第4話
「ミズ・トフィー。そろそろ良いでしょう。ポリュペモスを退治する準備はできました。調査はおしまいです」
その日の夜、オペラ様の屋敷をたずねると、そう言われた。
「えっと、それで、ビスケット様はどうなるのでしょう?」
「国王陛下に不義の事実を報告し、騎士団長は暗殺することになるでしょう。もちろん陛下が許可すればですが」
暗殺。死んで当然と思う気持ちと、「殺す」という言葉の恐ろしさが拮抗する。
「トフィー。殺すというのは、罪悪感がありますか?」
図星だった。
「もちろん悪いことですし、許されないことだと思いますが、殺すというのは重い気がして」
「そうですね。不貞の罪で死刑というのは古代の法律です。現在では教会で懺悔をし、被害者たちが納得するように、自分たちで始末をつけるのが普通です。では、今回の事件を関係者たちに任せた場合にどうなるのか、悲観的な予想をお話ししましょうか?」
オペラ様の提案にうなずいた。
「これから話すのは、過去にあった不義事件で見聞きしたことの寄せ集めです。全くの空想ではありませんよ。ビスケットは平民出身で、貴族の婿養子になりました。この場合の一番力のある被害者とは、ショートケーキ婦人の父上になります。泥棒猫を許すとは思えません。ミルクとワッフルは殺されるでしょう」
そんなバカな。
「悪いのはビスケット様です!」
「騎士団長が『悪女に誘惑された』と涙ながらに訴えれば、どちらを信用するでしょう?」
「まだ子供ですよ!」
「よけいに悪いのです。子供なのに騎士団長を誘惑するとは恐ろしい。こう育てた両親にも問題がある。邪教の信奉者にちがいない。一家もろとも殺されるでしょう」
ありえないと言い返したいが、邪教徒の一家を処刑したという話は、過去に何度か聞いたことがある。そのときは「悪魔崇拝の極悪人なら殺すのもやむをえない」と思っていた。
平民が貴族を怒らせて、残酷な結末をむかえた。そう考えたほうがすっきりする。
「家族や大衆から許されたとして、それでもビスケットは無罪とはいきません。教会から破門されます。貴族にとっては大変な不名誉です。破門を解除してもらうには、強い信仰心をしめす必要がありますね。さて、ビスケットはどうするでしょう?」
「東方遠征です」
東方では異教徒と戦争が行われている。そこで手柄をたてれば、教会に許される場合がある。罪人が遠征に志願することはよくあるのだ。
「正解です。しかし命がけで戦って破門を取り消してもらったところで、騎士団長のポストに返り咲くことはできません。現在の栄光は戻らないでしょう。つまらない人生ですね。東方遠征のための武器と兵を与えられたら、そのまま盗賊になる可能性があります」
「ブラックフォレストの盗賊みたいにですか?」
「そうです。ブラックフォレストの盗賊も、もとは東方遠征に出た破門軍人なのです。ビスケットが盗賊になったら手強いですよ。国王はその危険に気づくでしょう。ミズ・トフィー、もしあなたが国王ならどうします?」
国一番の軍人が裏切ったら、それより強い軍人はいないのだから、退治するのは難しい。遠征の兵に刺客を紛れこませ、出発したあとで殺してしまう。戦死ということにするのが無難だと思える。オペラ様は「どちらにしろ暗殺することになる」と言いたいのだ。
それでも、わたしは他の道があると思う。
「待ってください。最初から、悪いのは騎士団長だとハッキリさせていれば、違う結果になりませんか? ミルクやワッフルが殺されることはないと思います」
「国の上層部の不正がハッキリと明るみになった場合、たとえば2年前に大臣がワイロを受けとっていたのが発覚しましたね。どうなりましたか?」
市民の怒りに火がついて暴動になった。大臣は死刑を回避するため東方遠征に志願して、みなが忘れたころに戦死の報告があった。
つまりビスケットの運命は変わらない。暴動の被害によっては、こっちの方が悪い結果になる。大勢の人が暴走しているのだ、誰もが暴力に巻き込まれる可能性がある。
「もっとも被害が少なくすむのは、騎士団長をすみやかに殺してしまうことです。不義がおおやけになる前に戦死してもらいます。国を守るために戦って死んだのなら、家族の名誉は守られます。そしてミルクとワッフルにだけ『ビスケットの死は不義をはたらいた天罰だ』と告げるのです。神はすべてを見ていると。もう二度とバカな誘惑には乗らないはずです」
わたしは自分が恥ずかしくなった。
オペラ様は深く考えて、殺すと決断したのだ。わたしが浅はかだった。
「納得できましたか?」
オペラ様からそう聞かれる。
大きく息を吸って「ハイ」と答えようとした瞬間に、迷ってしまった。答えられないまま息を吐き出した。
自分の心の叫びが聞こえた。「まだ納得できない」という小さな叫びだ。
「まだなにか、わからないことがありますか?」
ある。
あるけれど、ここで言うようなことだろうか。
「はっきり言いなさい」
まあいいや。言ってみよう。
「わたしが納得できないのはビスケット様の感情なんです。ショートケーキ様のような伴侶がいて、夫婦関係も良好に見えます。不倫をする理由がまったく理解できないのです。なんででしょう?」
最初に不倫を目撃したときからずっと「いったい何でそんなことを?」という疑問があった。その謎はまったく解けていない。むしろショートケーキ様と出会って、謎が深まったように感じる。
「なぜって、それはおそらく……」
オペラ様がわたしの目を見た。わたしもオペラ様の目を見た。それから、しばらく見つめ合った。
「おそらく……」
おそらく、なんだろう?
続きを待ってみたが、言う気配はない。
そしてゴホンとわざとらしく咳払いをしてこう言った。
「おそらく、本人にしかわからないでしょう」
絶対に変だ。オペラ様には心当たりがあるのだ。なのに言うのをやめた。
「ビスケット様とショートケーキ様は相思相愛に見えました。それは見せかけなのでしょうか?」
「愛情はあるはずです。わたくしはそう思います」
「ではなぜ、ほかの女性に手を出すのでしょう?」
「それは…… 本人にしかわかりませんよ」
やっぱり変だ。オペラ様には知られたくないことがある。そんなふうに見える。
「興味を持つべきではない、ということでしょうか?」
「トフィー! 興味を失ってはいけません!」
迷惑な質問だったら話題を変えようと思ったのに、それもダメ。もう意味がわからない。
「なぜでしょう?」
「それは、つまり……」
絶対に何かを隠してる。だっていつものオペラ様は、こんなにクルクル表情を変える人じゃない。
「こういうことです。いいですか。たとえば失業者が増えると、盗人が増えます。仕事が無ければ食べていけないと、しかたなく盗みをやるのです。見張りの兵士を増やしたり、罰則を強化しても盗人は減りません。根本的な解決策はひとつしかありません。わかりますか?」
「失業者を減らす。つまり仕事をあたえることでしょうか?」
「そうです。なぜ悪事を働いたのか、その理由を知ることは極めて重要なのです。興味を失うなんて、とんでもない。旦那に浮気されても知りませんよ」
わたしに旦那はいない。結婚の予定もない。
失業者の話はわかるけど、それで何を伝えたいのか、正直もうちんぷんかんぷんだ。
「あの、わたしはどうすれば良いのでしょうか? 不義の理由はビスケット様に゙しかわからない。ビスケット様を殺してしまったら、真実を知ることはできなくなります」
オペラ様は答えない。答えられない?
このままじゃ埒があかない。もういっそ自分の想うままを話してみよう。
「こんなのはどうでしょう? ビスケット様に罪を認めさせ、悔い改めていただくというのは?」
「あの男が簡単に罪を認めるとは思えません」
オペラ様は渋い表情だ。
「言い逃れのできない、確固たる証拠をつきつけてやりましょう。たとえば、手紙があるかもしれません。彼らは手紙のやりとりをしています。少し前に、ミルクが手紙を燃やしているのを見かけたのです」
普通は手紙を燃やしたりしない。証拠隠滅のつもりだろうが、やましい手紙を交換しているのはわかってしまった。
「ダメです。灰から紙を復元する魔術は大変なのです。実用的とはいえません」
「ミルクは新入りのメイドで相部屋です。安心して手紙を隠せる場所はありません。ですがワッフルは、商人の娘で自分の部屋があります。騎士団長が手紙を燃やせと指示していても、燃やさずに隠し持っていると思います」
オペラ様の表情が変わった。
「どうやって手紙を手に入れるつもりです? 考えがあるのでしょう?」
「ワッフルの部屋に忍び込みます」
わたしの考えた作戦はこうだ。
武器商人の娘であるワッフルは、夜になってこっそりと家を抜け出して、ビスケットと逢引して、深夜に家に戻る。
つまりワッフルが誰にも知られず、こっそりと部屋に戻れるようになっている。同じルートをつかえば、誰にも知られずワッフルの部屋へ入ることができるはずだ。
「ワッフルは手紙が無くなったことに気がついても、ビスケット様に相談しないはずです。燃やしたはずの手紙を隠し持っていたとは言えませんから」
とっさに考えたにしては、良いアイデアだと思う。
オペラ様の評価は、返事を聞くまでもない。顔を見ればわかる。
「ミズ・トフィー。あなたにひとつだけ助言を与えます。騎士団長が最後に頼るのは武力です。我々の調査に気づいたら、即座に口封じをするでしょう。あなたが危険を感じるよりずっと早く、あの男は剣を抜くと考えなさい」
わかる気がする。優秀な武人ほど、なんの前触れもなく暴力のスイッチが入る。「殺す」という判断が早くて冷酷なのだ。
ミルクやワッフルがいなくなれば不倫の証拠は消える。騎士団長が「知らない」と言い張れば、その言葉を信じる人は多い。危険を感じたら、すぐに殺してしまうだろう。
「わかりました。ふたりは絶対に守ります」
オペラ様は首を横にふった。
「わかっていないようですね。あなたも危険なのです」
そういうことになるのか。わたしも不倫の事実を知っている。殺されるかもしれないのだ。
これから先は命がけの戦いか……
そう思うと、ひとつだけ気がかりがあった。
「危険は覚悟の上ですが、ファッジ様とラミントン様に状況を説明しても良いでしょうか?」
不倫の調査は内密におこなっている。真実をつきとめるまでは、憶測で話しをすると恥をかくという反省もあった。ファッジ様やラミントン様にも話していない。
しかし、もしも自分が死ぬというなら、このふたりにだけは理由を話しておきたい。ふたりには誤解されたくないと思うのだ。
少し長くなるけれど、説明させてほしい。
ビスケットが口封じに人を殺すなら、罪を被せて殺すと思う。というか、理由もなく人を殺してすむわけがないのだ。嘘の理由を言うはずだ。
たとえば「宝石を奪った盗人を切り捨てた」「重要機密を聞かれたのでスパイを殺した」「違法営業の娼婦を処罰した」とか、そういう感じで罪をでっちあげて、わたしたちを悪者にして殺すはずだ。
ラミントン様には良くしてもらっている。わたしが死んだ後で「悪人だったのか」と誤解されたくない。ファッジ様にだけは、正義のために死んだことを理解してもらいたい。
そういう理由だ。
「そうですね。ファッジ王子にだけは許可しましょう。ラミントン王妃はクチに戸が建てられない御方です。その場で騎士団長を呼びつけてしまうかもしれません」
わたしもそう思う。ラミントン様は友達の娘というだけのわたしを引き取ってしまう人で、そんな娘が病気と聞けば様子を見に来てしまう。オペラ様の秘密だって喋ってしまう。悪巧みには向かない、良い人なのだ。
「わかりました。ファッジ様にだけお話しします」
帰宅すると、ファッジ様はいつもとかわらず、館の前庭でトレーニングをしていた。丁度いいので、これまでの経緯を話すことにした。ビスケットやミルクの名前は伏せて、オペラ様の仕事を手伝っていること、ラミントン様に許可もいただいていること、それから危険があるかもしれないが、わたしの闘志は燃えていることを話した。
ファッジ様は「そうか」とだけ返事をしてくれた。
「あの、それだけですか?」
思わず言ってしまった。
召使いと剣士長、身分に差があるのはわかるけれど、なんという素っ気なさ。子供の頃は一緒に遊んでいたのに、今となってはろくに会話もしない。もう、なにを考えているのかわからなくなってしまった。
「死ぬかもしれない」という話をしたのに、こんな簡単にすまされるなんて。
するとファッジ様はしばらく考えて、こう言った。
「死ぬのは恐ろしくない。相手がどれだけ強かろうと、剣を抜けば恐怖は消える。目の前の戦いに集中できる。しかし……」
しかし?
ファッジ様の言葉を待った。
「いや、やはりいい」
そう言い残すと、どこかへ行ってしまった。
なにが言いたかったのだろう?
戦いに集中すれば、死の恐怖は消える。死を恐れるな。それが戦いの極意なのだ。つまり「おまえもがんばれよ」って話だろうか?
ファッジ様なりに、わたしを励まそうとしてくれたのだ。そう思うことにした。