でこのようなこと!」
「態度の悪い護衛にお仕置きをするだけよ。やりなさい」
剣を持った男がゆっくりと前に出る。もう一人の男はオリヴィエの後ろから動く気配がないのを確認して、エステルは仕方なく魔法剣を鞘から引き抜いた。
「そんなお飾りの剣まで腰に下げて、本当に滑稽だわ。よく宮殿の中を歩けるものね」
オリヴィエの嘲るような言葉には反応せず、近付いてくる男との距離を推し量る。男は余裕の笑みを浮かべて、挑発するように剣先を揺らしている。
微動だにせずエステルがじっと男を見据えると、男は剣を振り上げ、なんのフェイントも入れず振り下ろした。
(遅いな)
大振りの一撃を、エステルは難なくいなす。二撃、三撃と撃ち込まれるが、すべてを受け流すと、男の表情が微妙に変わった。
(女だと思って手を抜いているわね)
この感じからしてきっとこの男は、エステルのことを剣を扱えない者だと思っているのだろう。
「何をしているの! 遊んでいないでさっさと倒してしまいなさい!」
「はい、お嬢様」
男はオリヴィエに返事をすると、剣を握り直し今度は少し強い踏み込みで剣を振るった。力の乗った剣をしっかりと受け止めると、エステルは一度だけ自分から切り込む。男はギリギリで避けると、慌てて数歩下がった。
「お前……」
「剣をしまって下さい。こんなことは無意味です。衛兵などに見つかれば問題になりますよ」
オリヴィエに言っても埒が明かないと男に訴えるが、男はきつい眼差しをエステルに向けると、また剣を振り上げる。エステルは説得できないかと仕方なく剣を構えたが、ふいに魔力を感じて咄嗟に大きく後ろへ飛び退いた。
振り返りオリヴィエの方を向くと、もう一人の男が杖を構えている。
「オリヴィエ様! もうおやめ下さい!」
こんなところで派手に魔法を使えば、すぐに誰かに見つかってしまう。オリヴィエから仕掛けてきたことだが、こちらも剣を抜いている以上、お咎めは受けてしまうだろう。それだけは避けなければと必死で声を上げるが、オリヴィエの表情は変わらない。
「二人とも、早くやりなさい!」
「はっ!」
今度は二人がかり、それも魔法まで使われては、エステルも余裕ではいられない。
ただこの二人はしっかりと軍などで訓練を受けているようで、太刀筋や魔法の使い方がとても分かりやすい。以前戦った野盗たちは戦い方に癖があり過ぎてとても苦戦した。あれに比べれば、この二人を倒すことはそれほど難しくないだろう。
「こいつ、なんでこんな……」
エステルが大きく剣を振るい、男の剣を弾き返すと、たたらを踏んで後退した男が声を漏らす。
「ちょっと! 何をもたもたしているの!?」
オリヴィエが半ば叫ぶのを聞き流しながら、エステルはさらに男を追い込むために、攻撃の手を休めず畳み掛けていく。その間にももう一人の男が魔法を放つが、何食わぬ顔で吸収し戦い続ける。
防戦一方になった男は、最後には尻もちをつき、怯えた目をエステルに向ける。戦意喪失した表情を見て、エステルはすぐに標的を変えると、もう一人の男へと剣を向けた。
「くそっ!」
男が悪態をつきながら水の魔法を放つが、エステルはそれを魔法剣で切り捨てると、まっすぐに男へと切り込む。
「ひ、ひぃ!」
身体の前に差し出した杖を真っ二つに切ると、男が情けない声を上げてその場にうずくまった。
「う、嘘でしょ……」
オリヴィエが二人を見下ろして驚愕の声を上げるのを見ながら、エステルは少しだけ乱れた呼吸を整え剣を鞘へしまう。
「オリヴィエ様」
「近付かないで!」
恐ろしい化け物でも見るような目でエステルを見たオリヴィエが声を上げる。
「何をしているんだ!」
木立の向こうで声がしたと思ったら、オージェとクロトが走り寄ってきた。それを見たオリヴィエは突然その場にガクリと膝をつくと泣きだした。
「オージェ様! エステルが突然襲ってきたんです!」
「なに!?」
「私の護衛はエステルが女性だからと手を出せないのをいいことに勝ち誇って……、なんて酷いの……」
両手で顔を覆って泣くオリヴィエのそばに膝をついたオージェが、エステルを見つめる。
「違います! 私はオリヴィエ様に呼び出されただけです!」
「嘘よ! あなたが待ち伏せしていたんでしょ!?」
このままではオージェに誤解されてしまうと弁明しようとするが、オリヴィエが金切り声を上げてそれを遮る。
隣に立ったクロトに視線を合わせると、クロトは呆れたような表情で肩を竦めた。
「怪我はないか?」
「はい」
オージェが優しくオリヴィエに声を掛ける。オリヴィエは嬉しそうに頷くと、勝ち誇ったような顔をエステルに向けた。
「オージェ様。エステルを罰して下さい。宮殿でこんなこと、許されません」
「そうだな……。クロト、オリヴィエに手を貸してやってくれ」
「はいはい」
クロトがやれやれとそばに寄り手を差し出すと、オリヴィエはその手を握りゆっくりと立ち上がる。
オージェに視線を向けられたエステルは、しょんぼりとしてその場に膝をついた。
(やっぱりオリヴィエ様の言葉を信じるよね……)
幼馴染のオリヴィエへの信頼は、きっとエステルが思うよりも大きい。こんな状況では、エステルが何を言ったって信じてもらえないだろう。
エステルは諦めて罰を受けようと項垂れる。
「護衛同士で揉めるのは、ままあることだ。エステルはクロトの護衛になって日も浅い。宮殿ではまだ不慣れなこともあるだろうし、今回は目を瞑る」
「オージェ様!?」
オージェの言葉にエステルは驚き顔を上げる。だがそれ以上にオリヴィエが驚いて声を上げた。
「二度とこのようなことがないように。いいな?」
「……申し訳ありませんでした」
寛大な処置にエステルは安堵し、頭を深く下げる。
「ま、待って下さい! お咎めなしだなんて……、そんなの絶対だめよ!」
「オリヴィエ」
「私に剣を向けたのですよ!? こんなこと絶対に許されないわ!!」
怒り狂うオリヴィエにオージェが冷えた眼差しを向けると、オリヴィエはビクリと震えて口を閉ざした。
「オリヴィエ、余の決定を不服だと言うのか?」
「い、いいえ……」
「ならばこれ以上騒ぎ立てるな。いいな?」
「分かりました……」
微かな声で返事をしたオリヴィエは、一度エステルを睨みつけると、ふんと顎をそらして去っていった。地面に膝をついて控えていた男たちは、そそくさとその場から逃げるようにいなくなった。
オージェはその背中を見送り浅く溜め息をつくと、もう一度エステルを見た。
「一度だけだ。いいな?」
「陛下のご厚情に感謝致します」
どうしてかばってくれたのかは分からないが、とにかく一度だけでもありがたいとエステルはもう一度頭を下げた。
オージェはそれを見て、一度小さく頷くと、クロトに「後は任せた」と言ってその場を去っていった。
オージェの姿が木立の向こうに見えなくなると、エステルはゆっくりと立ち上がる。
「随分とオリヴィエに嫌われたみたいだね」
苦笑して言うクロトに、エステルは溜め息をつきながら顔を向ける。
「なぜここが分かったんですか?」
「書斎に僕が頼んでおいた本を置いていっただろう? 近くにいた衛兵に訊ねたら、エステルが男二人とこちらに歩いていくのを見たと言ってね」
「陛下はなぜ一緒に来たんですか?」
「たまたま僕と一緒にいたんだよ」
「たまたま?」
「たまたま」
「そう、ですか……」
これ以上聞いてもどうせ答えてはくれないだろうと口を閉じると、クロトは笑ってエステルの肩をポンと叩いた。
「怪我がなくて良かったよ。さ、部屋に戻ろう」
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
「いいさ。良い退屈しのぎだよ」
そうしてエステルはクロトと一緒に部屋に戻ったのだった。




