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第9話

 城の正門の近くに、小さな礼拝堂がある。

 騎士団長を礼拝堂に呼び出した理由はふたつあった。これから悪事を問いただす。神の前で嘘をつけば重罪になるということ。そして礼拝堂には武器を持って入れない。

 国王陛下は唯一の例外である王家の宝剣を腰に下げていた。罪人、悪人だけを斬るといわれる剣だ。

 すぐにビスケットがやってきた。


「陛下。こんな夜更けに、どんな用件でしょう?」


 悠然とした態度でひざまずいてみせたが、次の瞬間には顔色が変わる。

 エクレアの手紙を鼻先に突きつけられたからだ。


「これはなんだ?」


 陛下の問いに、ビスケットは真っ青な顔で黙りこんだ。


「申し開きしてみよ」

「それは…… 簡単には説明できません……」

「頭と身体がつながっているうちに話してみよ」

「誤解です。その手紙は性交をせまるものではありません。あくまで寝床をともにすることを提案したまでです。強制もしていません」


 苦しい言い訳だった。

 そのことはビスケット本人もよくわかっている。それくらい追いつめられた顔をしている。

 陛下もまるで納得していない。


「エクレアは性交をせまられたと解釈したようだぞ?」

「それは…… そうかもしれません。それについては謝罪します。わたしは男同士のような、下品な言葉を平気でぶつけ合うような関係になりたいと思ったのです。男同士であれば『おまえの尻を掘ってやる』と言ったところで、なにも問題はありません。女だからと恐れずに性的な言葉をぶつけてみれば、壁が消えるかもしれない。そういうつもりでありました」


 なんという詭弁。

 国王陛下は笑顔でうなずいているが、絶対に納得していない。こんなに恐ろしい笑顔を見たことがない。よけいに怒らせただけだ。


「そうか、そうか。最近は武器商人の娘とも仲が良いようだな? やはり男女の親睦を深めているのか? あんな子供と」

「さあ? なんのことでしょう。記憶にありません」


 この期におよんで完全否認とは、面の皮の厚さに驚いてしまう。

 国王陛下は無言で手紙を取り出すと、足元に落とした。ワッフルの部屋で見つけたものだ。


「これは失礼しました。発言を訂正します。その娘ですが、将来は騎士になりたいというので、両親に秘密で剣の稽古をつけていました。やましい関係ではないので黙秘しましたが、純粋に剣を教えていただけです。嘘をついたつもりはありません」

「騎士になったら、その娘もエクレアのようにあつかうのか? 素晴らしい騎士団だな。まるで貴様のハーレムだ」

「それは誤解です」

「やましいことなないと?」

「もちろんでございます」

「なるほど、なるほど」


 いよいよ陛下が剣を抜く。そんな予感がした。

 わたしは思わず飛び出していた。


「ビスケット様。罪を認めてください。先ほどもミルクとあっていたはずです」

「そうなのか?」

「身に覚えがありません。今夜は城内をパトロールしておりました」


 やはり完全否認か。


「いいえ。あなたはミルクと一緒にサンドイッチを食べたはずです。わたしがつくって持たせたリンゴのサンドイッチ。フェアレストというリンゴで、タネには毒があります。そろそろ胃液でタネが溶け、毒がまわりはじめます。すぐに中和剤を飲まなければ死にますよ」


 ポケットから小瓶を取り出した。

 これがわたしの切り札。最後の悪あがき。

 ビスケットが少し顔をむけこちらを見た。全く感情の無い表情、空洞みたいな瞳にゾッとする。


「国王陛下。この女はなにか勘違いをしているようです。わたしは潔白です」

「そうか、なら中和剤はいらぬのだな?」

「もちろんです。おそれながら申しあげます。エクレアの件、武器商人の娘の件も、この女にそそのかされたのではないですか? 一方的な情報だけを聞き入れ、わたしを悪人と決めつけるのは心外です。潔白の証明をさせてください」


 ビスケットはそう言うと立ち上がった。

 サンドイッチを食べなかったのだろうか。強気な態度だ。国王陛下の気持ちが揺らいでしまったら……

 そんなことを考えていると、ビスケットが消えた。

 次の瞬間には目の前に現れた。小瓶を奪われそうになったので、慌ててかばう。

 すると身体ごと引き寄せられ、小さなナイフを顔にあてられた。

 そのままずるずると引っ張られ、礼拝堂の出口へ向かう。

 近衛兵が動き出した。

 わたしごとき平民に人質としての価値はない。


「行かせてやれ。もうどうでも良いわ。これほどつまらない男だったとは、ほとほと呆れ果てた。殺す価値もない。追放刑にせよ」


 陛下が大声でそう言うと、ビスケットを囲むつもりだった近衛兵たちがサッと道を開けた。


「中和剤をよこせ」


 ナイフの刃を眼球に近づけられる。

 不思議と怖くなかった。


「教えてください。どうして不倫なんかしたんです?」

「黙れ。薬をよこせ」

「教えてください。ショートケーキ様を愛していないのですか?」


 ビスケットの表情を観察する。彼が片目を閉じているのに気がついた。城を出れば夜道は暗い。今のうちに暗闇に慣らしている。乱心したように見えるが、彼は冷静だ。


「ショートケーキ様はあなたを愛していた。素晴らしい人です。なのにどうして裏切ったのです?」

「裏切ってはいない。オレは獣なんだよ」


 ひとつ目の巨人が笑った。


「妻は聖女だ。オレにとって光そのもの。汚れてはならない存在なのだ。獣なんかと、まぐわらせるわけにはいかん。しかし獣の欲望は、正常位では満たされない」


 自分の中に抑えきれない欲望がある。汚い性欲で、妻を汚したくなかった?

 そんな理由で……


「早くよこせ」


 小瓶を無理やり奪われた。


「これはインク壺です。リンゴの話は嘘です」

「クソッ!!」


 ビスケットはわたしを解放すると、小走りに逃げ出した。


「罪を認めて、つぐなってください!」


 わたしも走った。

 前を走るビスケットの背中に言葉をぶつける。


「逃げても汚名は晴れません。陛下に懺悔し、贖罪の方法を考えましょう。ショートケーキ様のことを考えてください!」


 ビスケットが止まった。

 説得が通じたかと思ったが、そうではなかった。

 城門を抜けた先の広場に、誰かが立っている。

 ドクロのマスクをつけた女だ。死神剣士が立ちふさがっている。


「エクレアか? 道を開けろ!」


 ビスケットが叫んだ。

 死神剣士は微動だにしない。

 あれはエクレア様なのだろうか?

 死神剣士の正体は国王陛下だった。しかし陛下は礼拝堂にいる。つまりこの死神剣士は偽者だ。

 ビスケットに侮辱されたエクレア様が、死神剣士となって復讐に来たのだろうか?


「エクレアではないのか? 道を開けろ。聞こえぬか? 怪我ではすまんぞ!」


 エクレア様じゃない。汚れた衣服。女性にしては短すぎる髪。ヤック人だ。

 わたしには死神剣士の正体がわかってしまった。


「降伏しろ。罪を償え」


 死神剣士がそう言った。

 やはり、フェンネルの声だ。


「オレに勝てると思っているのか?」


 ビスケットは左右に視線を走らせて、罠を警戒している。

 それもそうだ。勝てない戦いを挑むのは自殺と変わらない。英雄ビスケットの実力は誰もが知っている。死神剣士の強気な態度は、なにか罠を用意しているからだと思っているのだ。

 しかし、わたしはフェンネルの強さを知っている。彼女は実力でビスケットを倒すつもりだ。 


「一騎打ちなら負けない」


 フェンネルが剣を抜いた。

 その瞬間から、ビスケットの空気が変わった。フェンネルの剣先に意識を集中している。


「おまえ何者だ? 構えを見ればわかる。野良の剣術じゃない。一流の剣士。オレに勝てるという自信も、思い上がりではなさそうだ。まさか本当に冥界から来たのか?」


 ビスケットの問いかけに、フェンネルは答えない。


「まあいい。オレが地獄に送り返してやる!」


 ビスケットはそう言うと、近くにあった篝火かがりび台を蹴り倒した。

 鉄製のスタンドが倒れ、松明たいまつが落下する。周囲が暗闇に包まれた。

 同時にビスケットが走る。

 いけない!

 ビスケットは片目を閉じて暗闇に慣らしていた。灯りが消えたらフェンネルが不利だ。

 わたしは落ちた松明たいまつをひろって、頭上へかかげた。

 光がドクロのマスクを照らす。ビスケットが剣を抜いて構えた。

 まるで時間が止まったみたいに感じる。ふたりの動きがゆっくりに見える。

 フェンネルが剣を突き出そうとしている。

 ダメだ。遠すぎる。

 素人のわたしでもわかる。フェンネルの剣はビスケットの身体には届かない。

 ビスケットは大げさに動いて、フェンネルの焦りを誘ったのだ。暗闇の中で攻撃されるプレッシャーに耐えるのは難しい。まだ間合いの外にいるのに、フェンネルは慌てて攻撃してしまった。すべてビスケットの計算だ。

 このままフェンネルが剣を空振りすれば、ビスケットはその隙を見逃さない。絶体絶命だ。

 フェンネルはとっさに技を変化させる。ビスケットの身体ではなく剣を持つ腕に狙いを変えた。

 ビスケットも即座に反応して剣のつばでガードする。


 カシャン!!!!


 金属のぶつかり合う音が、落雷のように激しく響いた。激突の衝撃でふたりがよろめく。


「クソッタレ」


 ビスケットが呻いた。

 フェンネルは体勢を立て直すと、すかさず踏み込んで攻撃する。力まかせに剣を振りおろし、連続で斬りつけた。


 カン!

 カン!

 カン!


 ビスケットは剣を盾にして斬撃を受け止めると、クルリと身体をひるがえして攻撃に転じる。急所を狙った素早い突きを繰り出した。技の手本のような美しい刺突だったが、フェンネルにはかえって読みやすい。自分の剣を上から被せるように受けると、そのまま体重をかけた。


「降伏しろ」

「もう勝ったつもりか?」


 ビスケットは鼻で笑ったが、このときもう勝負はついていた。

 フェンネルがさらに力をこめる。ビスケットの剣についた王家の紋章がボロッと外れた。剣が折れる。外れたブレイドだけが、勢いよく回転しながら石畳の上をすべった。

 ビスケットが一歩後退する。

 フェンネルは素早く踏み込んで剣を横に払った。丸腰のビスケットは受けられない。回避しようとして体勢が崩れたところに、フェンネルの蹴りが突き刺さった。

 ビスケットの動きが止まった。胃の中のものが逆流して、口からあふれ出す。蹴られた腹部を両手でおさえながら膝をつくと、そのまま倒れた。

 かつての英雄が、虫みたいに地面を転がっている。苦痛に身を丸めて、よだれをたらして、ブルブルと痙攣している。


「降伏しろ」


 もう一度フェンネルが言った。

 ビスケットはあきらかに戦意を喪失している。


「負けた…… 王国最強のオレが…… ヤックの女に…… 終わった…… もうダメだ…… 生きる価値がない……」


 そのとき近衛兵の集団が追いついて、ふたりを囲むように広がった。

 時間の流れがもどったみたいに感じる。長い死闘のように思えたが、おそらく一分くらいの出来事だったのだろう。

 わたしはやっと呼吸するのを思い出した。


「殺せ…… いや、殺してくれ…… 英雄ビスケットは死神剣士と戦って死んだ。勇敢に死んだ。そういうことにしてくれ。頼む……」


 フェンネルが首をよこにふる。

 ビスケットはボロボロと涙をこぼした。

 近衛兵に抱えられ、かつての英雄が連行されていく。

 これで終わったのだ。

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