3:会談
先生のお墓参りを済ました後、ジャック隊長の案内で王宮の長い廊下を歩いていたのですが……私が『門』の間に引きこもっている間に大規模な模様替えが行われていたようで、壁紙や絨毯などが重厚で歴史のある物から少しだけケバケバしく明るい物に入れ替えられていました。
(王子の趣味…という訳でもないようですが?)
ジュリアン王子ならもう少しわかりやすい派手さを好みそうですし、どこか成金趣味を思わせる豪華さはドミニク大司教や側近の方々とも違うようで……そんな王宮内の変わりようを眺めていると、たどたどしく歩く私の姿を見ながら可笑しそうに笑う人が居たり、苦々し気な顔をしている人達とすれ違いました。
「………」
ジュリアン王子に嫌われているのである程度の冷遇ぶりは仕方がないと思っていたのですが、代わりにしかめっ面をしてくれている隊長さんの憮然とした表情が面白くて、失礼ながら少しだけ笑ってしまいました。
「すみません、ご迷惑をおかけします」
私の先導役を押し付けられた隊長さんが後で悪口を言われないかだけが心配だったのですが、声をかけられた隊長さんは「いえ」とか「まあ」とか曖昧に言葉を濁します。
「こちらこそ、レティシア様にご不快な思いをさせてしまい…申し訳ありません」
隊長さんの立場ではそう言うしかないのだと思いますが、聖女に好意的な人物は地方に飛ばされてしまっているようで……王宮に残っているのはジュリアン王子やドミニク大司教におもねる人達ばかりなのだそうです。
「そう、ですか」
『門』の間から出た事がなかった私に王宮勤めをしている友人や知人はいなかったのですが、“聖女派”というだけで飛ばされて行った人達がどういう扱いを受けているのかが気になって……大丈夫でしょうか?と首を傾げそうになったのですが、隊長さんに疑問をぶつけてもしょうがないので黙っておく事にしましょう。
(それにしても)
『門』の浄化から離れて半日ほど、自分に回復魔法をかけ続けて疲労やら眠気やらは払拭出来たのですが……職業病ともいえる水晶化は回復魔法をかけたからといって治る物でもありませんし、その影響で動かない右腕や手足の痺れや萎えた両足は相変わらずだったりします。
とはいえやろうと思えば筋力強化の補助魔法で何とかできますし、手足の痺れや震えも一時的なら止める事が出来たのですが、出来るだけ水晶化の治療を進めたいという理由と筋肉は動かさなければ弱って行く一方で……。
(治癒魔法が得意であればある程、この辺りの感覚がズレやすいとリヴェイル先生が言っていましたが)
子供の頃から軽い傷や病気くらいなら勝手に治っていましたし、治らないという状況に軽い恐怖を覚えるのですが……“治らない”という恐怖や不安こそが普通の人が抱くべき感情であり、けっして忘れてはならない感覚なのかもしれません。
「すみません…時間は大丈夫でしょうか?」
とはいえ萎えた体を鍛える為になんていう理由で遅れる訳にもいきませんし、いざとなれば強化魔法を使うのもやぶさかではないのですが……私の歩みに合わせるために少し後ろを歩いていた隊長さんは窓越しに天耀の位置を確認してから頷きます。
「大丈夫です、会談まではまだ時間が…王子もまだ来られていないようですし、むしろこれくらいのペースで丁度良いかと…それにいざとなれば私がだ…ん、んっ、いえ、問題ありません」
言葉を濁したのはたぶん「抱きかかえてでも運びますので」と言いかけたのだと思いますが、私がいい年をした女性である事を思い出して言葉を変えたのでしょう。
「ありがとうございます、無理を言って歩かせて貰っているくらいですので…遅れそうなら言ってくださいね、急ぎますので」
「はい、その時はよろしくお願い致します」
私のお願いに対して隊長さんが恭し気に頭を下げるのですが、仰々しい態度が少しだけ可笑しくて……。
(もうひと踏ん張りではあるのですが)
顔見せ程度の役割しか与えられていない私はともかく、代表として参加するジュリアン王子が居ないというのが問題で……どこかで待ち合わせをしてから会談に臨むべきなのかもしれませんが、私の事を毛嫌いしているジュリアン王子がわざわざ一緒に行動するとは思えませんし、隊長さんが言うにはその予定もないのだそうです。
(それで…いいのでしょうか?)
体面を取り繕う気がサラサラないというのはある意味潔いのですが、他国に不仲ぶりを笑われてしまうような気がして……そんな事を考えながらトテトテと歩いていると、応接室の中から途轍もない気配が漏れ出して来ている事に気が付きました。
(これ、は…?)
部屋の中に居る気配は4つ、その内の1つが有り得ない程の魔力を放っており……私と隊長さんは顔を見合わせてしまいました。
と、いうより、扉の前に護衛や案内の人が居ないというのも不用心な気がするのですが……これは終戦協定が密談寄りの話し合いだからなのか、それとも部屋の中から漏れ出してきている圧倒的な魔力に気圧されてしまったからなのか……いったいどちらが正解なのでしょう?
(今はそんな事より、ですね…さて、どうしましょう?)
部屋の中にドラゴンが鎮座していると言われても信じてしまう程の魔力が応接室から漏れ出してきており、隊長さんが険しい顔をしながら扉をノックするのですが……押し黙ったような重苦しい沈黙が返ってくるだけで、返事がありませんでした。
話し合いが白熱しているという感じでもありませんし「どうしましょう?」みたいな情けない顔で隊長さんに見つめられてしまい……私は「入りましょう」という意味を込めて頷きます。
「わかりました、レティシア様は私の後ろへ…ッ!?」
庇うように前に出た隊長さんが意を決して扉を開けると、濃厚な魔力の渦が押し寄せて来て……思わずといったように隊長さんが後ずさったのですが、開いた隙間から部屋の中を覗き込んでみると中央にある大きく長細い机を挟んで4人の男女が1対3の比率で左右に分かれているのが見えました。
(この人達が…アインザルフとドヌビスの)
その4人の中で一番最初に目に入ってくるのが魔力を垂れ流している右側中央に座っている男性で、座っている位置や左右を固めている人達の様子を見る限りではこの人がアインザルフ帝国側の代表なのでしょう。
日に焼けた肌と肩の下まで伸びたボサボサの黒髪というラークジェアリーではあまり見かけない容姿の人で、色合い的には北方系の血筋を引く人なのでしょうか?軽く伏せられた瞼の裏にある黄金の瞳は光り輝いていて……体内から溢れた魔力で物理的に光り輝いている人というのを生まれて初めて見たような気がするのですが、漂っている魔力といい光り輝いている瞳といい、色々と規格外な人なのかもしれません。
そんな野性味溢れる男性からは目に見える程の魔力が立ち昇っており、ウネウネと蠢く魔力の渦は不機嫌さを隠そうとしていなかったのですが……そんな荒ぶる魔力に当てられないように少し離れた位置に座っているムキムキした騎士風の男性と、その反対側で目を閉じて控えている女性が身の回りの事を行う侍女……というより侍女に変装した聖女でしょうか?内包しているマナの量がとんでもないのですが……この人達がアインザルフからやって来た人達なのでしょう。
(どうやら意外と普通の人達のようですね)
隊長さんからは蛮族の国の蛮族さんと脅されていたのですが、代表の不機嫌な様子を別にすれば人好きのする良い人達のようで……少なからずいきなり「オレ、オマエ、マルカジリ」と襲ってくるような人達でもありませんし、教わった帝国の知識は敵国であるという先入観で歪められたものだったのかもしれません。
そう思って安堵の息を吐くと、騎士風のマッチョマンと侍女の方が意外そうな顔をしながらこちらを見て来て……ヘラリと笑い返しておきました。
因みにラークジェアリーでは生地の多さが富の証とされており、フリルやレースを多用した衣類が多いのですが……アインザルフ帝国の方々が着ている物は革製の物が多く、儀礼用の衣類にも鉄糸を縫い込み軽い対人戦を想定しているのがお国柄というものなのかもしれません。
そういう根本的な価値観の違いはあるものの、質実剛健といった正装を着こなし大人しく無駄に派手派手しい椅子に座っているのを見ている限りでは、状況に応じた行動をとれる人達なのでしょう。
(それにしても)
ここまで魔力が可視化できるというのは珍しい事で……ラークジェアリー聖王国最強の騎士だと思っているシモンさんとオースティンさんの2人が霞むレベルの魔力量ですし、膨大なマナを内包していたリヴェイル先生をも超えており……因みに魔力とマナは一律で比べられる物ではないのですが、人間に宿っている根源たる力の源という点では変わりがありませんでした。
なんて事を言うと大雑把すぎて色々な人に怒られてしまうのですが、魔力とマナには攻撃に特化しているか瘴気を浄化する治癒の力かという違いがあり、どちらの力が使えるかは性別によって分かれていました。
これは神々が男と女を生み出した時に役割を分担したのだとか言われており、破壊を司るドンケーと治癒と浄化を担当するヴォルチェルスを混ぜ合わせると新しい生命が生まれる……とかいう神学関連の話は長くなるので横に置いておくのですが、燃料となる魔力とマナが別方向の性質を秘めている為、魔法使いの使う『魔法』と聖女の使う『奇跡』は別のモノだとされていたのですが……私はこの分類が好きではありませんでした。
そもそも『奇跡』なんて言い方が烏滸がましくて、方向性が違うだけで魔法と一括りにしても良いような気がするのですが……とにかくそういうどうでも良い考えは頭の片隅に放り出して案内役の隊長さんの顔を盗み見るのですが、魔力にあてられ固まってしまっていて……ドアを開けたまま無言でいるというのも不味い気がしたので、ここは代わりに私が挨拶をする事にしましょう。
「遅れてしまい申し訳ありません…この度招集に応じましたレティシア・スフィールでございます」
そう思ってぎこちなく膝を折りながら挨拶をすると、ザワリと部屋の中の空気が動いたような気がしたのですが……マジマジと見てくるような感じではないのですが、全員の視線が私の上を撫でるように通り過ぎていき……部屋の中の圧力が少しだけ弛んだような気がします。
その理由がわからないままチラ見をしてみるのですが……まず上座ともいえる一番奥の席には誰も座っておらず、机の左側には草色の騎士服を着た恰幅の良い男性が座っていました。
どうやらこの人がドヌビス王国から来た全権大使なのだと思うのですが、何故かアインザルフへの敵愾心を燃やしながら魔力渦巻く部屋の中で脂汗を流しながら椅子に座り込んでいるという状況で……唖然とした表情で私を見ながら「レティシア?まさか」なんて呟いていました。
そんな大使に軽く目礼を返しながらアインザルフ帝国側の人達に視線を走らせるのですが、魔力を抜きにすれば最初に目に入って来るのは手前側に座っている身長もガタイも良い40代くらいの男性で、刈りあげた髪と鍛えられた体から見て護衛の騎士か何かなのでしょう。
というよりその人の持ち物らしき大剣……と言っていいのか分からないような巨大な武器が机に立てかけられていたのですが、長さと横幅が私の身長や横幅を超えているという鉄の塊で……そんな物を振り回すだけの膂力がある文官だというのなら今からでもいいので騎士に転職する事をお勧めしてみようと思います。
「レティシア様…ですね?」
そんな事を考えていると、アインザルフの3人目……ずっと目を閉じている侍女風の女性が近づいて来たのですが……この人は体調が悪いのでしょうか?近くで見るとやや顔色が悪いような気がしますし、本職ではないのか何処か動きがぎこちないような気がして……。
「はい、そう…ですが?」
よくわからないまま返事を返したのですが、改めて見てみると毛先に強めのウェーブがかかっているという濃い目の茶髪を後ろで括っているというなかなかの美人さんで……着ているものはシンプルな黒いベストに白いワイシャツ、そしてベストと対になるスカートといった一見すると侍女か女中っぽい服装をしていたのですが、常時探知系の奇跡を使って周囲の警戒をしているので侍女に扮した聖女なのかもしれません。
「どうぞ、こちらへ」
そんな人がまるで私達を席に案内するのが自分の役目であるというように上座を薦めてくるのですが、外交儀礼上以上の好印象を抱かれているような気がして……いったいどういう事なのでしょう?
(考えても仕方がない事なのかもしれませんが)
案内をしようとしている侍女のような聖女さんは魔力の溢れた部屋の中でも「なかなか面白くなってきた」といった笑みを浮かべており……色々と気になるところがあるのですが、特に気になるのはアインザルフの代表と侍女風聖女さんの気配が似ている事なのかもしれません。
(血縁者…なのでしょうか?)
そんな事を考えていたのですが、気になったというのも個人的な感想ですし、話し合いの内容とはまったく関係のない事だったので疑問は疑問として横に置いておく事にしましょう。
「ありがとうございます」
招待国の人間が招待した側の人間に案内されるというのも可笑しな話だったのですが、本来居るべき聖王国側の人間が渦巻く魔力に怯えて別室に避難しているので仕方がありません。
「いえ、私はだ…ぃ聖女様の護衛ですので」
そして一緒に案内される事になった隊長さんはアインザルフの代表の方を恐る恐るといった様子で窺いながら着席を断ったのですが、ラークジェアリーが座る場所には3人分の椅子が用意されており……護衛として参加する筈だったジャック隊長の椅子が用意されている理由が少しだけ謎なのですが、何かしらの連絡ミスでしょうか?
とにかく上座を空席にしたままというのもなんだったので、隊長さんも案内されるままにギクシャクと席に座りました。
「申し訳ありません、急ごうとは思ったのですが…このような体ですので、殿下ももう少しで来られると思いますので…皆様にはもうしばらくこのままお待ちいただければと思います」
結果としてラークジェアリー側が遅れてきている訳ですからね、この不穏な空気を破るのなら私達が適任だろうと思ってこの場に居る方々に水晶化している事が見えるように顔の角度を変えながら説明をするのですが……アインザルフ帝国の代表からは不機嫌そうな顔で睨まれてしまいます。
「石付きか」
その口から発せられた事実を述べているだけのような声色は魔力の塊で、物理的な圧力として部屋の中の空気がビリビリと揺れて机が震えました。
「はい、石付きです」
きっとアインザルフ帝国では『水晶化』の事を『石付き』と呼ぶのだと思いますが、ぶつけられた魔力を受け流しながらヘラリと笑うとアインザルフの代表が皮肉気に笑います。
「本当に一人なのか?」
その事は突っ込まれるだろうなーとは思っていましたし、この人は水晶化すると聖女の力が著しく低下するのだという事を知っているのだと思いますが「そんな半端者1人だけ送ってどうするつもりだ?」と言いたげでありながらそれ以上ごねたり吹っ掛けてきたりする訳でもないところをみる限りでは、事前交渉の段階でアインザルフ帝国に送られる聖女は一人だけという話で纏まっているのかもしれません。
なので言質を取られないようにリヴェイル先生直伝の「笑って誤魔化す」を披露しておくと、アインザルフの代表は「やれやれ」というように軽く息を吐きながら諦めてくれて……何とか危機を脱したかに思えたのですが、勢いよく応接室のドアが開いたかと思うとジュリアン王子と50代くらいの文官らしき人がドカドカと部屋の中に入ってきました。
「どうやら揃っているようだな!」
そして一番最後にやって来ておきながらそんな事を言うのでアインザルフ帝国だけではなくドヌビス王国の大使も不快感を示していたのですが……どうやら王子は気づかなかったようですね。
とにかく意気揚々と入って来たジュリアン王子はさも当然というように上座の真ん中にドカリと座り、あまりにもあまりな王子の行いにアインザルフの代表がチラリと目をやったのですが……その圧力で王子が身に着けていた王族専用の護符がパキリと割れてしまいました。
「……?」
一睨みで王族が身に着けているレベルの護符がへし折れるというのは滅多に無い事なのですが、仕掛けられていたジュリアン王子はよくわかっていないのか「不良品か?」みたいな顔をしており、アインザルフの代表もそれ以上仕掛ける気が無いのか呆れたように息を吐きながら目を閉じてしまいます。
(王子としては強気に出て出鼻を挫きたかったのかもしれませんが)
ただただ無礼な言動になっており、何処か鈍感なところのあるジュリアン王子の代わりに隊長さんと連れて来られた文官らしき人が申し訳なさそうに目を伏せる事になるのですが……こういう場に疎い私も苦笑いを浮かべておく事にしましょう。
「わざわざ集まってくれた事に礼をいう…そして事務的な話し合いになるだろうという事で我が国からもう一人参列者を連れてきた!」
そして完全アウェイな空気に一瞬怯んだジュリアン王子なのですが、持ち前のポジティブさで立て直すと連れて来た文官らしき男性を紹介し始めて……連れて来られた文官は部屋の中の空気を察してオロオロとしていたのですが、ドヌビス王国側とアインザルフ帝国側を交互に眺めながらペコペコと頭を下げ始めました。
「え~…しょ、紹介にあずかりましたユーゴ・ド・ブランと申します…で、殿下のもと、ラークジェアリー聖王国では宰相を務めさせて貰っています」
とりあえず自己紹介から始める事にしたようなのですが、ラークジェアリー聖王国側の椅子は3つとも使われているので彼の座る椅子がありません。
なので宰相様は途方に暮れながら……一応アインザルフ帝国の出席人数が不明だったので部屋の隅には予備の椅子が置かれているのですが、最低限の人数での秘密会談じみた話し合いだった事もあって椅子を出してくれるような従者もおらず、他国の人達が見ている前でえっちらおっちらと引っ張り出してきても良いものかと悩んでいるようでした。
(仕方がないですね)
今から妙にゴテゴテしい椅子を引っ張り出してくるのも不自然ですし、席を譲ろうと思って立ち上がると隊長さんが慌てて立ち上がりかけて……「そのままで」と軽く手を上げて制止をすると、隊長さんは申し訳なさそうに浮かせかけていたお尻を下げて……ユーゴ宰相はあからさまに安堵した様子で空いた席に座って何とか会談を始められる運びとなりました。
(これでようやく…ですが)
そんなやり取りで空気が良くなればよかったのですが、人数を言っていなかったアインザルフ帝国ならともかく3人だけと伝えていたラークジェアリーの増員に対して2ヵ国とも良い感情は抱いていない様で……事務的な手続きをしてもらうだけならわざわざ名乗らせる必要がありませんし、事前通知なしの不意打ちはただただ他国に不信感を抱かせるだけに終わり、下手をすれば「今から合意をひっくり返すぞ」と捉えられてしまうような暴挙だったのかもしれません。
こうなってくるとアインザルフ帝国とドヌビス王国の出方が気になったのですが、ドヌビス王国はラークジェアリーに援助をしてもらう必要があるので黙り込み、アインザルフ帝国は呆れ果てたのか馬鹿馬鹿しいと言いたげに無視を決め込んでしまい、騎士様と侍女風の聖女さんも代表の態度に倣うようでした。
(助かった…の、でしょうか?)
どうやら合意の破棄、戦争の再開という最悪の事態にはならなさそうだと息を吐き出すと、アインザルフ帝国の騎士様も同様に安堵したように息を吐き出しており……計らずとも同時に息を吐いた事で目が合いました。
「……」
それ以上の会話は無かったのですが、ニヤリと笑ったアインザルフの騎士様と軽く目配せをする事になり……。
「申し訳ない、このバ…愚か者が椅子に座っていたせいで時間を使ってしまった…改めて話し合いを進めたいと思うのだが…この度の終戦協定と取りまとめる事になったジュリアン・デルブレル・ド・ラークジェアリーだ、若輩者ではあるが体調のすぐれない父上の代わりに全権を任されているのでその辺りは安心してもらいたい」
そして謙遜しているとみせかけて堂々と聖王陛下の体調不良という秘匿すべき情報をあっさりと開示するジュリアン王子に驚く事になり、アインザルフ帝国だけではなく同盟国のドヌビス王国ですら「こいつ、正気か?」みたいな顔をしたまま自己紹介が始まったのですが……まずはジュリアン王子と隊長さんが名乗り、私の紹介が意図的に飛ばされた後にドヌビス王国の全権大使がアンドレア・デ・モゼール子爵と名乗り……国家間の調印に子爵級の人物というのは地位が足りないような気がするのですが、他国に移動するとなるとある程度の危険があるのでその辺りは仕方がない事なのかもしれません。
とにかくモゼール子爵は終戦協定の見届け人であり、この辺りまでは比較的スムーズに名乗り合う事が出来たのですが……アインザルフ帝国の代表は目を閉じたまま無言を通す事となり、従者の女性もあえて名乗り出るような事はなく、騎士の人だけがヴィクトル・フォン・パージファルと名乗って彼は騎士団の総長をしているのだそうです。
「チッ…礼儀を知らぬ蛮族め」
そしてあからさまに無視を決め込むアインザルフ帝国の代表に対してジュリアン王子がボソリと呟いているのですが……どうやらアンドレア大使はアインザルフ側の代表の事を知っているようですし、もしかしたら帝国では有名な人なのかもしれません。
むしろ有名人?の名前すらわからないというのは外交上の失態を示しているような気がするのですが、私にとって……というよりも、ジュリアン王子を除いたラークジェアリー聖王国側の人間にとっては針の筵のような会談はジュリアン王子の独演会で終わり、残りの2ヵ国はほぼほぼ無言のまま進行しました。
(空気が重い…ですね)
ジュリアン王子の独演会に閉口する形で黙り込んでいる2ヶ国は「さっさと終わらせよう」みたいな空気が漂っており……とにかく会談の内容を簡単に纏めてみると『ラークジェアリーは2ヶ国に物資を恵んでやる』『聖女の派遣はラークジェアリー聖王国が受け持つ』『聖女の派遣は私のみである事』『期限は無期限である事』『帝国ではどのような扱いをしてもラークジェアリーとドヌビスの2ヵ国は関与しない事』というもので、書類作りの上手いユーゴ宰相は手早く3通の書類を作り上げるとジュリアン王子とアンドレア大使、そしてアインザルフ帝国の代表が署名をする事になります。
それ以上の何かしらのセレモニーがある訳でもなく、これで面倒ごとが片付いたと言わんばかりにアインザルフ帝国とドヌビス王国の人達が控えを持って部屋を出て行ってしまい、残ったのは不機嫌な顔をしたジュリアン王子と私達だけとなります。
「何故お前が椅子に座っている!?そのせいでいらぬ恥をかくところだったんだぞ!わかっているのか!?」
そして2ヵ国が別室に下がったのを確認してからジュリアン王子が不機嫌そうに机を叩き、壁際に控えていた私を睨みつけてくるのですが……。
「に、しても…あいつ等もあいつ等だ!帝国は礼儀の何たるかを知らぬ奴らだし、ドヌビスもドヌビスで敗戦の釈明もしないような間抜けを送りやがって!!」
返答を待たずに他国の悪口を言い出したジュリアン王子の怒鳴り声が応接室に響き渡るのですが、何とかフォローを入れようとしたところで別室に控えていた王子の側近達がゾロゾロと入ってきました。
(せめてゆっくりと話し合う時間があればよかったのですが)
ジュリアン王子は色々と抜けているお調子者ではあるのですが、根っからの悪人という訳ではないようですし……時間さえあれば仲良くなれたのかもしれませんが、時すでに遅しなのかもしれません。
そんな事を思いながら退室前に振り返ると机の上に乗っている書類が目に入り、末尾に書かれている『ヴォルフスタン・エリュタス・フォン・アインザルフ』という署名に目を丸くする事になります。
(あの人が…アインザルフ帝国の)
そう、終戦協定の書類にはアインザルフ帝国の最高権力者、ヴォルフスタン皇帝の名前が書かれていたからです。
※天耀もしくはソル・キアラ = 我々の世界でいうところの太陽です。意味はそのまま天空で輝くという意味で、光の神ヴォルチェルスと闇の神であるドンケーが娘(生き物を育む地母神シャリテア)の為に生み出した大いなる力の一端であるとされていました。
※ラークジェアリー聖王国最強の騎士だと思っているシモンさんとオースティンさん → そのうち出て来るレティシアの知り合いで、この時点ではそういう騎士が居るのだというくらいで大丈夫です。
※マッチョな騎士の持っている大剣の重さなのですが、この世界には魔力やマナが溢れているのである程度まで鍛えたら無自覚に筋力強化法が発動するようになっています。そのせいで鍛えている人と鍛えていない人の差が激しく、単純な物理法則では説明できない事が多々あります。
※ドヌビス側の参列者が1人である理由 → 既に終戦協定自体がドヌビス本国で結ばれており、ラークジェアリーとアインザルフで結ばれる事になる協定の見届け人として参列しているからです。一応大使以外の人達は隣室に控えており、何かあった時には駆けつけられるようになっています。
因みにアインザルフ側の人数が多いのはラークジェアリーとは干戈を交えた間柄であり、護衛が必要だと押し通したからです(実際のところは皇帝陛下の魔力が暴走しないようにフォローする人員を捻じ込んだ形となります)。
※座席に関してなのですが、これは単純に王子達の事務能力の低さと言いますか、侍女風聖女さんの気の使い方がから回った結果と言いますか、単純な連絡ミスです。
レティシア達は出席人数が3人だという事しか知らないので全員分の椅子が用意されているものだと思って促されるままに着席したのですが、王子としては急遽宰相を捻じ込む予定ではあったものの指示が曖昧で(実は王子達は座席についての話し合いをしておらず、2ヶ国が平謝りをして来た時にどういう対応をしたら大国の面子が保たれるのだろうみたいな話し合いだけをしていました)そして準備を押し付けられた準備担当が結局何人分なのだろう?と悩んだ結果、とりあえず護衛の分を抜いておけば問題ないだろうと思って3人分の椅子を用意する事になりました。
要するに国家間の重要な会談ですらグダグダしているのが現在のラークジェアリーであるという事を示しているだけなので、あまり深く気にしないでいただけると幸いです。