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第10話 帰路

 自室に戻ったエステルは、部屋に入るなりその場に座り込んだ。


「どうなさいました!? お嬢様!」

「や、やってしまったわ……」


 頭を抱えて呟く。

 つい黙っていられなくて口を出してしまった。魔法を止めようとしただけだったのに、気付けば勝手に言葉が出ていた。


「お嬢様?」

「弟に言うみたいに……、私ったら……」


 オージェが癇癪を起こした子供のように見えたからか、完全に叱る口調だった。

 相手は皇帝陛下なのに。


「ああああ……」


 マリーが心配してそばに来ると、背中に手を当てる。


「これはちょっとまずいかも……」


 エステルの勘は当たり、翌朝、皇太后から呼び出しを受けた。


「あなたいったい何をしたの!?」


 エステルは床に膝をつき項垂れる。


「オージェはそれはもうかんかんに怒っていて、あなたをすぐに家に帰すように言ってきたわ」

「家に……」


 罰が与えられるかと思ったが、まさかの帰宅命令にエステルは少しだけ拍子抜けした。

 皇太后はこめかみに手を添え、首を振る。


「オージェを怒らせてしまっては、もうわたくしでもどうしようもないわ……」

「では……」

「すぐに荷物を纏めて宮殿を去りなさい。あなたにはがっかりよ」


 皇太后はそう言うと、席を立って部屋から出て行ってしまう。取り残されたエステルは、ふうと息を吐くと肩から力を抜いた。


(結果的には上手くいったってことかしら……)


 オージェの怒りが家族にまで及ばないか心配ではあったが、どうやら酷いお咎めは免れたようだ。

 今はとにかく宮殿を出られることが分かって安堵した。

 自室に戻り事情をマリーに説明すると、マリーは少しだけがっかりした顔をした。


「そんな顔しないで。さ、荷物を片付けて家に帰りましょう」

「お嬢様……」


 物言いたげな表情ではあったが、マリーはそれ以上何も言わず、すぐに荷物を片付け始めた。

 エステルも荷造りを手伝うと、午後にはすっかり準備は整った。


「さて、行きましょうか」


 マリーと共に部屋を出て廊下を歩いていると、正面からオリヴィエと取り巻きたちが近付いてくる。

 無視するわけにもいかず、エステルは足を止めると腰を落とした。


「ごきげんよう、エステル」


 にこやかに挨拶をされて挨拶を返すと、オリヴィエは笑顔を返した。


「宮殿を追い出されるなんて、相当怒らせたわね」

「…………」

「オージェ様は、大臣たちには厳しいけれど、女性には優しいのよ。知ってた?」


 オリヴィエは羽根扇で口元を隠し、クスクスと笑う。


「皇太后様が勝手にしたこととはいえ、母親の子を思う気持ちを無下にしたくないと、黙って従っていたオージェ様だったのに、あなたが台無しにするなんてね。でもこれで皇太后様はしばらく自重するでしょうし、それだけはあなたに感謝するわ」


 エステルは黙ってオリヴィエの言葉を聞いていた。もう帰るだけなので、ここで争っても意味はない。


「もう会うこともないだろうから、挨拶をと思ってね。さよなら、エステル」

「ご挨拶、痛み入ります」


 静かにそう返すと、オリヴィエは満足したのか、取り巻きを促して歩いていってしまった。

 エステルは姿勢を戻すと、マリーと目を合わせて肩を竦める。


「わざわざ言いにきたのでしょうね」

「邪魔者が消えて嬉しいんでしょ。まぁいいわ。ホントにこれでもう二度と会うこともないでしょうし、このくらいで済んで良かったわ」

「それもそうですわね」


 オリヴィエのような女性は貴族なら珍しくはない。宮殿にいる以上、誰かが自分を攻撃するだろう。

 それをいちいち相手にするのは、なかなか面倒なことだ。エステルだって何もかもを黙ってやり過ごせるほど、人間ができているわけではない。

 大きな揉め事になる前に離れることができて、エステルは良かったと思った。

 宮殿の外に出ると、馬車が用意されていた。すでに自分たちの荷物が積み込まれているのを見て、マリーが御者に声を掛ける。


「この馬車を使っていいのですか?」

「はい。皇太后様のご命令で、家に送り届けるようにと」

「お嬢様、乗れるみたいですわ」

「分かったわ」


 手荷物を預けて馬車に乗り込むと、マリーが首を傾げる。


「お怒りのわりに、帰りの馬車を用意して下さるなんて、皇太后様はお優しい方なのですね」

「そうね。歩いて帰れと言わんばかりだったけど……」

「まぁ、こんな豪華な馬車にはもう乗れないかもしれませんし、ご厚意に甘えましょう」


 マリーが笑顔でそう言うと、馬車が動きだした。エステルは窓から広い宮殿の庭を眺める。


「なかなか貴重な体験だったわね」

「私も良い刺激を受けました」

「あら、どんな?」

「宮殿のメイドたちの働きを見て、私は随分主人に甘やかされていたなぁと反省しました」

「そう?」


 宮殿のメイドたちとマリーにそれほど違いを感じなかったエステルは首を傾げる。マリーはその顔を見てクスッと笑った。


「お嬢様がそんなことでは、私は最高のメイドにはなれません」

「マリーは昔から最高の侍女よ。あなたほどの人なんていないわ」

「ほら、甘やかしてる」


 マリーがそう言うと、二人はクスクスと笑い合った。

 そんなふうにおしゃべりをしている間に、馬車は宮殿を抜け城下町に入った。街の人で賑わう中央広場を通り越し、馬車は左に曲がる。


「ん? 左に曲がったわね」

「え? ああ、本当ですわね」


 自宅は今の道を右に曲がらなくてはならない。左に曲がっても行けないわけではないが遠回りだ。


「道を間違えたのかしら」

「ちょっと聞いてみましょうか」


 マリーが天井をノックする。


「すみません。道が違うようですが」

「ああ、すみません。道を間違えたようです」

「そう……。それならいいわ。次の大きな道を右に曲がって迂回して下さい」

「分かりました」


 御者の低い返答に、二人は目を合わせる。

 家の馬車ではないからこういうこともあるかとエステルはあまり気にしなかったが、心配になり窓の外を見つめる。

 しばらくしてマリーが指示した道に到着したが、馬車は速度を変えずに直進した。


「え……?」


 マリーが声を漏らし、エステルも怪訝な顔で窓に手を掛けた。


「すみません! また道を間違えてるわ! このまま行ったら城下町の外に出てしまいますよ!」


 少し声を張ってマリーが訴える。けれど御者は返事をしない。


「お嬢様!」

「うん」


 エステルが頷くと、マリーは腰を上げて天井を拳で叩く。


「止まりなさい! 何をしているの!?」


 いくら声を掛けても御者からの返答はない。エステルはその間にドアを開けようとドアノブに手を掛けた。だがガチャッと音が鳴るだけで、ドアは開かない。


「開かない!? 鍵が……。マリー! 魔法を!」

「はい!」


 マリーは声を掛けるのをやめて、ドアノブに右手をかざす。鍵開けなどマリーには造作もない魔法だったが、放たれた魔法は弾かれてしまった。


「シールドが張られてる……」

「なんなの……?」


 エステルは顔を顰め窓の外を見つめる。馬車はガラガラと音を立てて城下町を進み、やがて城下町をぐるりと囲む隔壁も越えてしまった。

 本来、馬車は隔壁の検問所で検査を受けるが、これは宮殿の馬車だ。検査は免除されており、兵士に止められることはない。それを思い出してエステルは唇を噛んだ。


「マリー……」

「お嬢様……」


 じっとしていることしかできず、エステルはマリーの手を握ると、街道の景色を食い入るように見つめた。

 そうしてしばらく進むと、馬車は木立の中で道を逸れ、古い家の前で停車した。


「どうぞ、お降り下さい」


 外から御者の低い声が聞こえる。

 エステルはマリーと一度目を合わせると、腰を浮かせた。


「私が先に出る」

「ですが!」

「大丈夫よ」

「……分かりました」


 マリーに一度笑って見せると、エステルはドアノブに手を掛けた。

 抵抗なくドアは開き、ゆっくりと馬車を降りる。御者は馬車に乗ったまま動かない。それを確認し、マリーに目配せする。

 マリーが馬車から降りると、背後で人の気配がした。驚いて振り返ると、そこにはなぜかクロトが立っていた。


「クロト……様?」

「待ちくたびれたよ、エステル」


 明るい声でそう言ったクロトは、にこっと笑ってエステルを見つめた。

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