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第14話 日常に戻る

 自宅に戻ると、母が残念そうな顔をして出迎えてくれた。


「ただいま、お母様」

「エステル……」

「ごめんね、帰ってきちゃって……」

「……いいのよ。大変だったでしょ? ゆっくりしなさい」

「うん……」


 母はきっとこのまま皇后になってくれることを願っていただろう。だから謝ったけれど、母はそれを責めるようなことはしなかった。

 エステルはホッとして自室に入ると、部屋を見渡し大きく息を吐いた。


「すっごく疲れたわ……」

「よろしかったのですか? そのまま帰ってきてしまって」


 マリーが手荷物を床に置いて訊ねてくる。それにエステルは笑い返しながら、座り慣れたソファに腰を下ろした。


「挨拶なんて、私からはできないわ。馬車を用意して下さっただけでも、ありがたいことだわ」

「私は少し残念に思っておりますよ」


 マリーはそう言うと、一つ一つ窓を開けていく。この家では、宮殿のメイドたちが使うような魔法は何も使わない。自分の手でできることは、なんでも手でするのだ。


「残念って?」

「私は、お嬢様と皇帝陛下のお心が、少しだけ近付いたような気がしました」

「ええ? そんなことないわ」

「そうでしょうか?」


 エステルは否定したが、マリーは笑顔を向けてじっと見つめてくる。


「そんな目で見ないで。昨日のことは、陛下が自分のせいだと思っていたから、優しくしてくれたのよ。別に好意があるとかそういうことではないわ」

「……そうですか。さて、お着替えをしたら、お茶にしますか?」

「うん。そうしてちょうだい」


 マリーはあまり深く追求することはせず、話を変えると一旦部屋を出て行った。

 一人になったエステルは、ふうと息を吐いて肩から力を抜く。


「心が近付いた、か……」


 そう思っても、もはやそばにいけることはないだろう。自分からは決して近付くことはできない存在だ。

 エステルは胸の中にわずかに芽生えた思いを、良い思い出として蓋をしようと目を閉じた。



◇◇◇



 エステルが家に戻ったことを知った兄のアランは、仕事先の駐屯地から『安心した』と手紙を寄越した。しばらく落胆していた母も、またお見合い相手を探すことに躍起になり、あちらこちらに出向いている。

 こうしてエステルは、また元の生活にあっという間に戻っていった。


「またお見合いを断られてしまったわ……」

「今度はどなた?」

「子爵の次男よ。良い相手だと思ったのに……」


 居間のソファに座り項垂れる母の手には断りの手紙があって、エステルはそれを取ると中身を読んだ。


「皇帝陛下の皇后候補に選ばれたようなやんごとなき方に、我が家の次男が釣り合うわけもなく、今回の見合いは謹んでお断りさせていただきたく……」


 エステルが読み上げると、母が大袈裟に溜め息をつく。


「断る文句が恭しくなったわね」

「何を暢気な感想を言っているの。皇后候補になって、これでお見合いも上手くいくと思っていたのに、断る理由にされるなんて……」

「まぁ、宮殿から追い出されているしねぇ……」


 エステルは苦笑してそう言うと、手紙をたたみテーブルに置く。

 あれから3ヶ月経ったが、お見合いの申し込みさえ断られてしまう有り様で、母はかなり憔悴していた。


「お母様、もうそんなに頑張らなくてもいいんじゃない?」

「何を言っているの! あと半年で25歳になってしまうのよ!?」

「うーん、だからね、結婚は諦めて、私、働こうかなって」


 エステルの言葉に、母はキョトンとした顔をして見つめてきた。


「は、働く?」

「うん。結婚だけが人生じゃないでしょ? この家はお兄様が継いでくれたし、私がずっとここにいてはいつか邪魔になってしまうし」

「そんなことあるわけないでしょ!?」


 母は驚くほど大きな声を出して立ち上がった。握り締めた両手がぶるぶると震えている。


「お母様?」

「あなたは邪魔なんかじゃないわ! そんなこと考えないで!」


 怒鳴るようにそう言った母は、踵を返すと居間を出て行ってしまう。

 エステルは浅く溜め息をつくと、飲みかけの冷めた紅茶に口をつける。


「お嬢様、新しい紅茶を持って参ります」

「……いいわ。ねぇ、マリー、私が働くって、変かしら」

「奥様は、随分ショックを受けていらっしゃいましたね」

「あんなに大きな声を出すお母様を初めて見たわ」


 机の上に置かれたままになった、お見合い相手の手紙を見つめてエステルは考える。


「これだけ断られても、お母様は私に結婚してほしいと思っているのね……」

「奥様にしてみたら、それが一番の幸せだとお思いなのでしょうね」

「マリーはどう思う?」

「私は……」


 エステルが訊ねると、マリーは少し考えてから笑顔で答えた。


「お嬢様がしたいようにするのが一番だと思います」

「それじゃ答えにならないわ」

「私の望みはお嬢様の幸せです。ですから、お嬢様が働きたいというなら、応援いたします」

「そう……」

「はい」


 マリーの答えにエステルは笑うと、手紙をくしゃくしゃに握り潰して立ち上がった。

 それからマリーにも手伝ってもらって、色々な仕事を探した。けれどどれも魔法が使えないとだめなものばかりだった。一番良いと思った貴族の子供の教育係は、魔法の初歩を教えたりするために、魔法が使えない者などまったく見向きもされなかった。

 貴族に関わるような仕事は、何もかもがそんな調子で、魔法が使えないエステルが手を出せるものなど何一つないのだ。いっそ城下町で平民として働こうとも思ったが、平民でさえ魔法が使えない者は就職が難しく、エステルは仕事を探し始めて1ヶ月、ただただ落胆するばかりだった。


「お母様の気持ちがやっと分かったわ……」


 エステルは仕事の不採用を知らせる手紙を持ったまま、テーブルに突っ伏した。


「たった1ヶ月で、もう挫けそう……」


 母はこれをエステルが社交界に出るようになってからずっと味わっていたのだと思うと、頭が上がらない思いだった。


(否定され続けるって、これほど心に痛手を負うのね……)


 断りの手紙を受け取るたびに、期待して膨らんでいた気持ちが壊れて、自分のすべてが否定されたような気持ちになってくる。

 母には内緒で就職活動をしていたが、良い報告などしばらくはできそうになく、エステルは大きな溜め息をついた。


「エステル! エステル!!」


 突然廊下から母の大きな声が聞こえてきて、エステルは飛び上がると手紙をさっとポケットに隠した。

 すぐに部屋に入ってきた母は、血相を変えて走り寄る。


「ど、どうしたの!? お母様!」

「エステル! どうしましょう!? アランが大怪我をしたって!」

「え!? お兄様!? お兄様がどうしたの!?」


 母は青い顔をして皺のついた手紙を差し出す。それを受け取ったエステルは内容を読んで顔色を変えた。


「仕事で怪我をしたって……、どうして……」

「なんでアランが……」


 母は両手で顔を覆って泣き崩れてしまう。

 エステルはかたわらに膝をついて慰めながらも、手紙をもう一度しっかり読んだ。


「お兄様のいた駐屯地はベルオードのリナックだったわよね……。魔物が出たって噂も、戦があったって話も聞かない……。何があったのかしら……」


 手紙は確かに駐屯地から届いたもので、アランは今、近くのラダロックという場所で治療を受けていると書かれている。

 詳細はなく、ただ重症のため、しばらくはそちらに戻ることはできないともあり、怪我の深刻さが窺い知れた。


「アラン……ううっ……」

「お母様……」


 さめざめと泣く母を見て、エステルは決意すると、マリーに顔を向けた。


「マリー、すぐに出掛ける準備を!」

「はい!」

「エステル……?」

「お母様、安心して。私が様子を見てくるわ」

「でも……、リナックなんて遠い場所……」

「大丈夫。馬車で行けばすぐよ」


 エステルは母を安心させるように優しく肩を撫でると、両手を取って立ち上がらせる。


「お兄様はきっと大丈夫よ」

「エステル……、ありがとう……」


 それからエステルは大急ぎで出掛ける準備をすると、マリーと共に馬車に飛び乗った。

 アランがいるのは、ベルダ帝国の東側にあるベルオード領の中の、さらに東にあるリナック砦という場所だ。国境線を守る砦だが、今は戦争も起きていないことから、それほど危険なことはないはずだった。


「ラダロックってリナックの近くなのかしら……」

「地図には書いていませんでしたが、近くまで行ったら土地の者に聞いてみましょう」

「そうね……」


(怪我なんて……、きっと軽いものよね……)


 エステルは膝の上に置いた両手を握りしめて、祈るように考える。

 兄はずっと自分に剣を教えてくれていた。魔法も長けていて、その実力はよく分かっている。騎士隊長として今まで魔物討伐もしてきたが、危ういことなど今まで一度もなかった。

 だからこそ信じられなかったが、兄本人からの手紙もなく、まさかと思う気持ちが心のどこかにあって、落ち着いてはいられなかった。


「きっと大丈夫ですわ、お嬢様」

「そうね……、きっと……」


 マリーの優しい言葉にエステルは微笑むと、窓の外を流れる景色をじっと見つめた。

 5日後、ベルオード領に入ったエステルたちは、ラダロックという場所に向かった。途中で立ち寄った町の人が、ラダロックはリナック砦の近くにある古城の名前だと教えてくれた。


「旦那様は古城で治療を受けているのでしょうか」

「うーん……。古城が兵士たちの治療院になっているのかもね」

「ああ、なるほど……」


 森の中の街道を進み、しばらくして景色が開けると小さな町が見えだした。そしてその先に古い城が聳えているのが見えた。古い造りの城は、宮殿とは違い高さのある造りになっている。

 壁にはツタがびっしりとはびこり、古びたレンガが相当な時代を感じさせる。


「ここね」


 城の前には跳ね上げ橋があるが、今は橋が掛かっていてその前に兵士が立っている。

 馬車を止めると、マリーがドアを開けて兵士に声を掛けた。


「お訊ねしますが、ここにアラン・オーベリンはおりますでしょうか」

「失礼ですが、あなた方は?」

「私どもはオーベリン家の者でございます」

「ああ。ではそのまま中へお入り下さい」


 兵士はすぐに笑顔で頷くと、道を開けてくれる。

 橋を通って城内に入ると、中は思っていたよりも広く、よく整備されているように見えた。

 広場で馬車を降りた二人は、キョロキョロと周囲を見渡す。


「治療院、という感じではありませんね……」

「そうねぇ……」


 見渡すかぎり兵士の姿はない。二人で首を捻っていると、玄関から男性が出てきた。


「いらっしゃいませ」

「あ、ええ。私はエステル・オーベリンと申します。兄のアランがこちらで治療を受けていると、連絡を受けたのですが」


 エステルが答えると、執事のような格好の50代ほどの男性は、「ああ」と頷き頭を深く下げる。


「お待ちしておりました。どうぞ、中へ」

「ええ……」


(お待ちしておりましたってどういう意味かしら……)


 手紙にはここに来いとは書いていなかった。それなのにどうしてそう言われるのだろうかと疑問に思いながらも、エステルは男性の後を追った。

 城の中は通路も狭く少し薄暗い。階段を上がり居間のような場所に来ると、広い窓があって突然明るさを感じた。


「若君、お連れ致しました」

「ああ、分かった」


 男性が声を掛けると、衝立の向こうから人が出てくる。


「やっぱり来たね、エステル」


 にこやかにそう言ったクロトを見つめ、エステルは驚きに目を見開いた。

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