第20話 仕事
エステルは何と答えていいか分からず黙っていると、クロトがゆっくりと歩み寄って隣に並んだ。
「陛下、エステルは新しい僕の護衛ですよ」
「護衛?」
「就職先に困っていたようなので、僕が雇ってあげたんです」
「クロト様」
余計なことは言わないでほしいと名前を呼ぶと、クロトは笑って肩を竦める。
「エステル、隣の部屋で待っていなさい」
「分かりました、クロト様。……失礼致します、陛下」
怪訝な表情を向けるオージェから逃げるように、エステルは頭を下げると足早に隣の部屋に向かった。
「はぁ……」
ドアを閉めて大きな溜め息をつく。
(絶対変に思ったよね……)
クロトの立場上、オージェに会わないわけはないと思っていたけれど、こんなに早く会ってしまうとは思わず、動揺しておかしな態度を取ってしまった。
(こんな男装なんかして……、怒られないかしら……)
「君、ベルオード卿の新しい護衛なのかい?」
「え!?」
突然声を掛けられて顔を上げると、他の貴族の従者たちがわらわらと集まってくる。
皆興味津々という顔でエステルを見ている。
「そ、そうです……。これからよろしくお願いします」
「女性で護衛なんて初めて見たよ。よっぽど腕が立つんだろうな」
「そんなことは……」
「元々騎士なのかい?」
「いいえ……」
男性に気さくに声を掛けられることなどなかったエステルは、何を話していいか分からず口ごもる。従者たちは口数少ないエステルに顔を見合わせると、興味を失ったようにそれぞれ仲の良い者たちで話を始めた。
エステルは安堵して息を吐くと、部屋の隅にあるイスに座り、後は静かに会議が終わるのを待った。
2時間ほどしてようやく会議が終了すると、貴族たちがぞろぞろと廊下に出てきた。
「お疲れ様です、クロト様」
「あー、疲れた。何か甘いものでも食べたいなぁ」
「すぐにご用意します。お部屋でよろしいですか?」
「うん、よろしく」
クロトと話しながら廊下を歩き始めると、驚いたことにオージェが会議室から飛び出して走り寄ってきた。
「エステル!」
「陛下……」
足を止めて振り返ると、オージェは複雑な表情で近付いてくる。
「どうやら陛下は君に話があるようだね」
「クロト様……」
「行っておいで」
「ですが……」
「いいよ。この後はもう用事もないしね。僕は疲れたから、部屋で休んでいるよ」
「分かりました……」
笑ってそう言ったクロトは、一人で行ってしまう。取り残されたエステルは、気まずい気持ちでオージェを見た。
「話せるか?」
「はい……」
オージェの言葉に小さく頷くと、二人で中庭に出た。
「護衛とはなんだ? なぜそなたがそんなことをしている」
「私は……」
木立の中で足を止めたオージェが、振り返り質問してくる。
エステルはオージェの顔を見つめ、どう答えるべきかを考えた。
「そんな恰好をして……。あの後、そのままクロトのそばにいたのか?」
「……色々とありまして、仕事をすることになったんです」
「色々とはなんだ」
まさか結婚ができないから就職しましたなどとは言えず、エステルは口ごもる。
オージェはそんな様子に盛大に溜め息をついた。
「そなたは子爵令嬢だろう? なぜ仕事をする必要があるんだ」
「貴族だろうと、仕事をしなくてはいけない者はたくさんおります。……お察しください」
「どう察しろというんだ。働くというなら、他にいくらでもあるだろう?」
「……私に選択権があるとお思いなのですか?」
オージェの言い分に少しだけ腹が立って、エステルはつい言い返していた。
「私にも色々と事情があるのです」
「それは……、だが、護衛など……。クロトはまたおかしなことを考えているに違いない。危ない目に遭う前に辞めた方がいい」
「私だってそのくらいは分かっています。でも、やると決めたからには最後までやりたいのです」
なぜこんなことをオージェに言われなければならないのだろう。もはや自分とオージェは何の関係もない。ただ少し顔見知りになったというだけだ。
自分が何をしようと、オージェに何かを言われる筋合いなどないはずだ。
「エステル、だが……」
「オージェ様! ここにいらしたのですね。今日は皇太后様と……。あら、騎士とお話ししていらしたのですか?」
聞き覚えのある高い声にオージェが背後を振り返ると、ドレスを翻してオリヴィエが走ってきた。
「あら、見掛けない騎士ですわね。あなた――」
言葉を途切らせたオリヴィエは、みるみるうちに険しい表情になると、エステルを睨みつけた。
「あなた……、まさか、エステル・オーベリン!? なんであなたがここにいるの!? それにその格好はなに!?」
「オリヴィエ、ちょっと黙っていてくれ。今、話をしているんだから」
声を荒げるオリヴィエをオージェは宥めるが、オリヴィエは構わずエステルに詰め寄った。
「どういうつもり!? まさかまだ皇后の座を諦めていないの!?」
「オリヴィエ様、私は……」
「そんな恰好をしてオージェ様の目を引こうなんて、なんて愚かなのかしら!」
エステルが口を挟む合間もなく、オリヴィエは捲し立てる。
「オージェ様、こんな者に関わってはいけません。さぁ、行きましょう!」
オリヴィエはそう言うと、オージェの腕を掴もうとする。けれどその瞬間、バリッと音がしてオリヴィエの指先に火花が散った。
「……オリヴィエ」
「だ、大丈夫ですわ……。行きましょう、オージェ様。皇太后様がお待ちです」
「分かった……」
オージェは小さく溜め息をつくと、一瞬エステルを見てから踵を返した。
オリヴィエと並んで歩くオージェの背中を見つめ、エステルはなんだかどっと疲れを感じてしまい、とぼとぼとその場をあとにした。




