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前編


 

 俺の名前は遠藤幸人。

 つい先ほどまでサラリーマンだった24歳のナイスガイだ。


 つい先ほどまでという言葉からわかる通り、今日俺は会社を辞めた。 


 俺がいた会社はいわゆるブラック企業。


 帰る時間は12時を回ってから。

 休日出勤は当たり前で、ひどい時には30連勤。

 有給? そんなものは入社以来取ったことはない。


 そのくせ給料は安く、これだけ働いても男一人がなんとか暮らしていけるほどしか稼げない。


 はい。

 完全なブラック企業です。

 今どきこれだけ酷い条件の会社もそうはないでしょと思うけど、実際にあるんだよなあこういう会社。


 新卒で入った会社だが、ここまで酷いとは思っていなかった。

 よくもまあ一年半も務められたものだ。


 というかなんで一年半も務めていたのか。

 体調を壊しがちになってからやっと辞める決意をした。

 辞める時にもずいぶん難色を示されたんだが、その話は今はいいだろう。

 というか思い出したくもない。 


 そういうわけで俺は会社を退職し、夕方の五時に家路についていた。

 会社に入ってから定時に退社したのは初めての経験だ。


 そして家に帰る途中、公園で女の子を見かけた。

 ランドセルを背負った少女が公園のベンチに座っている。

 女子小学生だ。


 俺は彼女のことを知っていた。

 彼女の名前は岡野留美ちゃん。

 俺の住むアパートの隣に住む女の子だ。


 お隣さんだから顔見知りであるし、世間話ていどなら何回もしている。


 留美ちゃんがただ座っているだけなら、友達でも待っているのかと思って放っておいたろう。

 だがしかし、彼女はただ座っているだけではなかった。

 ベンチに座って泣いていた。



「留美ちゃん。どうかしたの?」



 そして、俺は彼女に話しかけていた。


 泣いてる女子小学生に話しかけるスーツ姿の男(無職)。

 後から考えれば不審者と思われてもしかたない状況だが、その時はそんなこと考える余裕なんてなかった。

 俺は留美ちゃんを放っておくことができなかったのだ。


 泣いている子供に話しかけること許されず、放っておくことが正解だといわれるのなら、そんな社会の方が間違っている。


 話しかけられた留美ちゃんは、バッと俺の方を向く。

 

「あ、隣のお兄さん」


 そして涙をぬぐう。 


「何でもないです」


「大丈夫? どこか怪我でもしたの?」


「いえ。怪我なんてしてないです。大丈夫です」


「……そうか」


 まあ、大丈夫なら別にいい。

 いや、大丈夫という言葉が嘘だというのは俺にもわかるのだが。

 しかし相手が拒絶を示しているのならこれ以上は深入りすべきではない。


「大丈夫なら別にいいんだ。それじゃあ、気を付けてね」


「はい。ありがとうございます」


 留美ちゃんはペコリと頭を下げ、公園を出て去って行った。


 家が隣だから、帰る方向は同じだ。

 ばったり出会ってしまってもなんだか気まずいから、コンビニで漫画でも読んで時間をつぶすことにした。


 その翌日。

 晴れて会社を辞めた俺は、昼間に家の近所を散歩をしていた。


 本来なら次の就職先を探さなければいけないだろう。

 それはわかっているのだが、しかし最近までブラック企業にいた俺は心身ともに疲れていた。

 だから精神を癒すために、数日はゆっくりしようと決めているのだ。

 

 そして昨日も立ち寄った家の近くの公園に行くと、そこには留美ちゃんがいた。

 彼女は昨日と同じようにランドセルを背負ったままベンチに座っている。


 昨日は夕方の時間帯だから、公園にいてもおかしくはなかった。

 だが今は昼間である。


 本来は学校に行っている時間帯のはずだ。

 小学校が休みである可能性もあるが、しかしだというのならランドセルを背負っているのはおかしい。


 そして留美ちゃんは、今日は泣いてはいないが、しかしずっとうつむいて地面を見ていた。 

 


「どうかしたの?」



 昨日と同じように、俺は再び話しかけてみる。


「あ、お兄さん。おはようございます」


「おはよう。昨日ぶりだね」


「……そうですね」


 俺はベンチの横に立ったまま、彼女と話す。


「学校にいってないみたいだけど、どうかしたの? 体調でも悪いの?」


「今日は休みなんです」


「ランドセルを背負ってるのに?」


「ええと、ランドセルは。その、ファッションです」


「挑戦的なファッションだね」


「そ、そうです。ファッションなので。だから、その、決して学校に行っていないわけではないんです」


「……」

「……」

「……」


「嘘です。本当はさぼっていました」


 自分でも苦しいと思ったのか、留美ちゃんは正直に告白した。


「なんで学校を休んだの? 嫌な授業があるとか?」


「別に授業自体は嫌じゃありません。授業以外のことが嫌なんです」


「授業以外のこと?」


 小学校で授業以外のこと。


 もちろん給食が嫌というわけではないだろう。

 それだけで休むなんてことは考えられない。


 他に思いつくのは運動会とか合唱コンクールなどの行事ごとであるが。

 でも留美ちゃんの様子からそういうのではないことがうかがえる。


 やっぱり、あれかなあ。

 一つの単語が頭によぎる。


「それってもしかして」


「お兄さんの思った通りです。私は学校でいじめられているんです」


「――」

 

 やっぱり、と思ったが俺は何もいうことができなかった。


 いじめが原因で学校に行けなくなる。

 ドラマとかニュースではよく聞くが、実際に身近な人物が関わっているとかなり衝撃的だった。


「そんな深刻そうな顔しなくても大丈夫ですよ。いじめって言っても、ほんの軽いものです。物を隠されたり、聞こえる声で悪口を言ったり、たまに蹴られたり。別に大したことないでしょう?」


「先生に相談とかは?」


「先生には言いました。でもなにもしてくれませんでした。私が何を言っても、悪ふざけをしているだけだ、大したことじゃないって言うだけで」


「……そんな」


 教師なのに。

 いじめを見て見ぬふりをしているということか?


 大人から見れば、当事者でなければ、軽いいじめだと思うのかもしれない。

 だけど実際に学校に行くことを拒否するくらいに彼女は追い詰められているんだ。

 それを大したことないなんて、口が裂けても言えないし言うべきではない。


「親御さんには言ったの?」


「親ですか。私の親はそれどころじゃないんですよ。お父さんは離婚して、小さいころにどこかに行っちゃいました。お母さんは私を養うために毎日遅くまで仕事してくれています。そんなお母さんに心配をかけたくないんです。いじめられているなんて、言えませんよ」


 そうか。

 留美ちゃんのお父さんは離婚していたのか。

 ああクソ、なんで気づかなかったんだ。


 そういえば彼女のお母さんにはあったことはあるが、お父さんにはあったことがなかった。

 てっきり終電ギリギリで帰宅している俺なんかとは違って、まともな時間に帰っているから顔を合わさないだけかと思っていた。


 父親は家にいない。

 母親に対しても、心配させないために何も言うことができないという。

 そして教師に言っても無駄だった、


 留美ちゃんは誰にも何も相談できず、自分一人で抱え込むしかなかった。

 こんな小さい女の子が、一人で。


「別にいいんですよ。今の時代はなんでも自己責任なんです。いじめられているのは私が悪いんです。だから別に――」


「そんなことはない! 虐めているやつが悪いに決まってる」


 留美ちゃんのその言葉を否定する。

 

「君は悪くないよ。どんな理由があっても、人をいじめる奴が悪い」


「……」


「だから自分を責めるのはダメだ」


「……はい。ありがとうございます。お兄さん」


 そういって、留美ちゃんはぎこちない笑顔を見せる。


「一人で抱え込むことはないよ。誰にも相談できないなら、俺に言ってくれて構わない」


「えっと、それって、話を聞いてくれるってことですか?」


「もちろん。なんでも話してくれていいよ」


「でも、迷惑じゃないですか?」


「迷惑じゃないさ。これでも暇だからね」


「お仕事とかはいいんですか?」


「それは……最近仕事は休みになったから大丈夫さ」


 本当は休みじゃなくて辞めたんだけど。

 まあここでそんなことを言う必要はないだろう。

 余計な気を使わせてしまうことになる。


 俺と留美ちゃんは互いに話し合うことにした。


 話す内容はたわいもないことだ。

 面白かったネットの動画の話とか。

 昨日見たバラエティ番組の話とか。

 少し前にみたアニメやドラマの話とか。


 そういう話をしていた。

 こういうことを話す時間は学生時代以来で、俺もつい話し込んでしまった。


「明日も来てくれますか?」


 夕方になり、帰る時間になった時に留美ちゃんはおずおずときいてくる。


「もちろんいいよ」


「ありがとうございます!」


 留美ちゃんは、少し前までの暗い表情が嘘のような満面の笑顔を見せた。





 その後、俺と彼女は毎日話すことになった。


 昼に公園に行くと、必ず留美ちゃんがいるからそこで互いに夕方まで話しあう。

 そうして一週間が経過したとき。


「いじめが無くなりました」


 そう留美ちゃんが言ってきた。


「え?」


「いじめが無くなったんです。正確には、いじめをしないように先生が取り計らってくれるようになりました」


「そう、か。すごく突然な話だけど。でもなくなったのならよかったじゃないか」


「はい」


「でも、なんでいじめがなくなったってわかるの? 学校には行ってないんじゃ」


「先生から連絡が来たんです。これまでのいじめが校長先生や教育委員会の人に発覚して、私をいじめていた生徒が別の学校に行くことになりました。あの人たちの親が家に謝りにも来たんです」


「そうだったんだ。最近用事で家にいないことが多かったから、気づかなかったな」


「へえ。とぼけるんですね」


 留美ちゃんはにこりと笑い、微笑ましいものを見る目をする。


「私知っていますよ。いじめが無くなったのはお兄さんのおかげですよね」


「……何のこと?」


「とぼけないでいいです」


 どうやら彼女は全てわかっているらしく、笑顔でいる。


「先生から全部聞いたんですよ。教育委員会とか保護者会で私のことを話した男の人がいたらしいですね。それに、校長先生に直談判したり、担任の先生の家に怒鳴り込んでまで必死にやってくれて」


 あ、もう全部バレているんだな。

 彼女の様子から、俺も悟っていた。


 そう。

 留美ちゃんに対するいじめを知ってから、学校や教育委員会に対して俺は働きかけていたのだ。


「ありがとうございます。全部お兄さんのおかげです」


 留美ちゃんは深々と頭を下げた。


「俺だけのおかげじゃないよ。みんなが君を助けようとしたんだ」


 これは謙遜ではない。

 隣に住んでいるだけの家族ですらない男が「君のところの生徒がいじめられている」などと言っても、信じられることはないだろう。


 だが、俺ではなく俺の家族がそれを言ったのならば話は別だ。


 俺の父は県議会議員をやっている。

 しかもかなり古株で、地元に対してやたら顔が利く。


 父を通せば教育委員会やPTAと話す機会を得ることができたため、そこでいじめの現状を訴えることでようやく彼女のことを救うことができた。


 校長や担任の教師に直談判しに行ったのは、少しやりすぎたかもしれないが。


「それに俺も謝らなきゃいけない。留美ちゃんが隠そうとしたのに、お母さんに君のいじめのことを言ってしまったし」


「いいんです。謝らないでください。お母さんに何も言わなかったことは、私が間違っていたんです。いじめのことを知った時、一人で抱え込まないでって、心配かけてもいいんだって、お母さんは言ってくれました」


「いいお母さんだね」


「はい。自慢のお母さんです……」


 そして、彼女はぎゅっと拳を握り「あの」と切り出した。


「私は明日から学校に行きますけど。それでも放課後とか、休みの日とか、これからも一緒に話してくれませんか?」


「あー。それなんだけど、今後は無理そうだな」


 ポリポリと頭をかきながら、彼女の言葉を否定する。


「会社辞めたことを親父に言ったら、実家に戻って来いって怒られちゃったよ」


 仕事を辞めたばかりの奴が他人に関わっている場合じゃない。

 他人を助ける前にまず自分の状況をなんとかしろだってさ。


 おっしゃる通りだ。

 それでも、留美ちゃんを助けるために手を貸してくれたあたり、いい親父を持ったと感じる。


「ひとまず、次の仕事が見つかるまでは実家にいると思う。ここから少し離れたところにあるし、俺も次の就職先を見つけなきゃいけないから、たぶんそう頻繁には会えなくなると思う」


「そう、ですか」


 俺の返答に、留美ちゃんは落ち込む。

 しかしすぐに、頭を上げた。


「あれ、お兄さんはお仕事やめたんですか? 休んでいるだけって」


 あ、しまった。

 彼女には休んでいることにしてたんだった。


「う、うん。実はそうなんだ。嘘をついていてごめん」


「いえ、いいんです。今はそんなこと。そんな……」


 と呟き、そしてハッと何かに気づいたように目を見開いた。


「お兄さん。私、決めました」


「決めた、って。何を?」


「私はこれから、いっぱい勉強します」


 それは突然の宣言だった。

 いい目標だと思うけど、なぜ今それを決意したのだろうか?


「勉強して、いい大学に行って、いい会社に入って、いっぱいお金を稼ぎます」


「うん」


「そして、いっぱい稼げる大人になったら、お兄さんを迎えに行って、私がお兄さんを養います」


「うん?」


 養う?

 俺のことを?


「お兄さんが働かなくてもいいように私がたくさんお金を稼ぎます」


「そ、そうか。ありがとう」


 どうやら働いていない俺の現状を知り、それをどうにかしたいと彼女は思ったそうだ。

 それはいじめをどうにかしてくれた俺に対する、彼女なりの感謝の現れなのだろう。


 まあ確かに今は働いていないけど、すぐ別の働き口を見つけるつもりだし。

 そんなに気を使ってくれなくてもいいのだが。


 だがまあ、せっかく子供がやる気を出しているのだ。

 それに水を差すこともあるまい。


「あはは。ありがとう。そのためには、いっぱい勉強しなきゃな」


 彼女の頭を撫でる。


「楽しみに待っているよ」


「! 本当ですか? 約束ですよ。それまで待っていてくださいね!」


 真剣な顔で留美ちゃんは詰め寄ってくる。


「待っているよ」


 俺がそう言うと、彼女はパアッと花が咲くような笑顔を見せた。


「よかった……。絶対迎えに行きますから、待っていてください」


 嬉しそうな顔をする。


 しかし、これもこの時だけのことだろう。

 子供の頃の結婚するという約束が守られることなんてない。

 このことは忘れて、いつか同年代の恋人を作りその人と結ばれるのだ。

 その方がいい。

 

「じゃあね。留美ちゃん。また」


「はい! 待っていてくださいね! さようなら!」


 手を振り、彼女と別れた。


「待っていて、か」


 嬉しいことを言ってくれるなぁ。

 告白をされたのなんて、初めてのことじゃないか?


 まあ、子供の言うことだ。

 親切にしてもらったことへの感謝の思いが溢れて、ああいった言葉になったんだろう。

 本気で俺のことを好きなわけではない。


 いつかそんなこともあったと忘れてしまうだろう。

 だがそれでいいのかもしれない。

 今後、留美ちゃんが幸せになってくれればそれでいい。


「いけないいけない。他人のことばっかじゃなくて、俺自身の幸せも考えないとな」


 ひとまずは、次の就職先のことも考えなくては。

 そう思い、俺は実家に帰ることにした。




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