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第18話 勧誘

 唖然としたまま言葉が出ないエステルに、クロトは話し続ける。


「ちょうどね、見目の良い護衛を探していたんだよ。君は腕が立つ。魔法は使えないが、その特別な力があれば十分だろう。どうだい?」

「ま、待って下さい! 護衛って……、侍女とかではなく、護衛ですか?」


 やっと呆けた頭が動きだしてエステルが訊ねると、クロトは楽しげに頷く。


「侍女なんていくらでもいるからね。でも女性で君ほど戦える人はいない。騎士を探せばいるかもしれないが、騎士はお堅い人が多いからね。君はなかなか会話も面白いし、そばに置いたら面白そうだと思って」

「面白そうって……、なぜ女性の護衛を? 今そばにいる方ではだめなのですか?」

「皆と同じじゃ面白くないじゃないか。今のところ護衛に女性を付けている者を見たことがない。だから君を誘っているんだよ」


 単に面白いから護衛を女性にしたいというクロトの言い分はまったく意味が分からなかったが、エステルはとりあえずクロトが求めていることが分かって納得した。


「護衛と言っても、私は実戦経験など皆無に等しいです。訓練はしていますが、模擬戦闘のようなものしかしたことがありませんし、お役には立てないと思います」

「僕は前線に行くわけじゃない。領地と皇都を行き来するだけだから、危険なことなど滅多にないよ」

「それなら、なおさら私じゃなくても……」

「剣を持ったこともない子を護衛にするなんて可哀想じゃないか。君は僕との腕試しでも、まったく怯まず戦い抜いた。野盗たちが現れても冷静に戦っていた。実力があるなら、その身に見合った生き方をすべきだと思うよ」


 クロトの言葉にエステルは少しだけ嬉しさを感じた。

 魔法を使えないというそのことばかりをいつも気にしていた。剣の修業は単なる護身用で、それを褒めてもらえたことなど一度もなかった。


「剣技を褒めていただけてありがたいですが……」

「ああ、そうだ。給金の話をしていなかったね。そうだな、君なら月25万でどうだい?」

「に、25万!?」


 どう断ろうかと思っていたエステルだったが、25万という金額に驚き思わず声を上げてしまう。

 25万もあれば皇都では一人でも十分に暮らしていける。エステルが探していた仕事の中に、こんなに高い給金が貰える仕事はなかった。


「君は子爵令嬢だし、他の者と一緒というわけにもいかないからね。住むところも用意しよう。お供の子も連れてきて構わないよ」


 あまりの破格の待遇に、断る言葉が出てこない。


(ど、どうしよう……。クロト様の護衛なんて……。でも……)


 働きたいと思っていたのは本当だ。一人で暮らしていけるようになりたいと、自立したいという気持ちはずっとあった。

 ただ就きたい仕事の中にまったく入っていなかった護衛という仕事ということと、クロトのそばにいるということが引っ掛かって頷くことができない。


「分かった。月30万出そう」

「やります!」


 クロトの言葉に、思わずエステルは立ち上がって答えていた。その姿を見て、クロトは満足げににこりと笑った。


「よし。交渉成立だ」


 エステルは上手く乗せられたと一瞬思ったが、もう引き返せないと自分を納得させると「よろしくお願い致します」と頭を下げた。



◇◇◇



「では、クロト様はお嬢様の実力を見るために、腕試しをしたということですか?」

「そういうことみたいよ」


 エステルが答えると、マリーは眉間に皺を寄せたまま紅茶をカップに注ぐ。


「そんなことのために、わざわざ拉致するような真似をしたのですか?」

「そうなるわね……」

「お嬢様、こう言ってはなんですが、もう少しお考えになった方がよろしいのでは?」


 マリーはそう言うと、エステルの前にカップを置く。


「クロト様を信用するには、まだ時間が足りないように思います。悪い方ではないのでしょうが……」

「うん、分かってはいるんだけどね……」


 お金に釣られたような形で頷いてしまったけれど、実際やってみたいと思う気持ちの方が大きいのだ。

 これを断れば、また同じ日々が始まる。それはもう嫌なのだ。

 エステルはもう一度自分の心を整理してみようと紅茶を一口飲んだ。

 しばらく居間でじっと考え込んでいると、扉からノックの音がした。マリーがドアを開けるとメイドが「お客様です」と告げた。


「お客様ですか?」

「エステル!」

「お兄様!?」


 メイドを押し退けて部屋に入ってきたのはアランで、エステルは驚いて立ち上がった。


「お兄様、どうしてここに?」

「どうしてもこうしても……、お前こそ、なんでこんなところにいるんだ!」

「なんでって……」

「リナックに陛下がお越しになって、わざわざここにお前がいると伝えて下さったんだぞ」

「陛下が?」


 エステルはゆっくりソファに座ると、オージェの優しさに微笑んだ。


「陛下から話は聞いたが、色々大変だったようだな」

「うん……」

「クロト様は食えない御方だ。そばにいるのは良くない。早く帰ろう。母上も心配している」

「お兄様、それが……」

「子爵、エステルはもう僕の家で働くことになったからね。勝手に連れて行かれては困るよ」


 突然背後から声がしたかと思うと、クロトが廊下から姿を現した。

 アランは困惑した表情で眉間に皺を寄せながらも、丁寧に頭を下げる。


「ご挨拶が遅れ申し訳ありません。アラン・オーベリンと申します。妹が大変お世話になったようで」

「エステルの兄ならいつだって歓迎だ。これからは会う機会も増えるだろうしな」

「……どういう意味でしょうか。さきほども何かおかしなことを言っていたように思いますが」


 剣呑な雰囲気を隠すこともせずアランが言うのを、エステルは冷や冷やとした気持ちで見つめる。

 相手は公爵だ。一つでも怒らせるようなことをすれば、アランの立場は悪くなるだろう。


「おかしなことなど言っていないよ。エステルは今日から僕の護衛になったんだ。ねぇ、エステル」

「は? 護衛?」


 クロトの言葉の意味がまったく分からなかったのだろう。アランは怪訝な顔をエステルに向ける。

 エステルはこれ以上クロトに話されてはややこしいことになるに違いないと、慌てて二人の間に入った。


「クロト様! あとは私が話しますから!」

「そうかい?」

「お兄様! ちょっとあちらの部屋に行きましょう」

「お、おい!」


 アランの背中を押し、エステルは強引に居間を出て行く。

 クロトが追い掛けてこないのを確認すると、はぁと大きな溜め息をついた。


「エステル、どういうことなんだ!?」

「お兄様、とりあえず私の部屋に来て」


 立ち話でするような内容じゃないと、エステルはアランを自室に連れて行くとソファに座らせる。

 エステルも正面に座ると、最初に頭を下げた。


「色々と迷惑を掛けてごめんなさい、お兄様」

「迷惑なんて……、お前はベルオード卿に騙されてここに来たんだろう? 私が怪我をしたという手紙が来たと陛下が言っていた」

「それはそうなんだけど……」

「働くっていうのは?」


 エステルは一瞬迷ったが、アランに隠し事をするのは嫌で、全部素直に話した。

 アランは険しい表情のまま説明を聞き終わると、深い溜め息をついた。


「護衛の仕事なんて……。ベルオード卿は何を考えているんだか……」

「危ないことはないそうよ。私は単なる飾りのようなものだって……」

「それをエステルがやる必要はないだろう? 働くなんて、なんでそんなことを考えたんだ」

「それは……」


 エステルは口ごもって下を向く。これを言うのは情けなかったが、もうここまで来たら言ってしまおうと顔を上げた。


「もう結婚は無理かなって……。家のお荷物になる前に、働き口を探さないとって思って……」

「お荷物なんて、誰もそんなこと思ってない!」

「分かっています。でも、私が嫌なの……」


 両手を握り締めて言うと、アランは手を伸ばしその手を握った。


「心配することはない。必ず兄さんが良い結婚相手を探してやるから」

「お兄様……」

「お前の良さを分かってくれる人は必ずいる。魔法なんて使えなくたって……」

「お兄様、私、15歳から社交界に出て、もう9年になるわ。もうすぐ10年よ。私のことを知らない貴族は、もうあまりいないと思うの……」

「エステル……」


 エステルはアランに困ったような笑みを向け手を引く。


「この3ヶ月、仕事をたくさん探した。でも、魔法が使えないというのは、仕事先もないの。私はどこへ行っても役立たずで……」

「だからって護衛の仕事を引き受けるなんて……」

「それでも、クロト様は私を必要だと言ってくれたわ」


 誰にも必要とされていないのではないかと落ち込んでいた自分にとって、クロトの言葉は本当に嬉しかった。

 クロトが遊びのような気持ちでエステルを呼んだのだとしても、挑戦してみたいと思ったのだ。


「お兄様、私やってみたいの。ただ結婚相手を待つんじゃなくて、自分の力で生きてみたい」


 アランの目を見つめてはっきりとそう告げると、アランはしばらく黙った後、大きな溜め息をついて笑った。


「お前はたまに驚くべき決断をあっさりしてしまう……。いつも、私は止められないんだな……」

「お兄様……」

「しょうがない。お前はそういう性分なのだろう」


 アランはゆっくりと立ち上がると、ポンとエステルの頭に手を置き優しく撫でる。


「思う通りにやってみろ。母上には私から上手く言っておく」

「ありがとう、お兄様!」

「ベルオード卿と話してくる」

「うん」


 エステルが頷くと、アランは苦笑して部屋から出て行った。


(お兄様にはいつも迷惑を掛けてるな……)


 子供の頃から、ずっとそばにいて守ってくれていた。自分がどんな間違いをしても、常に味方でいてくれた。それがどんなにありがたかったか。


(お兄様のためにも、頑張らなくちゃ)


 エステルはそう決意すると、ギュッと両手を握り締めた。

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