第5話
そして翌日の夜、オペラ様の屋敷へ行くと見知らぬ女性が待っていた。
おそらくヤック人。ヤック人というのは異教徒のことで、寛大な国王のはからいでコンフェクシリアに住むことを許されている。我々とは価値観が違うというか、ちょっと野蛮な人たちだ。あまりまともな仕事をしていない。行商人、旅芸人、用心棒、それから犯罪者も多い。
髪や肌の色に違いはないが、それでも見ればヤックとわかる。この女性も、頑丈そうだが薄汚れた服を着ている。女なのに短く刈った髪型。脚を開いて椅子に座る姿勢も、コンフェクシリアの女性はあまりやらない。それにヤックの女は、喋り方も男みたいに乱暴なのだ。
背が高く、痩せて筋肉質な身体をしている。たぶん用心棒みたいな仕事をしているのだろう。
「ミズ・トフィー。あなたにボディガードをつけることにしました。今夜は城壁の外に出て裏路地を歩くことになります。ひとりでは危険です。この者はファ…… ではなくフェンネル。武芸者フェンネルです」
オペラ様が紹介してくれた。
フェンネル。ヤック人に多い名前だ。
「フェンネルさんはヤック人なのですか?」
「ヤック人ですが信頼できる娘です。剣の腕もたしかです」
ヤック人には危険な人がいるのは確かだが、もちろん良い人も多い。オペラ様の紹介なら間違いないだろう。
「よろしく、フェンネルさん」
握手を求めると、無言で握り返してきた。フェンネルは無口な性格のようだ。
「調査は長引くほど危険です。証拠を掴むチャンスはこの一回だけと考えなさい」
オペラ様の言葉に二人でうなずく。
水晶をつかった監視で、ビスケットが待ち合わせの場所へ向かうのを確認してから、わたしとフェンネルは屋敷を出発した。
「正義のためとはいえ、不法侵入は立派な犯罪です。法を逸脱したとき、残るのは当人の品位だけです。くれぐれも、はしたない行為は慎むように」
オペラ様はそう言って送り出してくれた。
目的地である武器商人の屋敷は、城壁のすぐ外にある。城門はいくつもあるが、開放されている門には見張りがいる。
「ワッフルはどうやって城内に入ってると思う?」
子供がひとりで歩いていれば、不審に思い呼び止めるはずだ。
「騎士団専用の通用門がある。団長からそこの鍵をもらったのだろう」
フェンネルがそう答えた。
それが本当だとすると、少し困ったことになった。見張りに見つからない道があるなら、そこを通りたかったのだが、我々には鍵がない。
最短距離は東門だが、トラブルに巻き込まれる気がする。
「ヤックは通行禁止だ」
フェンネルの前に門番が立ち塞がった。
やっぱり。こうなる気はしていた。ヤック人はこういう嫌がらせを受けるのだ。
「わたしは剣士長の使いです。重要な任務を帯びています。このフェンネルはわたしのボディガードです。どうかお通しください」
懐から身分証を出して、門番に頼みこんだ。
「たしかに剣士長のメイドようだな、おまえは通れ。ヤックはダメだ」
「フェンネルはボディガードです。通してください」
「ハハハ。お嬢さん、ボディガードが必要なら、オレが一緒に行ってやる。ヤックの女にボディガードは務まらんよ」
門番がわたしの腰に手を回してきた。普段なら叩いてやるところだが、今は機嫌をそこねたくない。本当に最悪だ。
「ためしてみるか?」
わたしの背中を撫でていた門番の手を掴んで、フェンネルが言った。
「いいぜ。ためしてやろう。オレは騎士団の最終試験までいった男だぞ? 後悔するなよ」
門番の男が笑いながら、フェンネルの腕を掴み返した。掴み合っている腕は、門番は左手で、フェンネルは右手だ。
門番は残された右手で剣の柄を握る。フェンネルに残されたのは左手だ。剣を抜くことはできない。
「ドシロウトが」
門番が剣を抜いた。
そう思ったが、なにがおきたのだろう?
門番の首に剣の刃が押しつけられている。その剣を握っているのは、もちろんフェンネルだ。
「こいつ…… オレの剣を……」
そういうことか。フェンネルは残った左手では自分の剣を抜けなかった。そこで門番が抜こうとしてる剣を、そのまま奪ってしまったのだ。
「剣士長からはトフィーに狼藉を働く者は殺して良いと言われているが、どうする?」
フェンネルが囁くように言った。
「プハッ アハハッ」
緊迫した場面だが、いや緊迫していたからだろう、思わず笑ってしまった。
ふたりの視線が、わたしの顔に集中する。なんで笑ったのか不思議なのだろう。おかげで変な空気になってしまった。
門番の男が「エヘヘ」と無理に笑顔を作った。
フェンネルも「フッ」と笑って緊張を解く。奪った剣を返した。
門番は剣を受けとると、騎士の礼の動作をしてから鞘におさめた。
「邪魔して悪かった。こんど酒でも奢らせてくれ」
そう言って門番が道を開ける。
なんとか門を通ることができた。それにフェンネルの実力は確かなようだ。
「どうして笑った?」
道すがらフェンネルに聞かれたので、わたしはこう答えた。
「ファッジ様がそんなこと言うわけないから」
フェンネルが「フッ」と笑った。
裏通りを歩いて、武器商人の屋敷についた。屋敷の裏の通用口を調べる。
思った通り。鍵があいている。ワッフルが出るときに鍵を開けたままにしたのだ。
「フェンネルはここで見張ってて」
「一緒に行く」
「ダメ。屋敷の中で二人だと怪しまれる。わたしの服装ならメイドに見える。ひとりで堂々としてれば怪しまれない」
それでもフェンネルは納得できないようだ。ゴソゴソと荷物をあさって、なにやら取り出すと、わたしにむかってさしだした。
小さい玉、薬だろうか。
「なにかあったら叫び声をあげろ。オレが突入する。それから、これを飲め。オペラ様にもらった変身の丸薬だ。別人の姿に変身できる」
変身の丸薬。なんだか凄いアイテムだ。
「これを飲んでワッフルに変身したら安全に探せるんじゃない?」
「そんなに便利な道具じゃない。狙った姿に変身するには事前に調合が必要だ。こいつを飲むと性別と顔立ちが少し変化する」
特定の誰かの姿に似せるというより、自分をベースにして変化を起こす薬のようだ。たとえば「髪の色を明るくする」という調合なら、黒髪の人が飲めば茶色になり、茶髪の人が飲めば黄色になる。効果を上手く調整すれば、誰かに似せることもできるが、そういう用途には向かない。
それでも、見つかったときに身元がバレないようにする効果はある。
「わかった。最悪を回避する保険てことね」
丸薬を受けとる。
フェンネルに見張りを任せて、ひとりで門の中へ入る。暗がりの中で屋敷の勝手口を探す。ルートはあらかじめ下調べしてある。予想通り、勝手口の鍵もあいていた。
静かに屋敷の中へ。昼のうちに外側から見ただけだが、子供部屋の場所はわかっている。廊下や階段の位置も想像がつく。音を立てないように廊下を歩き、階段を登り、扉を開ける。誰にも知られず、ワッフルの部屋へ入ることができた。
勉強机に座って読書灯をつける。隠し物をするなら、たぶんここだ。本立てに無造作に置かれている小さな缶の蓋を開ける。小物の中から小さな鍵を見つけた。机の引き出しにある鍵穴にさしこんで回す。
手紙の束だ。いくつかにサッと目を通す。
「親愛なる君へ。ひとりの夜は君のことばかり思い出している。月明かりの下で見た、君の柔らかい肌を。吐息の熱を。僕はいつだって君との時間を求めている。期待で震えているんだ。次回はさらに激しくなることを覚悟してもらいたい。少なくとも3回はする。これは僕からの愛情の証だと思ってもらいたい。それから、新しい奉仕も覚えてもらう。これは君の気持ちの証明だからね。拒否はさせないよ。いいね? 君を特別だと思っている。君だけだ。この手紙は読み終わったら燃やして欲しい。あなたの騎士より」
見つけた。騎士団長からのラブレター。情熱的な内容だ。
わたしはショートケーキ様のことを思い出していた。
ビスケットを愛していると言った。なんでもしてあげたいと。性交を拒んでいるとは思えない。奉仕してくれと言えば、してくれるだろう。夫婦の関係は悪くないように感じた。
なのになぜ?
ショートケーキ様の美貌と比べたら、ワッフルの容姿は平凡だ。まだ身体も女としては未熟だと思う。わざわざ抱きたがる意味がわからない。
未熟な女しか愛せない男もいると聞いたことがある。ビスケットはそういう趣味なのだろうか?
貴族の地位だけを求めてショートケーキ様と結婚したのだろうか?
本当は愛していないのだろうか?
この一通だけポケットにしまうと、他はすべて元通りになおし、来た道を引き返した。
上手くいった。これでビスケットに罪を認めさせることができる。
裏口で待っていたフェンネルに成功したと告げて、変身薬を返す。すぐ現場を離れて、表通りに出たところで手紙を読ませた。
「どう思う?」
証拠になると思うか、客観的な意見が聞きたかった。
手紙を読んだフェンネルは、苦しそうに顔を歪める。
「この世でもっともおぞましい物だ」
触りたくもないという手つきで手紙を返してきた。
意外な反応だ。ヤックの女は売春婦が多い。未婚だろうと気にせず身体を開くし、旦那以外とも寝る。貞操観念が無いと聞かされていた。
「フェンネルがまともな人みたいで安心した」
そう言ったが、フェンネルは「オレはまともじゃない」と首を横にふる。
「男の性欲は猛毒だ。心と身体を蝕んで、けして消えない。賢者を愚者に落とし、聖人を蛮人に変えてしまう。そして周囲に汚物を撒き散らす。自分の中の怪物が、愛する人をめちゃくちゃに汚してしまう。オレには耐えられない」
そんなふうに考えていたのか。もしかして過去に無理やりされたとか、嫌な思い出があるのかもしれない。
それ以上はふれずに、オペラ様の屋敷へもどった。
「ミズ・トフィー。これを読んで、あなたはどう思いました?」
オペラ様は手紙に目を通すと、そう言った。
「こんなに熱心なのが意外でした。騎士団長は人気者ですし、上から目線で『抱いてやる』みたいな感じで、便利に使ってるとばかり思っていたので。ショートケーキ様が本命じゃないんでしょうか?」
「不貞をはたらく理由はわかりましたか?」
それは、さっぱりだった。
「いえ。まるで理解できません。ですが、この手紙があれば騎士団長も罪をみとめると思います」
わたしがそう言うと、オペラ様がため息をついた。
「こんな手紙、証拠にはなりません。まるでダメです。愛していると書いてない。なにを激しくやるのかも曖昧です。ビスケットの署名すらありません。いくらでも言い逃れできます」
予想外に厳しい評価であった。
たしかに、ラブレターという先入観を抜きで読むと、たとえば「秘密で剣術の指南をする約束の手紙だ」とか言える内容だ。もちろん苦しい言い訳だが、不倫の証拠というには確定的な表現がない。
じゃあ、これは失敗?
「もう一度チャンスをください。手紙はまだたくさんありました。来週また忍び込んでみます」
しかしオペラ様は首を横にふる。
「この文面、騎士団長は手紙が露見しても言い訳ができるように文章を書いています。ほかの手紙も同じでしょう。これ以上の綱渡りは許可できません。当初の予定通り、騎士団長には死んでもらいます」
こうして、わたしの調査活動は微妙にすっきりしない形で終了してしまった。
そして事件は予想外の形で幕を閉じる。
もう少しだけつきあってもらいたい。